追憶のアイスクリーム

佇まいも愛らしいアイスクリーム専門店SOWA

 「久しぶり〜」

 運転しながら車窓の風景に思わず語りかけていた。

 こうして首都高を走るのは3カ月ぶりか。

 首都高渋谷線から見える谷町ジャンクションのカーブ。

 芝公園を降りて、ぐるぐると神谷町界隈を走る。

 私は虎ノ門の病院に通っている。

 この辺りもこの3カ月で変わった。

 日比谷線の「虎ノ門ヒルズ駅」が開通。

 ここに駅ができるまでの長かったこと。

 関東大震災からの復興のため、この一帯に環状道路が計画されるも頓挫。

 戦後にも環状道路が計画されたが、GHQの反対でまたもや頓挫。

 やっと〝マッカーサー通り〟こと新虎通り・環状2号線が完成。  

 これは、1964年の東京オリンピックで環六、環七、環八と同様に大動脈として欲しかった道だ。

 そして、東京オリンピック2020。

 すったもんだの末に決まった五輪マークが虎ノ門ヒルズに輝いている。

 しかし、東京五輪もどこ吹く風。人々が物事を「忘れる」早さにちょっと驚く。

 でも、「忘れる」というのが、霊長類ヒト科という生き物の特徴かもしれない。

 私は自分の中で、記憶を反芻する。

 新型コロナウイルスが蔓延する2月ごろまで、私は虎ノ門ヒルズ界隈をコートの襟を立て新橋、虎ノ門、神谷町の試写室やホテルオークラの英国式バー ハイランダー(現『ロビー バー』)へ立ち寄るために行ったり来たりしていたのだ。

 3カ月も都会に出ない感覚は、過酷な長期海外ロケのようだった。

 家にこもるので出費もなかろうと思いきや、光熱費はいつもより多く払った。また、医療従事者への救援物資や食材を取り寄せたりで、なんだかんだお金が出ていった。

 東京の自宅にいながらにして、これは本当に奇妙な感覚だった。

 遠く離れた友人とちょっと話す機会があった。

 「甘いものなど欲しがらない私が甘いものばかり欲して体調を崩した」という。コロナ明け(こういう言い方もなんだか妙だが)に糖を抜くと、ぐっすり安眠できて翌朝目覚めも良く体が楽だったという。

 疲れていたり、ここぞと踏ん張りたいときに、糖質は確かに力になるだろうけれど、毎日過剰に摂取していたら、確かに体に負担がかかるだろう。

 「それでも、甘いものが好き」という私。

 「やっぱ甘いものに限るよね」とは『マクガフィン』(2007年劇場公開 當間早志監督・主演 藤木勇人、 洞口依子)の私の台詞。

アイスクリームを食べる藤木さんと私

 夏だろうが冬だろうが、私はアイスクリームを食べる。

 アイスクリームが庶民に普及したのは、1970年の大阪万博だと言う説。

 ルーツは戦後の2世商会という会社にあると聞く。

 日系2世が米軍相手に商売をして稼いだ時代。

 やがて2世から『日世』と名前も変わりそれが、現在の『日世』だ。

 日世のアイスクリームサイン(模型の看板)や、アイスクリームコーンカップを持っているそばかす坊やのキャラクターを、空港や商店の軒先でご覧になられたことはあるだろう。

 アメリカのメリーランドが発祥らしいが、どうも私はアイスクリームサインやあのそばかす坊やを見かけると、壁際にすり寄るのら猫みたいに尻尾を立てて「ソフトクリームください」と、つい手が伸びてしまう。

