2008年セブリング12時間に挑んだ魅力的なプライベーター製マシンたち【日本のレース通サム・コリンズの忘れられない1戦】

 スーパーGTを戦うJAF-GT見たさに来日してしまうほどのレース好きで数多くのレースを取材しているイギリス人モータースポーツジャーナリストのサム・コリンズが、その取材活動のなかで記憶に残ったレースを当時の思い出とともに振り返ります。

 今回は2008年のALMSアメリカン・ル・マン・シリーズ開幕戦として開催されたセブリング12時間レースをピックアップ。セブリング12時間初参戦のプジョー908 HDi FAPとアウディR10 TDIがル・マン24時間前に直接対決した1戦ですが、コリンズはプライベーターが持ち込んだニューマシンに心惹かれていたようです。

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 セブリング12時間レースは、世界でもっとも偉大なレースのひとつだ。崩れかけた古い空港の滑走路を改修したコースが舞台で、以前は誘導路と連絡通路だったエリアを使ったセクションは、世界でもっともタフな場所のひとつだと言われている。

 同じジャーナリストやレース好きのファンたちと、セブリングについて話をすると「セブリング12時間はル・マン24時間に匹敵するレースだ」という話になる。この話題にたどり着くのは、それが事実だからであり、だからこそ多くの強豪チームがル・マン24時間に向けた準備も兼ねて、セブリング12時間に挑んでいる。

 2008年にプジョー・スポールは、ル・マン24時間を見据えた準備としてセブリング12時間参戦を決めた。アウディが走らせる2台のアウディR10 TDIと戦うべく、大型の5.5リッターV型12気筒ディーゼルエンジンを搭載したプジョー908 HDi FAPを1台投入したのだ。

2008年のセブリング12時間を戦ったプジョー908 HDi FAP

 当時、アウディは数年間に渡りアメリカン・ル・マン・シリーズにフル参戦していた一方、プジョーにとってはこれが初のセブリング12時間であり、私にとっても初めてセブリング12時間を取材する機会だった。

 私はディズニーリゾートの本拠地でもあるアメリカのオーランドに飛び、空港でミッキーマウスの耳をつけた観光客の大群をかき分けて、ふたりのオランダ人カメラマンとひとりのスコットランド人カメラマンと落ち合った。そして我々はシボレーの“退屈なミニバン”のレンタカーで、セブリングに向けて出発した。

 アメリカでもっとも魅力的な場所というわけではないフロリダを1時間ほどドライブしてサーキットに到着し、取材用のパスを受け取った。その日はプラクティスセッションが行われていたが、我々は走行を見ずにサーキットから2キロほど離れたセブリングの街に向かった。

 セブリング12時間は決勝レースが始まるまでの準備期間も長く、プラクティスだけでも5日間に渡って行われる。そのため我々は取材をやり切るにはビールを確保する必要があるとの結論に至ったのだ。フロリダはパブの営業時間について非常に厳しい法律があり、ホテルでしっかり飲むために十分な量のビールを買っておく必要があった。

 我々が行ったのはアメリカの巨大スーパー、ウォルマート。そこには食料品はもちろん、スイミングプールや銃まで、なんでも売られていた。そしてビール売り場の中心で“味の薄い”アメリカンビールのケースに囲まれて埃を被っているクルマがあった。

 それはなんと古いパノスLMP07だった。あの風変わりなレーシングカーは意外な場所で悲しい最後を迎えていたのだ。私の知る限り、あのパノスLMP07は今もあそこにあるはずだ。

 ビールを確保したあと、我々はホテルへ向かったのだが、ホテルまではなんと55マイル(約89キロ)もあることが分かった。予約するために地図でホテルの場所を確認した際は近くに見えたのだが……。

 そのホテルへの道のりも、私がこれまで経験したなかでもっとも退屈なものだった。セブリングから南に約20マイル(約32キロ)ほぼ真っ直ぐに走る。完全に真っ直ぐで平坦な道に出たら右に曲がる。あとはホテルまで一直線だ。

 55マイルの行程でハンドルを切るのはたった1回、また時速55マイル(約89キロ)という厳格な速度制限も設けられており、このドライブは新手の拷問のように感じられた。

 しかし翌朝、私たちは全員それぞれ違う理由で興奮しながらサーキットに向かおうとしていた。カメラマンたちは撮りたい写真のために入念な準備を重ねていたし、私は3台のニューマシンを見たくて仕方がなかった。

