致死率と死亡率を混同 危機煽るワイドショー|藤原かずえ 日本は世界の主要国に比べて死亡率が極めて低い。にもかかわらず、日本国民の日本政府への評価が低いのはなぜなのか。ひとつの理由が、常識的な安倍政権のリスク管理をワイドショーがヒステリックに罵倒し、情報弱者をミスリードしたことにある――。新型コロナをめぐる日本政府の一連の対応を、データとロジックで読み解く!日本モデルは成功したのか、それとも――。

「冬になると第2波の大きな波がくる」。怖い、怖いの“コロナの女王”は、国民の心配よりも、自分のテレビ出演がなくなることがいちばん心配なようで……

新型コロナはブラック・スワン

【新型コロナウイルス感染症 COVID-19】【危機 crisis】を克服するにあたって極めて重要になるのが、感染症がもたらす様々な【リスク risk】を合理的な【リスク管理 risk management】を行うことで最小に抑制することです。

しかしながら、過去の原発事故や豊洲市場の問題と同様、今回のケースにおいても、リスク管理に関する無理解から発生する不合理な俗説が散見され、日本社会が不必要に混乱しています。何よりも危惧されるのが、経済リスク対応が非常に軽視され、「命をとるか金をとるか」という文脈で悪魔化されていることです。本稿では、新型コロナ危機に対して日本がとるべきリスク管理の考え方について論じてみたいと思います。

本論を展開する前に、まずはリスクとリスク管理に関する基本概念を簡潔にまとめておきたいと思います。

リスクとは、【ハザード=危機的要因 hazard】から【ペリル=危機的事象 peril】が生起することで発生する【損害 damage】【期待値 expectation】のことです。特定の【生起確率 probability】に従うペリルの生起から損害発生までのシナリオは【リスク・シナリオ risk scenario】と呼ばれます。リスクは次式で定義されます。

リスク = ペリルの生起確率 × ペリルによる損害

リスク管理とは、リスクの【不確実性 uncertainty】をコントロールする意思決定プロセスのことであり、【リスク評価 risk assessment】とそれに基づく【リスク対応 risk treatment】で構成されます。

リスク評価は、事実に基づきリスクを定量化する科学的プロセスであり、リスク・シナリオを発見する【リスク特定 risk identification】、ペリルの生起確率と損害を分析する【リスク分析 risk analysis】、および期待値を算出して査定する【リスク査定 risk evaluation】という3つのプロセスに分けられます。

また、リスク対応は、リスク評価の結果と社会の意思の総合的判断に基づき対策を選択する意思決定プロセスであり、ペリルの発生を抑止する【リスク回避 risk avoidance】、ペリルの発生を抑制する【リスク低減 risk reduction】、リスクを分担して受容する【リスク分担 risk sharing】、リスクを受容する【リスク保有 risk retention】の4つの対策に分けられます。

リスク対応において社会の意思を反映するにあたっては、リスク評価を社会に十分説明して、リスク対応への社会の合意を形成することが重要となります。この合意形成プロセスを【リスク・コミュニケーション risk communication】と言います。

さて、ここまでは予測可能な不確定事象に対するリスク管理について説明しましたが、現実世界では9・11テロ、サブプライムローン危機、福島原発事故など、予測が不可能あるいは極めて困難で社会に破滅的な影響を与える「極めて稀で重大な不確定事象」が生起することがあります。ナシーム・ニコラス・タレブは、この事象を【ブラック・スワン black swan】と名付けました。このブラック・スワンが発生した場合には、その存在を前提とした徹底的な【危機管理 crisis management】を展開する他ありません。

矛盾した中国共産党の勝利宣言

ここでリスク管理の観点から、今回の新型コロナ危機を概観したいと思います。

1月20日に新型コロナウイルスのヒトヒト感染を認めた中国共産党は、感染爆発が起こっていた武漢を1月23日に封鎖しました。これは、中国国内での感染拡大というペリルの発生を抑止するリスク回避策です。

しかしながら、この段階ですでに多くの市民が武漢を離れていたため、中国全土に感染が拡大してしまいました。そこで中国共産党は、徹底的な監視態勢により市民間の接触を禁じることで感染を抑止するという第2のリスク回避策を展開しました。

