<備えはいま 普賢岳大火砕流から29年・下> 「連携」 防災システムの確立を

野ざらしのままの報道機関の車の周りを、除草する清掃活動の参加者=島原市北上木場町

 「毎年見る光景だが、災害の記憶が薄れるとともに、展示車両が少しずつ朽ちているのが分かる」。雲仙・普賢岳噴火に伴う大火砕流で犠牲者が出た島原市消防団第15分団。当時小学3年で、同分団技術部長を務める古川進一郎さん(39)はさびで腐食が進む車体を前に寂しげにこう語った。
 消防団員の詰め所だった同市北上木場町の北上木場農業研修所跡。6月3日の「いのりの日」を前に5月23日、清掃活動があり、古川さんも参加した。火山灰の下から収容、付近に展示される消防車やパトカーに加え、野ざらしのままの報道機関の車といった災害遺構が、時の流れを物語る。
 1990年11月から96年6月の終息宣言まで約5年半にも及んだ噴火災害。当時を知らない世代が増える一方で、溶岩ドーム(平成新山)の東側を中心に、島原、雲仙、南島原3市にまたがる約950ヘクタールが今も警戒区域となっている。
 地震や豪雨による大規模な崩壊の可能性が依然残る溶岩ドーム。国が93年から続ける砂防ダムなどの建設工事は本年度完了するが、噴火前の地山との境界で大規模崩壊した場合、島原、南島原両市の一部に岩屑(がんせつ)雪崩が押し寄せる可能性が高いと考えられている。
 両市の試算によると、水無川沿いの島原市の安中地区では2827世帯のうちの半数程度が、南島原市深江町では2963世帯のうち415世帯が溶岩ドーム崩壊の影響を受けるという。ハード対策だけでは限界でソフト対策がキーワードとなる。島原市の吉田信人市民部長は「具体的にどう避難するかなど、次の災害に備えた地域の防災システムづくりが求められる」と強調する。
 同市は昨年、消防・警察経験者らを代表に据えた地域防災組織「自主防災会」の強化に着手。安中地区に働き掛け、先進地視察や研修会開催を後押し。詳細な避難ルートを盛り込んだ地区独自の防災マップ策定などの取り組みを進める。
 同地区の自主防災会は、若い世代に避難方法や災害への備えを伝えるため、6月3日の地区全体の訓練実施を検討している。横田哲夫会長(70)は「命を守るためには住民自らが率先して災害に備える」と力を込めた。
 水無川流域の同地区と深江町を対象として、市をまたぐ初の防災訓練も11月か来年6月に実施の予定。南島原市担当者は「広範囲での訓練が災害時の避難行動に有効」と期待する。
 南島原市では3日、大火砕流が発生した午後4時8分に鎮魂のサイレンを初めて鳴らす。災害から得た教訓を後世に伝えるため、行政や住民ら、関係者がいかに連携し災害への備えを確立するのか模索が続く。

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