ラグビー大野均さん 民報スポーツ大賞

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 福島民報社は、ラグビー元日本代表で歴代最多の九十八キャップ(出場試合数)を誇り、ワールドカップ(W杯)に三大会連続で出場した大野均(ひとし)さん(42)=郡山市出身=に福島民報スポーツ大賞を贈る。前線のフォワード(FW)陣の中核を担うロック(LO)として日本代表を支え、五月に現役引退を発表した。倒されてもすぐ立ち上がる献身的なプレーを通して、東日本大震災と東京電力福島第一原発事故からの復興を目指す県民に勇気と感動を届けた。後日、贈呈式を行う。

 大野さんは穂積小、三穂田中(郡山市)から清陵情報高(須賀川市)を経て、日大工学部(郡山市)に進み、ラグビーを始めた。同大を卒業し、二〇〇一(平成十三)年に東芝府中(現東芝)入りした。

 豊富な運動量と一九二センチ、一〇五キロの日本人離れした体格を生かし、スクラムや空中でのボール処理で力を発揮した。強烈なタックルを武器に十九年間にわたりチームを引っ張った。日本選手権で三度、国内最高峰のトップリーグでは五度の優勝に貢献した。

 日本代表では二〇〇四年五月の韓国戦で、国際試合の出場数を表す「キャップ」を初めて獲得。二〇一六年五月のスコットランド戦で九十八まで伸ばした。二〇〇六年以降、主将を務めたこともある。W杯には二〇〇七年フランス、二〇一一年ニュージーランド、二〇一五年イングランドの三大会連続で出場した。

 三十七歳で迎えたイングランド大会は主力で活躍した。一次リーグ初戦の南アフリカ戦に先発し、歴史的勝利を果たした。W杯未勝利だった日本代表は同大会で三勝を挙げた。代表強化の一環で、南半球の強豪国のプロチームが競うスーパーラグビーの日本チーム、サンウルブズでもプレーした。

 日本のラグビー界を代表する選手として存在感を示し、「キンちゃん」と周囲から慕われてきた。常に体を張り、ひたむきにタックルを繰り返す姿は、震災、原発事故から復興に向けて歩む多くの県民を励ました。

 ■県民の姿励みに走り続けられた

 大野均さん談話 名誉ある賞を頂き、大変光栄に思います。どんな困難に見舞われても、常に立ち上がり前に進む福島県の皆さんの姿に勇気を頂き、ここまで走り続けることができました。

 今後はラグビーやスポーツを通じて県民の皆さまを盛り上げられるよう貢献していきたいと考えています。

 ■受賞は4人目

 福島民報スポーツ大賞は国内外の主要な大会で活躍し、県民に感動と誇りを与えた選手や団体、指導者を対象にしている。大野さんは四人目。

 二〇〇四(平成十六)年アテネ五輪の自転車トラック男子チームスプリントで、伏見俊昭選手(白河実高出身)が銀メダルを獲得したのを契機に創設した。

 伏見選手をはじめ、二〇一六年の飛行機の世界最高峰レース「レッドブル・エアレース・ワールドチャンピオンシップ」第三戦で日本人初優勝を飾った室屋義秀選手(福島市在住)、二〇一八年の世界バドミントン選手権で日本勢初の男子シングルス優勝を果たした桃田賢斗選手(NTT東日本、富岡高出身)をたたえている。