SNSが社会を動かす時代 ズレた発言をする「その他大勢」の人たち 誹謗中傷を受ける人たちの気持ちとは?

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検察庁法改正の議論や誹謗中傷が原因と思われるプロレスラーの自殺。SNSが一般化して、いよいよ社会に大きな影響を与えるまでになってきました。その中で私は「その他大勢」から発せられる言葉に違和感を持つことが多くあります。

まず、検察庁法改正の議論について。こちらはSNSでタレントや歌手など、普段は政治に言及しない人たちが「#検察庁法改正案に抗議します」などと発言し話題に。

特に、歌手のきゃりーぱみゅぱみゅさんがツイートしたことは、大きな注目を集めました。

これに対し、改正を進めたい側からは「政治を知らない歌手は、政治に口出しをせず歌だけ歌ってろ」といった反論。さらにそれに対し、その他大勢も加わって「知らなくても口出しをしていいのが政治」といった主張が多く見られました。私も確かに、知らなくても口出しをしていいのが政治だとは思います。

しかしここで、私は「その理論だと、歌手じゃない政治家は、歌がいいとか悪いとか言うなよ」と思っていました。もっと言うなら「料理人でもないなら、飯の美味い不味いにも言及するなよ」と思っていました。けれども、そうした意見は寡聞にして全く見ることがありません。

社会は、人がそれぞれがの役割を果たし、お互いに補完しながら成り立っています。「知らない者は口を出すな」という態度は、それを壊すような考え方です。知らない者からの、称賛・指摘・批判・無視をしっかり見ながら、役割を高めていくのが成熟した社会だと思うのです。

別の話題では、その批判が誹謗中傷にまでなりました。ここでも、その他大勢の意見が気になります。

亡くなった木村花さんのSNSには、多くの誹謗中傷が投げつけられていました。一方で、木村さんを応援する人たちからは「あんなコメント、気にしないでいいからね!」という擁護の声が多数。

私も、他の方に比べれば大したことはないものですが、誹謗中傷の的になったことがあります。その時にも、応援してくださる方からは「あんなコメント、スルーしましょう!」と励ましの言葉をいただきました。

お気持ちだけはありがたく頂戴しましたが、この「気にしないで」は、誹謗中傷を受けている側との大きなズレがあるように感じます。

このような励ましをくださる方は、誹謗中傷コメントを「今飛んできている弾」だと思っています。しかし、実際のところそれは「すでに当たってる弾」なのです。

すでに、銃弾が当たって怪我をしている人に「気にするな」とは言わないけど、なぜか誹謗中傷コメントだと、そう見えるようです。

さまざまな社会の動きに対して私たちは、当事者やその他大勢になりながら、SNSを使っています。簡単に発信はできますが、あとほんのわずかな思慮を持った上で発言できればと願ってやみません。自戒もこめて。(文◎Mr.tsubaking)

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