その結果、中国の感染は概ね収束するに至り、中国共産党は高らかに勝利宣言しました。ただし、この勝利宣言には大きな矛盾があります。

中国共産党の発表によれば、感染者数は武漢が位置する湖北省を除いて10万人に0.5人程度(湖北省は10万人に100人以上)に過ぎず、集団免疫を獲得できているレベルではありません。それにもかかわらず、新規感染者がほとんど報告されないのは蓋然性が低すぎます。湖北省でさえ、集団免疫を獲得するには公式発表の数百倍の感染者が必要になります。その意味で、中国共産党は自国民を感染リスクに晒し続けていると言えます。

さて日本では、1月中旬に感染者の存在が判明しており、中国共産党が武漢を封鎖する前の段階で武漢から訪日した感染者が、日本各地にウィルスを運び入れたものと考えられます。

中国メディア・第一財経は、武漢発の航空機の座席数から、昨年12月30日~本年1月22日の期間における武漢からの訪日者は約1万8千人であったと推定しています。1月下旬に武漢から日本へ帰国したチャーター機内での感染率が1.4%であったことを考えれば、感染初期のこの期間に200人程度の感染者が訪日していた可能性があります。

1月中旬に東京の屋形船の従業員に感染させた武漢からの観光客や、1月中旬にバスツアーで運転手とガイドに感染させた武漢からの観光客がこれにあたります。しかしながら、中国共産党が情報隠蔽していたこの段階ではリスク特定すら困難であり、日本政府のリスク対応は不可能であったことは自明です。

感染を遅らせた“日本モデル”

中国共産党は、春節のホリデイシーズン前の1月23日に武漢を封鎖、続いて中国国民の海外団体旅行を禁止しました。日本政府は湖北省からの訪日者を1月31日から拒否し、次いで浙江省からの訪日者を拒否しました。先月号でも書きましたが、この日本政府の措置に対して、たとえば『羽鳥慎一モーニングショー』の玉川徹氏などは、「なぜ中国全土を止めないのか」「中国から感染者がどんどん入って来ている」として安倍首相を徹底的に罵倒しました。

しかしながら中国からの訪日者数の観測値を基に確率計算をすれば、感染者が訪日する確率は2月の1カ月で0.1人程度であり、仮に10倍感染者がいたとしても1カ月で1人程度が訪日するという期待値になります。これは、すでに2月末の段階で200人以上の感染者が存在した日本においては誤差に近い値です(そもそも2月末の中国の感染率は、4月中旬の日本の感染率の十分の一のレベルでした)。

また、クラスター対策班が確定した湖北省からのウイルス輸入例は全11例、そのほとんどが1月中に確認された武漢からの訪日者であり、最後の確定例は2月5日です。つまり、日本政府は湖北省と浙江省を入国制限するというリスク対応で、中国から感染者が訪日するリスクをほぼ回避したものと考えられます。

政府・専門家会議・保健所・自治体・地方衛生研究所・感染症研究所・検疫所・クラスター対策班で構成される日本チームは、2月初旬からのクルーズ船対応で得られた知見を有効活用して、いわゆる対策の日本モデルを構築し、【決定論的手法 deterministic approach】で次々とクラスターを潰して、実効再生回数を1未満まで低下させました。

世間から徹底的に罵られた安倍政権ですが、日本チームは見事に感染を遅らせて、先進主要国のなかで最低の死亡率を実現したのです。その意味で、武漢から来襲した第1波の新型コロナ危機はブラック・スワンではありませんでした。

中国以外からの流入でまさかの事態に

しかし、そんな成功も束の間、3月中旬からはそれまでとは比較にならない数の感染者が、中国からではなくヨーロッパ、エジプト、アジアから「どんどん流入」してきました。

観測された輸入症例は、1月中旬から2月初旬までの1カ月では中国からの11例+不明1例の計12例でしたが、3月に入ると主としてヨーロッパ、エジプト、アジアから第1週:7例、第2週:35例、第3週:69例、第4週:58例と約15倍に増えてしまいました。

特に3月11日のWHOによるパンデミック宣言後は、感染流行国からの帰国者が激増したと言えます。

領域におけるノイマン境界条件がこれだけ増えれば、感染が急速に拡散するのも無理はありません。実際に、3月下旬から東京を中心に新規感染者が増加していきます。この失敗の原因は、中国以外からの流入というリスク特定ができなかったことによります。

