草野マサムネも憧れたアースシェイカー、ギターを握りしめた18の日々 1984年 6月5日 アースシェイカーのファーストシングル「モア(MORE)」がリリースされた日

ジャパメタシーンで異彩を放っていたアースシェイカー

「ジャパメタ」という響きに、僕は強烈に80年代を感じる。所謂「ジャパニーズメタル」を略した言葉だが、それは当時ネガティブな意味合いで使われたように思う。

へヴィメタル、ハードロックは洋楽至上主義の風潮が強く、多くの日本のバンドは欧米勢を模倣して技術を磨き、ジャパンクオリティというべき精巧なメタルを追求した。しかし、それは一般のロックファンへ広くアピールする観点とは離れたものだった。

そんなシーンで異彩を放ったのがアースシェイカーだった。

83年のデビュー作を初めて聴いた僕は、ヴォーカルのマーシーこと西田昌史の圧倒的な歌唱力にまず驚かされた。僕の地元である北九州市小倉でデビュー直後のライヴも体験し、レコードすら超えるその歌唱と迫力ある演奏に打ちのめされていった。

堂々と歌う西田昌史の歌唱、英語を極力使わない歌詞

当時高校生の僕はバンド活動に夢中で、ギターを担当し彼らの楽曲をコピーするようになった。ギタリストのシャラこと石原慎一郎のプレイには歌心があり、バンドとしても正直コピーが比較的容易だったのだ。自分にも演奏できる!という事実が僕たちをより夢中にさせた。

そんな人たちは多かったようで、地元のライヴハウス、小倉イン・アンド・アウトに出演したバンドの多くが、シェイカーの楽曲、しかもなぜかセカンドアルバム収録の「モア(MORE)」を演奏したのを覚えている。この曲のイントロのギターフレーズは、恐らくジャパメタ史上最も聴かれた、そして “弾かれた” フレーズだと思う。

ゆっくりした譜割りで堂々と歌うマーシーの歌唱は、どの曲でも日本語の一つひとつが耳に入ってくる。初めてなのに一緒に歌えてしまう、そんな感覚だ。

また、当時のジャパメタでは異例な英語を極力使わない歌詞―― たとえば、「モア」の 「♪ knife をにぎりしめた 18の日々が甦る」なんてフレーズは、欧米のメタルを追いかけたシンガーにはなかなか書けないだろう。

スピッツの草野マサムネもライヴに通ってコピーしていた!

彼らは風貌こそ典型的な長髪ヘビメタ野郎だったが、歌詞にせよ、歌メロにせよどこか歌謡曲チックであり、のちの J-ROCK、J-POP 的な要素をメタルやハードロックに絶妙に織り交ぜ、彼らだけの “キャッチーで誰もが歌えるハードなロック” を生み出した。

メタルなんて絶対聴かない僕の友人たちでさえ、シェイカーだけは受け入れていたほどだ。ファン層の裾野を広げた彼らは「ラジオ・マジック」というヒットを生み出し、86年には日本武道館公演を成功させることになる。

そういえば、あのスピッツの草野マサムネもアースシェイカーのライヴに通い、バンドでコピーしていたというエピソードは実に興味深い。

“ヘビメタ” を意識させることなく、ジャンルの壁を越えて一般のロックファンにもその存在をアピールしたアースシェイカー。僕には “ナイフ” ならぬ “ギターを握りしめた18の日々” を与えてくれた。オリジナルメンバーで活動を続ける彼らが残した楽曲の数々は、今の時代でも色褪せない。

さて、久しぶりにカラオケに行って「モア」でも歌ってみようかな。

カタリベ: 中塚一晶

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