大正天皇の制服 学習院へ/弘前のねぷた師・八嶋さん 寄贈果たし感無量/福井のリサイクル店で入手

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八嶋さんが学習院に寄贈した大正天皇の制服。袖のラインや半ズボンなどが特徴
東奥日報が取材のため八嶋さんから借用し持ち込んだ大正天皇の制服を調べる学習院大学の関係者たち。このときはまだ、具体的な寄贈の話はなかった=2018年12月6日、東京都豊島区目白の学習院大学史料館

 青森県弘前市のねぷた絵師八嶋龍仙さんが保管していた、大正天皇(1879~1926)が学習院初等学科在学時に着用した日本最古級の制服が、学習院大学史料館にこのほど収蔵された。リサイクルショップで発見されるなど数奇な運命をたどり、弘前で眠っていた制服に落ち着き先がようやく定まった格好。長い間寄贈先を探していた八嶋さんと、貴重なゆかりの史料収蔵を果たした学習院大とで喜びを分かち合っている。

 制服は白色の上下で、上着は丈45センチ、下の半ズボンは丈50センチ。八嶋さんが2011年秋、たまたま立ち寄った福井市のリサイクルショップで発見、1万円で購入した。服が納まっていた桐の箱の箱書きによると、当時皇太子だった大正天皇に付き従っていた陸軍の軍人が、1889(明治22)~90(同23)年ごろに拝領した物で、何らかの事情で市場に出回ったものとみられる。

 「あのまま放っておいたら、貴重な文化財が失われてしまうかもしれない、守らなければという思いだった」と八嶋さんは振り返る。

 皇室とゆかりが深い京都の聖護院で得度した僧侶でもある八嶋さんは当初、聖護院に納めようと相談したが、門主から「あなたが守りなさい」と言われたという。東京、福井、弘前と、国内を転々とした制服は長年、八嶋さんの自宅で大切に保管されてきた。

 2018年に東奥日報がこの制服について八嶋さんや学習院大に取材したことで、その存在が同大関係者の知るところに。一時は寄贈への機運も生まれるかに見えたが、そのままたち消えた。

 今年に入って、聖護院の関係者と親交がある学習院の名誉教授が、聖護院側から寄贈について相談を受けたことがきっかけとなり、話が再燃。この名誉教授も東奥日報記事で制服のことを知っていたこともあって、話はとんとん拍子に進み、聖護院が間に立つ形で3月、寄贈が決まった。

 しかし、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、学習院大は4月上旬から入構禁止に。受け入れ体制が整わず、気をもむ日々が続いたが、国の緊急事態宣言解除を受けて大学が業務を徐々に本格開始。1日に八嶋さんが弘前から送った制服は3日、無事学習院に到着、受け入れとなった。

 画業の参考にするためもあり、書画などの古美術品を収集している八嶋さんだが「文化財は納まるべき所に納まるのが一番」というのが持論。「本当にほっとした」と胸をなで下ろしている。

 同大史料館学芸員の長佐古美奈子さんは「名誉教授から話を聞き、記事になったのと同じ物だと知ったときは、つくづく縁とは不思議なものだと思った」と驚きを隠さない。「夏服は傷みやすく、昭和の時代の物ですら残っていないので大変貴重。薫蒸などで保全した上で調査、保管して、いつか展示したい」と話している。

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学習院の制服 学習院は1877(明治10)年に、華族子女の教育のため設立された私立学校。文部省教育とは一線を画す独自の教育がなされ、1879(同12)年、国内で初めて、現在の学生服の原型となる詰め襟の制服を制定した。ほかにもランドセルなど、学習院が事始めの事象が数多く存在する。また学習院では、教育上の効果を狙って、華族以外の一般市民の師弟も定員の3分の1まで入学できる共学が採られた。その経済格差による服装の優劣が子どもたちの間であつれきを生んだことも、制服が取り入れられた背景にあった。海軍式のサイドベンツ(上着背中両サイドの切れ込み)や、袖のライン、ズボンが半ズボンであることなどが特徴となっている。