 実はアストンマーティンの新型GT2バンテージもセブリング12時間でレースデビューを果たすことになっていたのだが、輸送に時間がかかりマシンの到着が遅れていた。そのため、この新型GT2バンテージでレースに出場する予定だったイギリスの政治家ドレイソン卿は、かわりにGT3仕様のアストンマーティンDBRS9で出場することになっていた。

 個人的には、このGT2バンテージをチェックすることを楽しみにしていたのでがっかりしたが、それでもほかに3台のニューマシンがあることは分かっていて、それらを見ることが本当に楽しみだった。

 また、この時点で私は複雑な歴史を抱えているアメリカ南部の州、フロリダがもつ雰囲気がとても好きになっていた。地元の人々が話す英語のアクセント、陽に照りつけられ風雨にさらされた建物、音楽、そしてもちろんNASCAR。これらが合わさり、まるで映画のなかにいるような気分を味わっていた。

■言葉にできない魅力を放った“ホームメイド感”あふれるフォードGT

 私が楽しみにしていたマシンのうち、2台はアメリカブランドのものだった。フォードGTとシボレー・コルベットだ。

 あの当時、フォードGTをベースとしたレーシングカーは日本とヨーロッパでしかレースをしていなかったはずだ。日本では2007年のスーパーGT GT300クラスにDHG Racingが投入し、ヨーロッパではFIA GT3ヨーロッパ選手権にマテック・コンセプツが投入していた。しかし、セブリングに現れたフォードGTは、これらのマシンとはまったく違うものだった。

2008年のセブリング12時間を戦ったフォードGT-R Mk.VII

 ケビン・ドランによって作られたフォードGT-R Mk VIIは、スーパーGTに参戦したマシンと比べるとよりプロダクションベースな個体で、搭載する5リッターV8エンジンは美しいサウンドを奏でていた。マシンのフォルムも美しく、私はまるで恋に落ちたような気分を味わった。

 目を凝らして見れば、マシンの細部は整っていなかったし、仕上げも完璧とは言えなかったが、論理的に説明することのできない大きな魅力を放っていた。

 このマシンは、とても人当たりのいいアメリカ人夫婦が運営するチームの所有物だった。夫婦はレースを楽しむためにセブリング12時間へ参戦しており、マシンのことも気に入っている様子だった。

 フォードはこの車両開発に関与しておらず、プロジェクト自体もサポートしていなかった。そのためマシンには人の手による“ホームメイド感”があったし、夫妻が運営するチームの存在も、マシンを魅力あるものにしていた。

 もう1台の新GT2マシンであったライリー・テクノロジーズのコルベットも、マニュファクチャラーからのサポートは受けていなかった。実はゼネラルモーターズは、このコルベットによるレース参戦をやめさせたかったようなのだが、“反抗的”なプライベーターチームは、とにかくプロジェクトを進めていったのだ。

2008年のセブリング12時間を戦ったシボレー・コルベットC6

 チームのシボレー・コルベットC6はドラン夫妻が手掛けたフォードGTよりも、はるかに優れたデザインで、より高い競争力も持っていたが、フォードGTが放っていた“特別ななにか”が欠けていた。コルベットにはレンタカーも存在するが、フォードGTにはないといった違いも影響しているのかもしれない。

 そして私が関心を寄せていた最後の1台は、レースにエントリーしていた4台目のディーゼルエンジン搭載LMP1マシンだ。このマシンでエントリーしたのは資金豊富な大手マニュファクチャラーではなく、イギリスの小さなレーシングチームだった。

2008年のセブリング12時間に参戦しようとしていたラディカルSR10・フォルクスワーゲン

 彼らは古いラディカルSR9のLMP2シャシーを手に入れ、バイオ燃料で動くように改良されたフォルクスワーゲンのV10ディーゼルエンジンを搭載したLMP1マシンを作り上げたのだ。

 マシン全体のコンセプトは環境へ与える影響を最小限にすること。そのためボディワークパネルに麻の繊維が使われたり、ペイントも水性塗料を使って行われていた。このプロジェクトは非常に低予算で進められていたため、チームはプラクティスの週にマシンをコースへ持ち込むことはできなかった。

 そればかりか、彼らは必要な書類を正しく用意できなかったため、結局レースから撤退せざるを得なくなってしまった。

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サム・コリンズ(Sam Collins)
F1のほかWEC世界耐久選手権、GTカーレース、学生フォーミュラなど、幅広いジャンルをカバーするイギリス出身のモータースポーツジャーナリスト。スーパーGTや全日本スーパーフォーミュラ選手権の情報にも精通しており、英語圏向け放送の解説を務めることも。近年はジャーナリストを務めるかたわら、政界にも進出している。

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