「山あいの子供たちに一度でいいから大海(甲子園)を見せてやりたかったんじゃ」蔦文也(野球)のコトバ

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沖縄タイムス社など全国24メディアが協力したコラボレーション報道「コトバのチカラ」。4月27日掲載の徳島新聞の記事を紹介します。

 

甲子園37勝、優勝3度

 池田高校野球部を率いた故蔦文也元監督。「やまびこ打線」を育て上げ、豪快な攻撃野球で甲子園に革命を起こした。春夏合わせて37勝、優勝3度、準優勝2度。「攻めダルマ」と呼ばれ、野球ファンに愛された。

 徳島商の選手時代に3度、甲子園に出場。同大、社会人野球「全徳島」を経てプロ野球・東急フライヤーズに1年間在籍した。1951年に社会科教諭となり、翌52年に池田の監督になった。強豪校の壁にはね返されても挑戦し続け、就任20年目の71年夏に甲子園初出場を果たした。

 

 型破りなエピソードには事欠かない。ノックで甲子園のレフトスタンドに放り込み、呆気(あっけ)にとられる選手たちをよそに「ホームランを打ってみたかったんじゃ」とご満悦だった。「さわやかイレブン」で決勝へ進んだ74年選抜大会では、決勝戦前夜に相手報徳学園(兵庫)の福島敦彦監督の訪問を快く受け、酒を酌み交わした。

 自転車の荷台にトンボをくくりつけてグラウンドを整備し、雨が降ると水たまりの水をかい出した。練習試合を優先し、長男の結婚式を欠席。常にチームの勝利に心を砕き、選手との時間を最優先した。

 甲子園でのインタビューもすべて阿波弁。歯に衣(きぬ)着せぬ「蔦節」で豪放磊落(らいらく)なイメージだが、ナイーブな一面も。ピンチではベンチ裏でたばこを吸って気を紛らわせた。

 「山あいの子供たちに一度でいいから大海(甲子園)を見せてやりたかったんじゃ」。校内には名言が刻まれた石碑が建っている。世を去ってから12年がたつ今もファンの心に生き続けている。

※日付・年齢などは2013年6月26日掲載時のもの