嘉村礒多の生家改修工事10周年の節目に 多田美千代さん「みつかった礒多の習作」出版

 嘉村礒多研究家の多田美千代さんが、「嘉村礒多ノート4 みつかった礒多の習作」(B6判42ページ、ぎじろくセンター)をこのほど出版した。

 表題にある礒多の「習作」は、2010年に行われた礒多の生家改修工事の際に発見された原稿。「嘉村礒多全集」下巻(1965年、南雲堂桜楓社)の編集後記にあった「嘉村礒多の生家の襖の下貼りに習作原稿がそのまま使われている」という情報を元に、山口市の担当者や稲田秀雄山口県立大学教授、中原中也記念館学芸員の池田誠さんの協力を得て捜索、検証された。見つかったのは和紙に毛筆で書かれた作品14枚と、破損した作品の断片を集めた3枚分。多田さんは当時「礒多の在郷時代の直筆原稿は皆無という状況の中で、14枚余の原稿を見出すことができたことは幸甚というほかない」と喜びを語っている。

 生家からは礒多の父若松にあてた身内からの書簡7通も発見。前年の2009年には礒多が真宗大谷派の僧侶近角常観にあてた2通の書簡が、翌年の2011年には礒多の直筆原稿「彼に帰つた彼女」も見つかった。多田さんが2012年に出版した「続 嘉村礒多ノート」は、それら4資料に関する考察等を中心に、2006年に中原中也記念館で開催された「嘉村礒多展」にまつわるエピソード、礒多の詩歌や後の妻チトセについての文章などで構成されている。

 生家改修工事10周年の節目に上梓された今回の「礒多ノート4」は、「続…」に収録された習作原稿についての内容を一部加筆修正したもの。発見の経緯、「しのび涙」「枕に散る涙(二)」「春の便り」「慰安(三)」と各見出しがついた習作原稿の翻刻と概略、作品配列の試み、礒多の作と見る根拠やいつごろ書かれたものか等を考察がまとめられ、巻頭と裏表紙に習作原稿のカラー写真が新たに収められている。「これがおそらく最後の冊子」との思いで100部ほどの私家版として関係先に献本。山口県立山口図書館、山口市立中央図書館、仁保地域交流センターで閲覧可能だ。

 山口市仁保出身の嘉村礒多は1928年に処女作「業苦」を発表。「神前結婚」を発表した1933年に死去という、行年37歳にしてわずか6年程度の作家生活だったが、徹底して己の姿を暴露する作風から「私小説の極北」と称され、破滅型私小説の代表的作家として文学史に刻まれている。

 多田さんは1988年に礒多の生家を訪ねたことをきっかけに、地道な調査研究を開始。研究成果を発表した同人誌「風響樹」を目にしたサンデー山口の開作惇前社長の依頼で、1994年4月から1997年8月まで本紙で礒多についてつづった「ふるさと文学再発見」を計41回連載。その内容を柱に1997年「嘉村礒多-『業苦まで』」を出版した。以後、「嘉村礒多ノート」(2002年)、「続 嘉村礒多ノート」(2012年)、「嘉村礒多ノート3 礒多の妻 静子 チトセ」(2017年)を刊行。

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