「三権分立」崩す国会の姿勢|島田洋一 検察人事をめぐる論議の混迷は、日本の政界が、民主主義や三権分立といった基本的な政治理念を十分理解していない実態を露呈した。「検察の独立」を声高に叫ぶ姿勢は、三権分立をより掘り崩すものと言わざるを得ない。

三権分立を理解していない日本の政界

検察人事をめぐる論議の混迷は、日本の政界が、民主主義や三権分立といった基本的な政治理念を十分理解していない実態を露呈した。

日本共産党の志位和夫委員長は、「そもそも検察官は、人を罪に問える――逮捕し、起訴するという強い権力があたえられた唯一の職であり、一般の公務員とはまったく違う」と力説する(しんぶん赤旗2020年5月13日)。その通りである。検察官は総理大臣ですら起訴し、政治生命を絶ちうる強大な権限を持つ。

であるならば、その権力の「民主的統制」が重要課題となる。民主的統制の最も基本的な形は選挙である。しかし日本の検察官は、多くの国々同様、国民による選挙の洗礼を一切受けない。

「検察の政治からの独立」の危険

野党は「検察の政治からの独立」を金科玉条視するが、選挙を経ない集団にアンタッチャブルな権力を与えるのは「検察ファッショ」を招きかねない危険な道である。

検察が選挙と無縁の存在とすれば、選挙で選ばれた国会議員、その議員たちの多数で選ばれた内閣総理大臣が、検察に対する民主的統制を国民に代わって果たさねばならない。

例えばアメリカでは、日本の検事総長に当たる司法省ナンバー3の訟務長官(Solicitor General)はじめ全米各地の控訴裁や地裁に配属される連邦検察官(総計93人)は、すべて大統領が指名し、上院が承認する制度となっている。

任期は4年だが、その間、大統領の意思でいつでも更迭できる。もっとも大統領による指名後、上院が承認するまで就任できない連邦裁判官や各省庁幹部と異なり、検察官は、大統領の指名直後から、司法長官の暫定任命という形で職務に就ける(その後上院が否決すれば、その時点で辞めねばならない)。

すなわち、検察官については、議会が人事決定権を持つものの、大統領のスタッフという色彩が各省庁幹部の場合以上に強いと言える。

三権分立は三権独立に非ず

さて、日米の制度を比較して最も顕著な差異は、司法関係の人事に議会が関与する度合いである。

日本では、行政官である検察官はもとより、司法そのものである最高裁裁判官の人事も内閣の一存で決まり、国会は決定権はおろか勧告権すら持たない。

三権分立(separation of powers)は三権独立(independence of powers)ではない。権力の乱用を防ぐため三権が相互に牽制する、すなわち「抑制と均衡」(check and balance)が理念の根幹をなす。

大統領制のアメリカでは例えば、①議会(立法府)が通した法案に大統領(行政府)が拒否権を発動できる一方、大統領の人事に上院が拒否権を発動できる ②議会が通し大統領が署名(すなわち2権が承認)して成立した法律を3権目の最高裁が違憲無効とできるが、最高裁の人事は大統領と議会上院(すなわち2権)の承認を要する――といった事例が「抑制と均衡」の典型である。

行き過ぎた「司法の独立」

翻って日本はどうか。最も理解できないのは国会の姿勢である。日本でも、検察官は議員であれ逮捕起訴する権限を持ち、最高裁裁判官は議会が通した法律を違憲無効とする強大な権力を持つ。

三権分立すなわち「抑制と均衡」の理念に立てば、それらの人事を内閣による任命で完了とするのではなく、国会の承認人事とせよと要求するのが筋ではないか(天皇の形式的役割は議論の簡単化のためここでは措く)。

行き過ぎた「司法の独立」は三権分立を形骸化し、選挙を基礎に置く民主制をも侵しかねない。

日本の現行制度の問題は、検察官や裁判官の独立性が不足することではなく、議会による民主的統制が弱過ぎる点にあろう。

アメリカのような人事承認公聴会がないため、国民は一体どんな人物が検察の幹部や裁判官に選ばれているのかほぼ完全に情報がなく、闇の中に置かれている。

「国会による承認」に声上げよ

ではなぜ議員、特に野党議員は「国会による承認」を求めて声を上げないのか。

1つの理由は、裁判官の任命手続き変更は憲法改正を要するため、改正につながる議論は一切避けたいという逃げの姿勢にあろう。

第2の理由は談合である。

最高裁裁判官(定員15名)のうち数名は、日弁連が推薦する人物を政権側が受け入れるという暗黙の了解が成立してきた。

国会の承認が必要となると、事前の情報公開、公聴会が避けられず、「左翼枠」の存在が白日の下に晒されてしまう。与党の保守系議員は、支持層の反発を受け異議を唱えざるを得なくなろう。左翼としては、それは困るのである。

司法と政権の癒着を断つというなら、「民主的統制」の強化、すなわち国会の人事承認をこそ求めねばならない。ところがそこには目をふさぎ、逆方向の「検察の独立」を声高に叫ぶ姿勢は、三権分立をより掘り崩すものと言わざるを得ない。(2020.05.28 国家基本問題研究所「今週の直言」より転載)

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