皮肉にも、中国からのフライトの乗り入れを1月末に停止した英・仏・蘭・独・伊など、EUの国々の水際対策は、安倍政権の水際対策を批判した人たちからは絶賛されていました。しかしながら、この措置は、域内を自由移動できるEUではザルのような制限に過ぎませんでした。

中国を危険視してEUを安全視した錯覚は、まさに小さなリスクに執着して大きなリスクを見逃す【1次バイアス primary bias】の典型例です。また、同様に2月1日に中国全土からの渡航者に対して入国を拒否した米国も絶賛されました。しかしながら、米国もEUからの感染者の流入を軽視していたため、リスク回避に失敗して感染爆発を起こしてしまいました。

いずれにしても、日本も欧米もリスク特定を失敗しました。そして、そのリスク特定の失敗につけ込んで襲いかかってきたのが真性のブラック・スワンです。ブラック・スワンの提唱者タレブは、新型コロナ危機は予想可能な事象でブラック・スワンではないとしていますが、欧米を極めて短期間に余儀なく無力化して甚大な被害を与えた感染爆発は、彼の言うブラック・スワンそのものです。東京五輪延期の原因も東京の感染爆発ではなく、世界の感染爆発にありました。

致死率と死亡率の混同

【図1】世界各国の死者数の状況、日本は一番下(フィナンシャルタイムズより)

リスク査定の観点から見ると、最も多発している初歩的誤りは、感染の程度を「感染者数の人口比率」ではなく「感染者数」で査定していることです。当然のことながら、確率計算を伴うリスク評価において、ある集団の特性を査定する場合、その集団における特性保有者の比率である「感染率」を代表値とすべきです。たとえば、4月5日の段階で最も感染率が高い都道府県は、東京都ではなく福井県です。また、神奈川県は感染者の絶対数では全国3位ですが、感染率は13位です。

ちなみに、「浙江省の感染者数は、湖北省・広東省・河南省に次いで4位なのに、なぜ日本政府は湖北省と浙江省だけを入国制限したのか」という一部の政府批判も、同様の初等的誤りです。人口10万人あたりの感染者数は、広東省は1.2人、河南省は1.4人であり、浙江省の2.2人と比べて大きな開きがあります。日本政府が浙江省から優先的に入国制限したのは、極めて常識的なリスク低減策です。

もう一つの主要なリスク査定の初歩的誤りが、「致死率=死者数/感染者数」と「死亡率=死者数/人口」の混同です。

新型コロナ危機において一般市民が必要とするリスク査定の値は死亡率であり、致死率ではありません。日本は世界の主要国と比べて死亡率が極めて低く、致死率がやや高くなっています。死亡率が極めて低いのは、日本のリスク管理が機能している証左です。致死率がやや高いのは、必要な患者に医療リソースを充てるために、PCR検査をスクリーニングに使わずに偽陽性率を低く抑えたためです。
『羽鳥慎一モーニングショー』や『サンデーモーニング』は、ドイツの致死率が日本よりも低いとして、ドイツを絶賛して日本を批判しましたが、肝心の死亡率については、ドイツは日本よりも数十倍高い値で推移しています(4月中旬現在)。まさに、テレビ番組が日本の危機を煽るために無理やり致死率に着目してミスリードしている可能性があります。

英フィナンシャルタイムズは、世界各国の感染状況を比較するため、各国で死者数が10人を超えた時点からの死者数の時系列変動を1つのグラフに示しています(図1参照)。このグラフにおいて、縦軸は死者数、横軸は時間を表しています。

日本は、感染源の中国にとって最大の訪問先であり、武漢封鎖前に世界で最も多くの感染者が流入してかなり早期からウイルスの感染が始まっていましたが、それにもかかわらず、感染による死者数およびその増加割合は、世界の主要国のなかで最低レベルです。新規感染者数の伸びもゆるやかであり、4月中旬現在で感染爆発を抑止していると言えます。

なぜ日本は政府への評価が低いのか

この成功の要因として考えられる仮説としては、①重症化を防ぐ日本モデルが機能している②日本国民の公衆衛生に対する意識の高さが感染伝播率を下げている③日本国民は重症化を防ぐ抗体を有している(BCG説)などが挙げられます。

