空前のロングセラー「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」そのチャート経緯を振り返る

1984年 6月4日 ブルース・スプリングスティーンのアルバム「ボーン・イン・ザ・U.S.A」がリリースされた日

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1位になれなかった先行シングル「ダンシン・イン・ザ・ダーク」

ブルース・スプリングスティーンの人気が爆発したのは、1984年6月にリリースされたアルバム『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』においてだった。それもただの爆発ではない。大爆発だ。

5月3日、アルバムに先駆けて発売されたシングル「ダンシン・イン・ザ・ダーク」は、ラジオでオンエアされるや、力強いドラムとシンセサイザーのリフに乗せて歌うブルースの歌声が、瞬く間に多くのリスナーの心を掴んだ。くすぶった気持ちを綴った歌詞も秀逸だった。

5月26日付のビルボード誌ウィークリーチャートで36位に初登場すると、翌週以降は18位 ⇒ 14位 ⇒ 9位 ⇒ 4位とジャンプアップし、6月30日付チャートでは2位に到達。もう上にはデュラン・デュランの「ザ・リフレックス」しかなく、あとは抜き去るだけだった。

翌週、「ダンシン・イン・ザ・ダーク」は「ザ・リフレックス」を追い抜く。しかし、順位は2位のままだった。なぜか?それは「ダンシン・イン・ザ・ダーク」から約2週間遅れて発売されたある曲が関係していた。

プリンス&ザ・レボリューション「ビートに抱かれて(When Doves Cry)」。

5月16日にリリースされたこの曲は、6月2日付チャートで57位に初登場すると、翌週以降は36位 ⇒ 17位 ⇒ 8位 ⇒ 3位と驚異のジャンプアップを遂げ、7月7日付チャートで「ザ・リフレックス」と「ダンシン・イン・ザ・ダーク」をまとめて抜き去り、トップへ躍り出てしまったのだ。

「ビートに抱かれて」は、5週連続で首位をキープするにとどまらず、年間チャートでも第1位を記録することになるので、これはさすがのブルースも相手が悪かったと言わざるを得ない。結局、「ダンシン・イン・ザ・ダーク」は「ビートに抱かれて」の後塵を排し、4週連続で2位を続けた後、レイ・パーカー Jr. の「ゴースト・バスターズ」にも抜かれるというおまけ付きで、チャートを下降していったのだった。

… と、シングルの話はこれでおしまい。次にアルバムチャートへ目を向けてみよう。本題はここからである。

アルバム対決、プリンス「パープル・レイン」との激戦!

「ダンシン・イン・ザ・ダーク」の大ヒットを受けて、ブルース・スプリングスティーン待望のニューアルバム『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』は、1984年6月4日に満を持してリリースされた。6月23日付のアルバムチャートに9位というハイポジションで初登場すると、翌週は3位、翌々週の7月7日付チャートで早くも第1位を獲得する。もう上には誰もいない。あとはトップを独走するだけだった。

『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』は、勢いそのままに4週連続で1位をキープする。しかし、どういうわけか5週目で2位に落ちてしまう。なぜか? それは『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』から3週間遅れて発売されたある作品が関係していた。

プリンス&ザ・レボリューション『パープル・レイン』。

6月25日に発売されたこのアルバムは、7月14日付アルバムチャートに11位で初登場すると、翌週は3位、翌々週は2位とランクアップし、8月4日付チャートで『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』を抜き去り、第1位を獲得してしまう。「うぐぅ、またしてもプリンス…」である。

しかし、『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』は、その後もぴったりと『パープル・レイン』に貼り付き、離れようとはしなかった。そう、ブルース・スプリングスティーンはアルバムアーティストなのだ。シングルの時のようにはならない。そのうち息切れしたプリンスを抜いて、再びトップに返り咲くだろうと僕は思っていた。そして、それは現実となる。

ただ、これが長かった…。プリンスもさる者引っ掻くもの。待てど暮らせどトップの座を明け渡す気配がない。いつしか夏が終わり、秋になり、その秋も去り、冬が来て、紅白歌合戦がエンディングを迎え、除夜の鐘も鳴り止み、「あけましておめでとう!」と家族で新年を祝った時も、『パープル・レイン』は1位であり、『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』は2位であり続けた。

でも、遂にその日はやって来た。1985年1月19日付チャートで『ボーン・イン・ザ・U.S.A』は『パープル・レイン』を抜き去り、実に25週振りにトップへ返り咲いたのだ。この時の僕の気持ちが想像できるだろうか?「ばんざーい!ばんざーい!」。

次なる対決、マドンナ「ライク・ア・ヴァージン」の猛追!

しかし、この幸せも長くは続かなかった。『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』は3週連続で首位をキープするも、破竹の勢いでチャートを駆け上がってきたアルバムにその座を明け渡すことになる。

マドンナ『ライク・ア・ヴァージン』。

あんなに辛抱強く待ち続け、やっとまた1位になったのに…。僕は肩を落とし、「もう少しゆっくりさせてくれよ…」と思ったものだった。

けれど、ここから僕はブルース・スプリングスティーンの本当の凄さを思い知ることになる。『パープル・レイン』が姿を消し、『ライク・ア・ヴァージン』も去り、何枚ものアルバムが入れ替わり立ち替わり1位になっては消えていったが、『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』だけはトップテンに居座り続けたのだ。

発売から1年が経った1985年6月、プリンスの次のアルバム『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』が1位を獲得した時も、『ボーン・イン・ザ・U.S.A』はまだ3位にいた。これはなかなか痛快だった。「そっちはアルバムが2枚必要かもしれないけど、こっちは1枚で十分だぜ」と、ほくそ笑むことができたから。

たゆみなきブルース・スプリングスティーン、84週連続トップテン入り!

結局、『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』は、1985年を通じて1度もチャートのトップテンから落ちることはなかった。春夏秋冬がひと回りし、紅白歌合戦は再びエンディングを迎え、除夜の鐘も鳴り止んで、「あけましておめでとう!」と家族で新年を祝った時も、このレコードは売れ続けていたのだ。そして、この年の年間アルバムチャートでは見事、第1位に輝いている。

1986年2月1日付のチャートでようやく11位にランクを下げたが、実に84週連続でトップテン内にいたことになる。売上枚数は全米だけで約1,500万枚。これは『パープル・レイン』の約1,300万枚を上回る。また、アルバムからは7曲がシングルカットされ、すべてトップテンにランクインしている。

それにしても、どうしてこんなに売れたのだろう? もちろん素晴らしい作品だし、タイミングが合ったということなのだろうが、こういう度を超えた大ヒットというのは、得てして説明がつかないものだ。ブルース自身も「これほどまでの大反響を引き起こすとは予想していなかった」と語っている。おそらく理由など誰にもわからないのだ。

※2019年6月2日に掲載された記事をアップデート

カタリベ: 宮井章裕