6月閉店の江崎べっ甲店で「踏絵帳」新たに2冊見つかる

新たに確認された1745年(右)と1816年の「今魚町宗旨改踏絵帳」。江崎べっ甲店初代の江崎清蔵氏らの名が記されている=長崎市、江崎べっ甲店

 今月中に閉店する創業311年の老舗、江崎べっ甲店(長崎市魚の町、江崎淑夫社長)で8日、江戸時代に今魚町(現魚の町)で行われていた踏み絵の台帳「今魚町宗旨改(しゅうしあらため)踏絵帳」が新たに2冊確認された。近年66冊(1746~1865年)が江崎家に所蔵されていることは一部研究者の間で知られていたが、この2冊は、より古い1745(延享2)年および1816(文化13)年のもので、計68冊となった。
 長崎史談会の原田博二会長が確認。「より古い踏絵帳が見つかり全体の価値が高まった」と話している。
 キリスト教信者の摘発のため始まった踏み絵は、毎年正月に各町の全住民に課せられた。踏絵帳は檀家の寺、名前などが記され、踏んだことを示す印がある。今魚町の場合、毎年約400人前後を記載。江崎家は代々組頭や乙名を務め、保管していたらしい。
 原田会長によると、1814年の踏絵帳には幕末の長崎画壇の大御所渡辺鶴洲(かくしゅう)らの名も。「踏絵帳は当時唯一の戸籍でもあり年ごとの各家族の動向も分かる。詳しく調べればさらに発見があるはず」としている。
 同店にはこのほか上野彦馬撮影の古写真や、ロシアとの取引の記録「日露貿易見本控帳」など珍しい資料が多数ある。江崎社長は「店にとっても貴重な宝。ふさわしい行き先が決まるまで大切に保管したい」と話している。

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