遺族「風化させない」 市民ら、防災への誓い新たに 島原各地で追悼行事

「慰霊の鐘」が響く中、テントの中で普賢岳に向かい黙とうをする遺族ら=3日午後4時8分、島原市の北上木場農業研修所跡

 43人が犠牲となった雲仙・普賢岳の大火砕流から29年となった3日、被災地の島原市は各地で追悼行事があり、犠牲者を悼む人々の鎮魂の祈りが広がった。「これからも見守って」「風化させない」。遺族らは癒やされない悲しみ、苦しみの思いに包まれ、市民らは災害体験の継承や防災への誓いを新たにした。
 消防団員の詰め所だった北上木場町の北上木場農業研修所跡では、追悼法要が営まれた。29年前と同じ雨模様の中、大火砕流が発生した午後4時8分、サイレンや鐘の音に合わせ、遺族らが厚い雲に覆われた普賢岳に向かって目を閉じた。
 消防団員だった父、井上康弘さん=当時(38)=を亡くした長男の康一さん(33)が慰霊の鐘を打ち鳴らした。遺族の山下睦江さん(64)は孫を抱きながら黙とうし、犠牲になった夫の日出雄さん=当時(37)=に「これからも見守ってね」と呼び掛け。30年に向け「地域を守るために亡くなったことを忘れることなく、防災意識につなげてほしい」と願った。
 仁田団地第一公園(仁田町)に設けられた献花所には、早朝から多くの市民らが訪れた。消防団員の兄、大町安男さん=当時(37)=を亡くした芳生さん(59)は「全国で災害が報道されるたびに、普賢岳の噴火と兄のことを思い出す。もう29年たつのか」と感慨にふけった。島原中央高も全校生徒と教職員で千羽鶴を折り、追悼之碑に手向けた。
 平成町の消防殉職者慰霊碑では、市消防団の団員11人らが祈りをささげた。安中地区の小場博明副団長(44)は「ここに立つと身も心も引き締まる。地域防災の“防人(さきもり)”として命懸けで仕事をされ、亡くなった先輩団員12人。その精神を若手に継承していく。決して風化させない」と力を込めた。

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