奈良のピラミッド伝説!少しミステリアスな物語とは…

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 毎週月~金曜日 ゆうがた5時30分から放送している奈良テレビの「ゆうドキッ!」。今回は様々な角度から奈良を知るエキスパート・奈良まほろばソムリエの大江さんに「奈良の雑学」を教えていただきました。

※この記事は6月1日に奈良テレビで放送された内容です。

今回のテーマは「奈良のピラミッドの伝説」です。皆さん、奈良にも「ピラミッド」があるのはご存じでしたか?

こちらが「奈良のピラミッド」と呼ばれるもので「頭塔」といいます。奈良市高畑にある国の史跡で、東大寺南大門の南・およそ950メートル、新薬師寺から西北・およそ700メートルに位置します。底面が四角形で7段に積まれ、土でできた塔です。この塔は奈良時代に造られたもので、平安時代に大きな台風により崩壊が進み、その後もずっと放置されていたのですが、昭和61年度から発掘調査と整備が行われて、今の姿になりました。

奈良にピラミッドって意外ですよね!ピラミッドといえばエジプトのイメージですが、何の為につくられたのでしょうか。

この塔は、聖武天皇の娘の孝謙(こうけん)天皇がお母さんの光明(こうみょう)皇后の病気平癒を願い造営したとされ、後に東大寺の二月堂の修二会やお水取りを始めた実忠(じっちゅう)和尚が塔身をもともとの3段から7段に変えたようです。復原整備は北半分だけして、南半分は復元前の元の姿をとどめているので、周囲をぐるっと回るとbefore/afterがよくわかります。

また、奇数段には瓦の屋根がついています。ここにはレリーフ(浮彫細工)や線で彫った石仏があり、全部で44体あったと推定されています。発掘前から表面に出ていた石仏のほか、発掘調査によって新たに見つかり、現在22体が重要文化財に指定されています。そして1体は郡山城の石垣に転用されています。

エジプトのピラミッドはファラオの墓だとか、そうでないとか…諸説あります。「奈良のピラミッド」は病気平癒を願って建てられたましたが、どうして「頭」の「塔」と書くかご存じですか?

この名前は「僧・玄昉(げんぼう)の首塚(くびづか)伝説」からきているようです。玄昉は奈良時代のお坊さんで政治家として活躍した人でした。しかしその後、福岡の寺に左遷されて、そのお寺の落慶法要(らっけいほうよう)、落成式の場で亡くなったそうです。この死は、玄坊の政敵ですでに反乱に失敗して殺されていた藤原広嗣という人の怨霊のしわざだという噂が広がりました。それがさらにエスカレートして物語化し「玄昉が法要を務めていると、にわかに空が曇り、雷が玄昉の上に落ち、首を取って雲の中へ入った。1年後【玄昉】と書かれたどくろが興福寺の庭に落ちた。それを弟子たちが拾って弔ったのが頭塔である。」という、まことしやかな伝説もできたのでした。

頭を葬ったから頭塔…エジプトのピラミッドは王族の墓というイメージですが、「奈良のピラミッド」は少しミステリアスなんですね!

とても珍しい「奈良のピラミッド」は「親孝行の病気平癒の塔」が、いつのまにか「怨念のこもった首塚」にかわってしまった、という昔話でした。見学をしてみたい方は、頭塔のすぐ近くにある「ホテルウェルネス飛鳥路(あすかじ)」さんのフロントにお声がけくださいね。

今回、ご紹介したストーリーを念頭に、一度足を運んでみてはいかがでしょうか?

※この記事は取材当時の情報です。