ギャラリストの小山登美夫が10の作品・人で振り返る:こうして私はアートの世界へ

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コロナ禍のSNSでブームとなった、お気に入りの本の表紙を7日間にわたって紹介する「ブックカバーチャレンジ」をはじめとしたチャレンジリレー。多くの人々が様々なリレーに参加するなか、ギャラリストの小山登美夫は、アート愛好家・前川俊作のバトンを受け取り「10daysアートチャレンジ」に参加。アート業界に足を踏み入れる前の幼少期〜学生時代に影響を受けた作品や展覧会を自身のFacebookページで紹介した。

今回は、小山が美術業界の道へ進むまでの軌跡でもある「10daysアートチャレンジ」の投稿をTAB特別版として編集。ジャスパー・ジョーンズから浦上玉堂まで、受けた影響は多岐にわたる。

1日目:ジャスパー・ジョーンズ

10daysアートチャレンジの1日目に紹介するのは、ジャスパー・ジョーンズの版画です。この作品があったかどうかは定かではないのですが、1980年、佐谷画廊のジャスパー・ジョーンズ銅版画展を(京橋のどこかの2階の)佐谷画廊に見に行っていて、佐谷のおやじさん(と私たちは言うのですが)と話したことを思い出します。このビール缶の版画は、まずは彫刻をつくってからそれをモチーフにした版画。二重三重の引用が私にはすごく衝撃でした。ニューヨークに初めて行ったときに、初めて飲んだのもこのビール(エール?)。

こんなクラインの大きな展覧会が西武美術館で開かれたのが1986年。そのときに多くの資料やクラインの言葉や批評が日本語になり、より一層の理解を深めさせてくれました。神秘的ではありますが、中心を持たない、かつ象徴性もない彼の作品の存在──彼自身の存在が、素晴らしいです。彼の前にも後にもこういうアーティストはいないんじゃないかと思います。作品よりなにより、彼の顔がいい。何と言ってもこの顔だ。

作品はぜひ、美術館で見てください。東京都現代美術館、いわき市美術館とかすごいのもってます。日本で柔道を習っていたとか、フランスで初めての柔道の本を出したとか、亡くなった1962年に、東京画廊で個展をやっていた、とかいろいろ日本と関わりがあることも面白いですね。

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7日目:デイヴィッド・ホックニー

7日目。もう4点しか選べないと思うと、困るものですね。でも、この人は入れないとと思っているアーティスト。デイヴィッド・ホックニーです。いつだか忘れてしまったのですが、銀座2丁目にあったときの西村画廊にいくと、プールの連作が展示されていました。これはいままでの絵の考え方と違う感じ。色も光とかそういうテクニックはバッチリで、でも、頭を多く使ってる……感じ。プールという現代的で人工的なモチーフで、いろんな実験をしていました。実験……それがホックニーの好奇心にとって、たまらなくスリリングで飽きることのないことなのかも。その後、私は西村画廊で働かせて(遊んでいたようにも思いますが)もらって、写真のコラージュや、ホテルアカトランシリーズや、チャイナ・ダイアリーの写真の展示を見て来ました。テートでの回顧展、去年の北京でのテートのコレクションからの個展も見続けて、ほんとに見飽きない素晴らしい刺激をもらえるアーティストです。

このプールが一番初めに見た、実物の物体としての、ホックニーの作品。

David Hockney, Lithographic Water Made of Lines, Crayon and Two Blue Washes Without Green Wash, 1978-80 pic.twitter.com/OWsCoGMnFY

— Berfrois (@berfrois) January 27, 2014

8日目:ダニエル・ビュランのパフォーマンス

8日目は、ラフォーレ原宿で見た、ダニエル・ビュランのパフォーマンス。1982年に国際交流基金の主催で開かれた「行為と創造」という企画で、南條史生さんが担当したものだったみたいです!学生だった私はもちろんそんなことを知らず、本で見たことのあるビッグアーティストのヨーゼフ・ボイス、ダニエル・ビュラン、ダン・グレハム、ブルース・マクレーン、ジュリオ・パオリーニが日本に来る、パフォーマンスする、見たい!ということで駆けつけた次第です(ボイスは来なかったみたい)。ビュランを選んだのはなぜだかわからなかったのですが、あのストライブの紙を貼ったり、剥がしたり、黙々とパフォーマンスというか作業をしていく姿に、すごく強烈な印象を持ちました。ビュランがいまでもそんなに好きではないのですが、そんなことととは関係なく、この企画のリアルさや、この時代に、このアーティストでこれを見せる!という意志が見ることのできた素晴らしい体験でした。