そんななかで、日本国民が政府のリスク対応を肯定的に評価しているかとなると真逆です。

《各国の世論調査機関が加盟する「ギャラップ・インターナショナル」が実施した調査で、新型コロナウイルス感染拡大に「自国政府はうまく対処していると思うか」との質問に「思わない」「全く思わない」と答えた日本人は合わせて62%に上った。「とても思う」「思う」は23%にとどまり、回答した29カ国・地域中28位だった》(産経新聞四月十日付)

このように、日本国民の日本政府への評価が異常に低い要因としては、①日本政府のリスク・コミュニケーション能力の低さ、および②ワイドショーや一部SNSによる事実に基づくことのない日本政府への理不尽な罵倒への同調が考えられます。

まず、日本政府のリスク・コミュニケーション能力の低さは深刻なレベルです。特に、リスク・コミュニケーションの大前提となる専門家によるリスク評価(たとえば「接触8割減」の評価方法)を詳細に明示しないことには大いに問題があります。

また、厚労省による日々の感染データのインターネット広報についても、不親切極まりない絶望的なレベルです。図示がほとんどなく、数字や文字の羅列に終始しているために、極めて理解しにくいばかりか、情報の探索も極めて困難です。

リスク対応についても単なる発表に終始して、その意思決定プロセスが極めて曖昧な状況となっています。情報化時代のいま、この問題に限らず、政府は国民への行政サービスのために、本格的な総合ポータルサイトを開設し、迅速かつわかりやすい情報公開を行うべきです。

一方、この異常な低評価の最も大きな原因は、ワイドショーや一部SNSが個人的な確信や思い込みを根拠にして、実際には非常に常識的な安倍政権のリスク管理をヒステリックに罵倒して、情報弱者をミスリードしたことであると考えます。

特にありがちな罵倒が、新たな情報を得ることで対応を逐次確認・修正する【情報化戦略 observational method】を展開する日本政府を、戦力を逐次投入して失敗した旧日本軍と同一視してバカにするものです。情報環境とデータ・プロセッシング能力が貧弱であった遠い過去の一例を根拠にして情報化戦略を否定するなど、思考停止も甚だしい暴論です。

「経済よりも命」というありがちな主張

キメ細かくリスク・ヘッジすることなしに勇ましく全戦力を投入する戦略は、リスク対応としては前時代的な無謀な賭けに他なりません。現代では【リスク・ベネフィット分析 risk benefit analysis】に基づいて、戦術の【ポートフォリオ portfolio】を合理的に構成するのがリスク対応の常識であり、むしろ必要な個所に戦力を適切に投入することが求められます。

新型コロナ事案に関する英インペリアル・カレッジ・ロンドンMRCセンターの報告書は、このようなメディアの悪影響を強く問題視しています。

基本的に新型コロナ危機に対処する方法は、ワクチンが開発されて集団免疫を獲得するまで、感染を遅らせることしかありません。しかしながら、緊急事態宣言を乱発して必要以上に自粛を促すことも、また生命を脅かすリスクとなります。

なぜかと言えば、長期にわたる生産活動の停止が引き起こす経済危機によって、現在観測されているような新型コロナによる死者とは比較にならないほど多くの経済弱者が大量に自殺する可能性があるからです。

現在まで死者数が低く抑えられている日本において、経済危機による自殺は今後最大の悲劇になりかねません。「経済よりも命」というありがちな主張は、実質的には「経済で死ぬ人よりも新型コロナで死ぬ人を助ける」ことを意味する無責任なゼロリスク追求です。

リスク対応の戦略として求められるのは、新型コロナ患者に適切な医療を提供する(医療崩壊を抑止する)ことを絶対的な制約条件としたうえで、感染による死と経済危機による死を最小化するリスク低減戦略に他なりません。

安倍政権で自殺者が1万人も低下

【図2】失業率と自殺者の関係

非常に重い内容ではありますが、自殺は社会の究極の苦悩が発現したものです。自殺者をとりまくミクロな環境が自殺のトリガーとなりますが、そのようなミクロな環境は、マクロな社会環境が背景となって生じているのがほとんどです。このため、マクロな環境を表す指標値と自殺者数の間には一定の相関関係が認めらます。そのなかで、自殺者数と最も相関性が高いのが失業率です。