 一番のお気に入りは、1950年から神谷町にあるアイスクリーム専門店「SOWA」。

 SOWAのソフトクリームは、あっさりしているがリッチな口溶けで、どこか懐かしい味わい。店に隣接する工場で作られていて種類も豊富だ。

 創業者の早川さんは、かつて東京都内のホテルでデザートを担当していたという。ホテルのアイスクリームといえば、デパートのお好み食堂のアイスクリームよりも別格だった。

 そんなSOWAの味は、昭和のホテルを思い出させてくれて、なんだかとっても懐かしい気持ちになる。

お気に入りはSOWA日替わりソフトのピスタチオ味

 昭和のホテルといえば、赤坂界隈。

 ニュージャパンやヒルトン(現在のキャピトル東急)そして、赤坂プリンスホテル(赤プリ)。

懐かしい赤坂キャピトル東急ホテルの屋外プール

 その昔、赤坂見附辺りの首都高からは赤プリの屋外プールが見えた。

 若大将シリーズやクレージーキャッツの映画のロケ、芸能人水泳大会などでも使われた由緒あるプールだった。

 一度だけ連れて行ってもらった赤プリの屋外プール。

 幼い私の手を引くのは父ともう一人の知らないお姉さんの手だった。

 父とシャチョーと呼ばれる大人たちが、昼間からビール片手に寛いでいる。

 私もプールサイドでみんなに混じってジョッキを持つ手振りをしながら、「ソフトクリーム!」とねだったけれど「冷たいものは駄目。プールから上がってからにしなさい」と、父にとがめられた。

 「依子はお腹が冷えやすいから」という母からのタレコミだろう。

 黒水着の知らないお姉さんと唇が紫色になるまで水遊びをした夏の終わり。父とシャチョーと呼ばれる大人たちはまだ無駄話をしている。

 「アイスは〜?」と蚊の鳴くような声でねだると、お姉さんが、あっちで食べようと、ホテル内を指した。

 身支度を整え、レースのついた三つ折りソックスに、赤いベルトの持ち手のついたコロンと丸い籐籠を抱えた幼い私が、美しいモザイクタイルの玄関右にある薄暗い部屋に吸い込まれてゆく。

 そこには、今まで腰掛けたどれよりも高級な椅子があり、ちょこんと膝小僧をくっつけじっとしていると、緊張のあまり膝の後ろに汗のしずくが滴り落ちた。

 「私、ジンフィズ。こちらのお嬢ちゃんには、アップルパイにアイスクリーム添えてあげて」とボーイさんにウインクするお姉さん。

 そのウインクがさっきまでの黒水着のお姉さんとはまたちょっと違う雰囲気で、まるで外国人さながら。ドキドキしながら思わず赤面したあの夏の日。

 熱々のアップルパイにとろけるアイスクリーム。

 「ほら、ちょっとこのトロトロはソフトクリームみたいじゃない?」

 お姉さんは上手にアップルパイを切り分けながら私に微笑む。

 とろりと溶けたバニラアイスを添え、スプーンに乗っけてアーンと口に運んでくれる。母親にすらアーンと口に運んでもらわないのに、ノーハンズとはこれいかに! 

 私は食べたこともない熱々と冷え冷えのコラボとお姉さんのウインクとアーンのノーハンズに完璧にノックダウン。「オトナって何なんだ!」と衝撃を食らった。

 帰り道、父は社用車の運転席に、加東大介みたいな土建屋さんは助手席に、そしてシャチョーと呼ばれるおじさんと知らないお姉さんが私をはさんで後部座席に座った。

 みんなを乗せた66年式プリムス・バラクーダは、夜の赤坂見附を出て、お城のある白い門扉(おそらく迎賓館)を通過。

 外苑で首都高に乗ると、映画『惑星ソラリス』の近未来世界。車が右カーブに傾くと、洋酒の匂いに包まれながら、革シートの後部座席でうとうとし始める。

 生まれて初めて食べたアップルパイに添えられたとろけるバニラアイスのように、トロトロと心地よい眠りについた。

 思えば、あれが赤プリのバー・ナポレオンだったんだろう。

 記憶がおぼろげだが、入り口のモザイクタイルや右側の薄暗い雰囲気は、きっとそうに違いない。

 子どもの頃、腹が冷えるという理由で、決してプールでソフトクリームにはありつけなかった。

 今では、誰にとがめられることもなく、プールから上がってソフトクリームをなめることができる。いつだってなめたい時にソフトクリーム。

いつも心にソフトクリーム

 神谷町のSOWAに立ち寄り、軒先でサラリーマンの行列やOLさんの笑顔をぼんやり眺めていると嬉しくなってくる。

 そして、SOWAのソフトクリームをなめる度に、ちょっと外国人みたいなお姉さんのウインクと、あの膝の裏に滴り落ちた緊張の汗と、熱々アップルパイに添えられた、とろけたバニラアイスの味を思い出すのだ。 (女優・洞口依子)

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