ヒット曲の料理人 萩田光雄、アレンジャーの功績はもっともっと評価されていい 1979年 10月1日 久保田早紀のシングル「異邦人」がリリースされた日

編曲家って何をする人? 歌番組にもクレジットはないし…

幼い頃は “編曲” という概念を全く理解できないままにヒットソングを聴いていた。当然の如く歌番組にも、明星や平凡の歌本にも編曲家のクレジットはなかったからだ。

それがおぼろげに見えてきたのは、レコードの歌詞カードをしっかりと眺めるようになった小学3~4年生くらいからだったろうか。ひとりっ子で友達も少なかった身としてはその辺を導いてくれる知恵者が身近にいなかったこともある。

実際にアレンジャーの存在を意識し始めたのは中学生になってから。それでも最初はイントロのメロディを作る人くらいの認識しかなかったのが、次第に楽曲全体をまとめ上げる重要な役割だと理解できるようになっていったのだった。

最初に覚えたアレンジャー、萩田光雄は筒美京平のメロディと相性抜群!

歌謡曲のレコードはわりと早い時期から手にしていた方だと思う。親がたまに行くパチンコ店に好んでついていったのは、景品交換の際にシングルレコードをねだる楽しみがあったからで、大事に持ち帰って来たいしだあゆみや山本リンダのレコードを我が家のポータブルプレーヤーで聴いているうちに、頻繁に目に入ってくる作詞家の阿久悠や作曲家の筒美京平といった名を次第に覚えてゆく。

その中で “編曲” としてクレジットされている名前で最初に刷り込まれたのが萩田光雄であったのだ。間違いなく強烈な印象をもたらしたのは、小学校5年の冬にしきりに聴いていた太田裕美「木綿のハンカチーフ」(1975年)だったと記憶する。

当時はまだ萩田の単独アレンジによるアルバム・ヴァージョンが別にあったことは知らなかったけれど、作曲の筒美京平との共同編曲による楽曲の完成度の高さは経験値の浅い小学生でもはっきりと解かった。松本隆×筒美京平の作詞・作曲コンビによる傑作が大ヒットへと至ったのは、萩田のアレンジの力も限りなく大きい。

自身も影響も受けたかもしれないと語る筒美京平の曲をアレンジしたのは、この前年(1974年)の南沙織のアルバム曲「この街にひとり」が最初。以来、デビュー曲「雨だれ」をはじめとする太田裕美の一連の作品や、小林麻美の「ある事情」、岩崎宏美のデビュー曲となった「二重唱(デュエット)」など、初期には筒美メロディに見事なアレンジの冴えを発揮していた。

布施明、梓みちよ、山口百恵、郷ひろみ、そして久保田早紀「異邦人」

一方で、翌1975年にはアレンジを手がけた布施明「シクラメンのかほり」がレコード大賞グランプリを受賞。翌1976年には梓みちよ「メランコリー」でレコード大賞編曲賞を受賞している。そして、萩田光雄の名をさらに広く知らしめたのは、やはり「横須賀ストーリー」で変革がもたらされた山口百恵の中期以降のヒットソングの数々だろう。

実はその2作前のシングル「白い約束」から既に萩田にアレンジが委ねられていたのだが、阿木燿子×宇崎竜童コンビがメインライターとなってから「夢先案内人」「イミテイション・ゴールド」「乙女座 宮」「プレイバックPart2」「美・サイレント」などの傑作が連なり、引退作となった80年の「さよならの向う側」まで続く。その間にさだまさしが供した「秋桜」も萩田のアレンジだった。

並行して郷ひろみの80年前後のヒット曲「マイレディー」「セクシー・ユー(モンロー・ウォーク)」「How many いい顔」なども手がけており、歌謡曲の黄金期とも相俟って、アレンジャーとして最も脂の乗っていた時期ではなかっただろうか。

個人的に思い入れが強いのは1979年の久保田早紀「異邦人」。CM音楽への起用に応じて、原曲には無かった中近東をイメージするエキゾチックなアレンジがイントロや間奏に施され、“シルクロードのテーマ” というサブタイトルが掲げられた。久保田のメロディとヴォーカルの魅力はもちろんのこと、萩田の渾身のアレンジがあってこそ大きなヒットに繋がったと言っても過言ではないだろう。

歌謡曲黄金時代を支えた達人、手がけた作品は4,000曲以上!

編曲家として萩田の先輩格にあたる森岡賢一郎に生前取材する機会が得られた折、最近の歌謡曲で評価されている作品は? という問いに対して、「異邦人」が挙げられたことが想い出される。ストリングスを多用した瀟洒なアレンジに定評があり、“オリンの森岡” とも呼ばれた氏が、萩田のアレンジを高く評価していたのは大いに頷ける。60年代の歌謡曲アレンジの第一人者であった森岡の正当な後継者こそ萩田であるとおぼしい。

80年代以降も、あみん「待つわ」、中森明菜「少女A」、H2O「想い出がいっぱい」、小林明子「恋におちて」など名作がズラリと並ぶ。萩田光雄がこれまでに編曲を手がけた作品は4,000曲以上に及ぶという。

過去を振り返らない主義だと語る萩田の手元には手書き時代のアレンジスコアはほとんど残っていないそうだが、何より、超一流のミュージシャンと歌手たちが名演を繰り広げたレコーディング音源を潤沢に聴くことが出来る。

2018年には音楽家としての歴史や談話、詳細な作品リストが網羅された『ヒット曲の料理人 編曲家 萩田光雄の時代』(リットーミュージック刊)も上梓された。歌謡曲の黄金時代を支えてきた達人たちの仕事が最近になってようやく再注目されていることは実に喜ばしいこと。殊に楽曲制作のキーマンともいえるアレンジャーの功績はもっともっと評価されていい。

カタリベ: 鈴木啓之

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