図2は、失業率と自殺者の関係を示した散布図です。時系列が追えるように各年のプロットを線で結んでいます。

グラフを見ると、小泉政権と民主党政権の時代に失業率が高く、自殺者も高い数値を示しています。小泉政権や民主党政権のような効率至上主義の小さな政府の政策は、経済効率に基づいて事業を仕分けるものであり、失業者の発生を許容するものです。この2つの政権時に自殺者数がもっとも多かったことは、理に適っていると言えます。

一方、安倍政権のような金融政策に踏み込み、財政出動をコミットする適度に大きな政府の政策は、雇用機会を増やして職に就いていない国民に雇用を与えるものであり、失業率は低下します。事実、安倍政権は失業率を1980年代のレベルまで奇跡的に低下させ、民主党政権時代に約3万人/年いた自殺者を、2019年までに約2万人/年まで低下させました。

この差である約1万人という数字は、年間交通事故死亡者数(2019年:3,215人)の約3倍の値です。安倍政権は、すでに数万人の日本国民の命を救っているのです。

特に、経済・生活要因の自殺者数は約3,400人/年となり、民主党政権時代と比べて半減しました。これは、多くの人が職に就くことによって、人間の幸福度に大きな影響を与えるとされる「小さな幸せ」を実感できたことによるものと考えます。

野党は、安倍政権を「金持ち優遇の独裁政権」と宣伝していますが、実際には安倍政権こそ、「自ら命を絶つ究極の弱者に寄り添った真のリベラル政権」であり、究極の弱者を切り捨てて自殺に追い込む社会を作っていたのは民主党政権であったと言えます。

今回の新型コロナ危機への緊急経済対策においても、安倍政権は所得が急減した経済弱者を集中して救済する考え方を示しています。私たちが忘れてはいけないのは、失業率が1%上がると、自殺者が約4千人増える可能性があるということです。もちろん、マクロ経済には国民全体の経済活動が寄与するので、次には経済弱者以外に対する購買喚起対策が必要なことは言うまでもありません。

しかしながら、緊急経済対策の第1弾として、生命リスクの低減に最も効果的な雇用確保をしっかりとおさえたことは評価できると考えます。

ちなみに、IMFは新型コロナ危機の影響で2020年の世界の実質成長率をマイナス3.0%、日本の実質成長率をマイナス5.2%と予測。これは極めて深刻な値です。2009年の日本の実質成長率はマイナス5.4%でしたが、このとき失業率は1.1%増えています。自殺者が4千人増えるリスクは、けっして架空のものではありません。

民主主義国の日本がとるべき道

ワクチンの完成までに今後1年ないし2年が必要なことを考えれば、それまでの間に医療崩壊が発生しないように重症者の発生を抑制する必要があります(「感染者」の発生ではなく「重症者」の発生であることに注意)。このためには、現在行われている感染リスクの低減対策だけに頼るのではなく、感染者に対する早期治療薬の投与を加えた重症リスクの低減対策を充実させるべきです。

一方、この制約条件の下で経済的損失を最小化するよう経済活動の自粛制限の最適化が重要になります。集団免疫を獲得しない限り、自粛で感染率を一時的に低下させても、自粛を終了すれば感染率は再び上昇します。このため、事業タイプごとに自粛の効果を定量化し、その必要性を見極めることが重要です。

また、感染の伝播率(ウイルスの伝播しやすさ)を低減させる方策(「3密」の回避等)の充実も重要です。接触率(ウイルスとの接触の頻度)を上昇させても伝播率を顕著に低下させれば、感染率を抑制することができます。

いずれにしても、感染対策と経済対策は、一方を強引に推進すれば一方を崩壊させる【トレードオフ trade-off】の関係にあります。したがって、両者の死亡リスクを最小化するためには究極のリスク・ベネフィット分析が必要になります。

日本政府は、ウイルス学の専門家のみならず計量経済学の専門家を活用することで分野横断型のリスク評価を行い、国民とのリスク・コミュニケーションを通して、適切なリスク対応を意思決定すべきです。これこそが、民主主義国の日本がとるべき道です。

(初出:月刊『Hanada』2020年6月号)

著者略歴

藤原かずえ

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