「行為と創造」ポスター

9日目:東京国立近代美術館「1960年代ー現代美術の転換期」展

このアートチャレンジは「仕事に入る前の体験」という縛りをかけたので、大変ですね。9日目は、「1960年代ー現代美術の転換期」(東京国立近代美術館、1981年12月)。日本の現代美術、前衛美術をたぶんまとめて見たのはこれが初めてなのかな?大学1年の頃。そのとき、大学では、榎倉康二さんや井川惺亮さんが教えていて、川俣正さんや田中睦治さん、保科豊巳さんたちが学内で展示してたり、奥の空き地で坪良一さんが穴を掘ってたり、デザインでは日比野克彦さんの大学会館での展示、油画科で有吉徹さんが博士になったとか、そんな状況の中で、同時代の美術にわからないながらに接してました。

この展覧会の60年から繋がって、そのときは80年代。前衛でいられた時代がちょっとずつなくなっていく時代だったと思います。ここでの強烈な印象は、中西夏之、高松次郎、工藤哲巳。あと、吉原治朗の《黒地に白》(1965年)は、東京国立近代美術館のリニューアルの前に加山又造があった階段前に展示してなかったかな?そこで、しばし立ち止まってしまったこともありました。

「1960年代ー現代美術の転換期」展ちらし

10日目:浦上玉堂

10days アートチャレンジの10日目。最後です……やっと。最後は大学の卒論(?)に選んだ浦上玉堂。卒論と言えるのかどうか、卒業できたけど……。私はもちろんいい学生ではなく、演劇の助手をやったり、映画の手伝いをしたり、夕刊イトイのバイトをしたり、銀座のクラブ(小池都知事の言うナイトクラブのほう)のバーテンをやったりして、じつは2年留年しちゃいました。最後の年は、西村画廊とバーテンを掛け持ち。いろいろやってました。

浦上玉堂は江戸時代の文人画の人で、川端康成が所有した国宝《東雲篩雪図》が有名。でも、備中鴨方藩の大目付までやった人なのに、50歳で息子2人を連れて脱藩。琴を携えて全国をまわったらしい。ブルーノ・タウトが彼を評価したことも有名。作品に近代性を思って卒論のテーマに選んだのですが、その興味は、彼の評価に。いまではまるっきり反対になってますが、明治の頃には、玉堂よりも息子の春琴のほうが大きな評価を得ていたらしい。ほんと!?ということで、調べたら、親父のほうは大正後期から昭和の初めに再評価ということらしい(前にも言ったようにダメな学生なので嘘かもしれません)。そんなことが面白く、評価というのは時代によって変わっていくんだなというのが、実感されました。

いまでも、辻惟雄さんの著書『奇想の系譜」などで皆さんが多くの画家を再発見されるように、つくる側の時代もあるのですが、見る側の時代もあるのだと。玉堂は、ふらふらと琴を奏でながらお酒を飲んでは絵を描くという、自由なスタイルなのかなと、プロの画家とは違うと思って一度は嫌になったこともあるのですが、その作品からは逃れられない。どうしたって、いいし好きなんです。アンリ・ミショーとか、アルトナン・アルトー、ウィリアム・S・バロウズとかもすごい作品を残してます。そうすると、描くというのはどういうことなんだろうと、考えさせられました。玉堂もじつは、真面目に制作に打ち込んでいたらしく、浅はかに一瞬でも疑った私が恥ずかしいです。岡山の総社のお墓参り、新潟に「煙霞帖」を見に行ったのが懐かしいです。あとは4年前、千葉市美術館での展覧会は玉堂、春琴、秋琴3人の展覧会「文人として生きる− 浦上玉堂と春琴・秋琴 父子の芸術」。良かったです。

千葉市美術館「文人として生きる−浦上玉堂と春琴・秋琴 父子の芸術」(2016年)展示より。写真左が浦上玉堂『煙霞帖』のうち「青山紅林図」(梅澤記念館蔵・重要文化財)

小山登美夫
1963年東京生まれ、1987年東京芸術大学芸術学科卒業。1987〜89年まで西村画廊勤務、89〜95年まで白石コンテンポラリーアートでの勤務を経て、1996年に江東区佐賀町に小山登美夫ギャラリーを開廊。2008年より明治大学国際日本学部特任准教授。著書に『現代アートビジネス』(アスキー新書)、『この絵、いくら?』(講談社)、『何もしないプロデュース術』(東洋経済新報社)、『見た,訊いた、買った古美術』(新潮社)など。