大戦最後のドイツ軍通信「みんな、さようなら」 戦後75年、英傍受の通信記録とエニグマ暗号

英国の暗号解読拠点「ブレッチリー・パーク」で勤務するスタッフ。この部署ではドイツ軍のエニグマ通信の解読、分析作業が行われた(ブレッチリー・パーク財団提供・共同)

 敵の英軍部隊はついにやって来た。1945年5月、ドイツ北部の港町。第2次大戦の欧州での戦闘はドイツの敗北で終わろうとしていた。「敵が来た。みんな元気で、さようなら」。ドイツ軍将校は英軍包囲下で最後の無線通信を友軍に送った。ドイツは翌日、無条件降伏。通信は英側で傍受、即座に解読されており、戦後75年の今年、英当局はドイツ軍の最後の傍受記録となった通信文を初めて公開した。終戦間近の緊迫した状況と英国の情報活動の一端が浮き彫りになった。(共同通信=森岡隆)

 ▽謎を解け

 欧州での終戦から75年を迎えた5月8日、英国の通信傍受機関、政府通信本部(CGHQ)が記録を公開した。解読はCGHQの前身で、第2次大戦中、ロンドン北方に秘密裏に設置された暗号解読拠点「ブレッチリー・パーク」で行われた。ドイツ軍が難攻不落と信じて運用した暗号「エニグマ」もここで読み解かれ、交戦中だった日本の暗号も解読した。

第2次大戦でドイツ軍が使ったエニグマ暗号機(右)=2002年、米メリーランド州の米国立暗号博物館(AP=共同)

 CGHQによると、ドイツ軍将校は空軍の通信部隊に所属していた。部隊は独自の通信網を持ち、エニグマ暗号機を通じて新兵器開発に関する暗号通信を行った。だが、英側は大戦開戦翌年の1940年に空軍のエニグマ暗号を解読し、通信網を「ブラウン通信網」と名付けて交信を追い続けた。

 部隊の通信局は大戦後半の44年にドイツからオーストリア、バルト海沿岸にかけての広い地域に展開したが、45年には米英やソ連など連合軍がドイツ本土に攻め入り、大幅に縮小された。首都ベルリンではソ連軍猛攻下の4月30日、ナチス総統ヒトラーが自殺し、ベルリンの守備隊は5月2日に降伏した。

 ▽崩壊、最終章

 ドイツ軍はその後も保持するわずかな国土で戦闘を続けたが、連合軍への投降などで通信網は壊滅状態となり、7日にはドイツ北部の港町クックスハーフェンに退却した通信局を残すだけになった。包囲された現地の将校は7日午前7時35分「英部隊が6日午後2時、クックスハーフェンに入った。今から交信を中止する」と発信し、直後に「(通信網を)永久に閉じる。みんな元気で、さようなら」と最終の通信を送った。友軍がどこかで受信するかもしれないと考えたとみられる。ブレッチリー・パークの傍受記録の末尾には「ブラウン物語の最終回」との分析官のコメントが書き添えられた。ドイツ軍首脳は9日未明、ベルリンで8日付の降伏文書に署名し、欧州での戦争は終わった。

英国の政府通信本部がツイッターで公開したドイツ軍の降伏前日の通信記録。将校が発信した内容が記載されている(共同)

 ▽頭脳の勝利

 ブレッチリー・パークでエニグマ解読の中心になったのは英国の天才数学者アラン・チューリング(1912~54年)だった。英側は39年、ドイツ侵攻直前のポーランドからも重要な情報提供を受けて解読に挑んだ。ドイツ空軍に続き、41年には英国の船団攻撃に猛威を振るっていたドイツ海軍Uボート(潜水艦)のエニグマ通信の解読に成功した。連合軍にとって戦局を左右する画期的な出来事で、チューリングらの取り組みは映画「イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密」でも描かれている。

 ▽秘密の誓い

 ブレッチリー・パークでは終戦時、約9千人が勤務し、その7割以上を女性が占めた。ドイツ語を話し、17歳で配属されたロンドン在住の90代の女性ヘレン・アンドリューズさんも暗号解読に携わった一人だった。英メディアの取材に、ブレッチリー・パークで勤務する前は南米で暮らし、船で英国に戻ったと語り「船団の2隻が大西洋でUボートの魚雷攻撃を受けた。深夜、子供たちが泣き叫び、溺れていったことが忘れられない。(勤務を通じ)報復ができると、うれしく思った」と振り返った。

 ブレッチリー・パークに在籍した人々は暗号解読の秘密を守ると誓約し、現地の活動実態は戦後長らく明らかにされなかった。アンドリューズさんも70年間、当時の経験を誰にも話さなかったという。

ドイツ軍首脳が降伏文書に署名した部屋=5月、ドイツ・ベルリン(共同)

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