F1名ドライバー列伝(6)アラン・プロスト:“プロフェッサー”の知性的な走りを支えた、とてつもない速さ

 2020年はF1世界選手権にとって70周年にあたる。その歴史のなかで、33人のワールドチャンピオン、108人のグランプリウイナーが誕生、数々の偉大なるドライバーたちが興奮と感動をもたらしてきた。この企画では、英国ジャーナリストのChris Medlandが何人かの名ドライバーを紹介、彼らが強い印象を刻んだ瞬間を振り返る。

 今回紹介するのは、4度のF1チャンピオン、アラン・プロスト。1980年から1993年に、マクラーレン、ルノー、フェラーリ、ウイリアムズでF1に参戦、1985年、1986年、1989年、1993年にタイトルを獲得した。優勝は51回(歴代4位)、ポールポジションは33回(5位)、ファステストラップは41回(4位)、それぞれ達成している。

────────────────────────────────

 記録を見れば、アラン・プロストがF1史上最も大きな成功を収めたドライバーのひとりであることは明らかだ。タイトル獲得回数で、彼を上回っているのはミハエル・シューマッハー、ルイス・ハミルトン、ファン・マヌエル・ファンジオのみである。

 優勝回数で見ると、シューマッハー、ハミルトン、セバスチャン・ベッテルの次に位置し、ポールポジションでは、シューマッハー、ハミルトン、アイルトン・セナ、ベッテルに次ぐ5位、ファステストラップでは、シューマッハー、ハミルトン、キミ・ライコネンに続く4位と、主だった項目のすべてで上位にきている。

 プロストはしばしば“プロフェッサー”と呼ばれる。それは、賢さ、計算された走り、スムーズさによって多くの勝利をつかんだと一般的に評価されているからだ。しかし先ほど記した華々しい記録を見ると、プロストには知性的な走り以外にも大きな武器があったことは明らかだ。プロストが、“プロフェッサー”とは異なる面を示したレース、1987年日本GPを、今回振り返ってみたい。

 1985年、1986年と2年連続でチャンピオンとなったプロストだが、1987年のマクラーレンMP4/3・TAGポルシェには、ウイリアムズ・ホンダと戦えるだけのパフォーマンスがなかった。第15戦日本GPに臨むころには、プロストはすでにタイトル争いから脱落していた。

1987年のアラン・プロスト(マクラーレンMP4/3)

 この年のドライバーズタイトルはウイリアムズのナイジェル・マンセルとネルソン・ピケが争っていた。しかしマンセルは日本GPのプラクティスでクラッシュを喫して負傷、レースを欠場することになり、その結果、ピケのタイトル獲得が決定。気が緩んだか、ピケは予選5番手にとどまり、チャンピオン、ウイリアムズが予選上位から脱落した。

 プロストは素晴らしい予選パフォーマンスを発揮、フェラーリのゲルハルト・ベルガーが記録したポールポジションタイムから0.6秒差とはいえ、2番グリッドを確保した。

■好結果が望めない状況で、信じられないような速さを発揮

 決勝スタート直後、ターン1入口で前を一瞬うかがったものの、プロストは1周目は2番手を維持。いつもの計画的なアプローチで、トップを走るベルガーを追っていくかに見えた。

 ところが2周目にプロストのマシンの左リヤタイヤがパンク、彼はピットにゆっくりと戻らざるを得なくなった。マクラーレンは、4輪すべてを交換し、リヤのボディワークがダメージを負っていないかどうかチェックした後、プロストをコースに戻した。そのころには彼は他のほぼすべてのマシンから1周遅れになっていた。

 怒りに駆り立てられたのか、あるいはタイトルも勝利もかかっていないという、彼にとってはめったにない自由な環境が訪れたせいか、プロストはその後、限界までプッシュし続け、信じられないほどのパフォーマンスを見せつける。

 プロストはコース上の誰よりも速いペースで走り、他のドライバーたちとのギャップを縮め始めた。どれだけ頑張っても大きな見返りは得られないであろう状況で、プロストはその後の49周の間、全力でプッシュし続け、他のマシンに追いついては追い越すということを繰り返してポジションを上げていった。

 レースの終わりが近づくころにはプロストは、リーダーから1周遅れのグループのなかでトップに立ち、前を行くロータス・ホンダの中嶋悟との差を縮めようとしていた。しかし結局時間切れで、プロストはトップを走るベルガーと同一周回に戻ることなく、7位でレースを終えた。

 当時、ポイントが与えられたのはトップ6までであり、プロストは入賞に届かなかった。だが、この日の走りの素晴らしさは、ポイントを獲れたかどうかで測るべきものではない。プロストはレース中のファステストラップを記録、それは他のドライバーたちより約1.7秒も速いタイムだった。

『Motor Sport Magazine』で活躍したことでも知られる高名なジャーナリスト、アラン・ヘイリー氏は、プロストのこの日のパフォーマンスを「マクラーレンのチームリーダーとしての自尊心だけが原動力となって生み出された価値ある走り」と表現した。

 このレースによってプロストの記録に追加されたのはファステストラップのみだ。ポールポジションも、優勝も、表彰台も、ポイントすらない。だが、この日の走りが、彼には何の見返りもなくても恐ろしく速く走る能力があることを証明し、ドライバーとしての評価をさらに高めたことは間違いないだろう。

1986年サンマリノGP 優勝したアラン・プロスト(マクラーレン)、2位ネルソン・ピケ(ウイリアムズ)、3位ゲルハルト・ベルガー(ベネトン)

© 株式会社三栄