雲仙・普賢岳大火砕流 あす29年「いのりの日」

 雲仙・普賢岳噴火災害で、消防団員ら43人が犠牲になった1991年6月3日の大火砕流から3日で29年を迎える。同日は、島原市内で「いのりの日」の追悼行事がそれぞれ営まれる。新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため今年は「3密」を回避し、参加者を絞り規模を縮小した開催となる。
 市は被災者が集団移転した仁田町の仁田団地第一公園内にある「雲仙普賢岳噴火災害犠牲者追悼之碑」前に、市消防団は平成町の「消防殉職者慰霊碑」前に、それぞれ献花所を設置する。大火砕流が発生した午後4時8分、防災行政無線でサイレンを鳴らし、市民に黙とうを呼び掛ける。安中地区町内会連絡協議会も北上木場農業研修所跡で犠牲者を追悼する。平成町の雲仙岳災害記念館は、ろうそく約120本をともす「いのりの灯(ともしび)」を催す。
 普賢岳は90年11月17日、198年ぶりに噴火。93年6月23日の火砕流と合わせ、計44人が犠牲になった。島原市の避難者は最も多い時で2047世帯、7208人に達した。96年6月に「噴火終息宣言」が出された。噴火活動で形成された溶岩ドーム(平成新山)を含む約950ヘクタールは現在も警戒区域となっている。

 


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