中日即戦力候補→育成契約 フルスイングで恩返し目指す“ガッツの秘蔵っ子”

中日・石岡諒太【写真:小西亮】

小笠原道大が付けた「36」→「205」へ、中日5年目の石岡諒太内野手

「みんなにも、似合わないって言われますよ」。背中には重たい「205」の数字。育成選手として今季をスタートさせた中日5年目の石岡諒太内野手が、苦笑いして言う。新型コロナウイルスの感染拡大で2軍の練習試合が中止になる直前の3月下旬。2桁の背番号を取り戻したい一心で、持ち味にしてきたフルスイングを取り戻そうとしていた。

プロ生活は初っ端からつまずいた。2016年の入団直後から腰の不安が露見し、キャンプイン直前に椎間板ヘルニアの手術を受けた。シーズン序盤の5月に実戦復帰したが、すぐに右太もも裏痛で再離脱。同期入団の新人の中で唯一1軍出場なしに終わった。社会人の強豪・JR東日本で5年間過ごし、即戦力候補としてドラフト6位で飛び込んだ世界は厳しかった。

それでも、周囲の期待は感じていた。すぐそばからは、熱く鋭い視線が注がれる。当時の小笠原道大2軍監督(現日本ハムヘッドコーチ)に、何度もマンツーマンで手取り足取りの指導を受ける機会に恵まれた。下半身、下半身、下半身……。嫌というほど意識を植えつけられた。決して特別扱いされているとは思わなかったが、不思議な縁もあった。同じ左打ちで一塁を守り、中日で現役を引退した小笠原氏が最後につけた背番号36を引き継いだ。何より、野球ファンを魅了したガッツの代名詞のようなフルスイングを目指していた。

翌2017年は1軍デビューを果たしたものの、わずか2試合で快音は残せず。2018年は1軍出場なしに終わった。頭で分かっていても、うまく体現できない。停滞したまま足踏みばかりしていると、また壁がやってきた。2019年8月に再び椎間板ヘルニアの手術。何もできないまま4年間が終わった。戦力外も覚悟したが、背番号を大きくしてラストチャンスが与えられた。

次は、もうない。同じ失敗は、できない。石岡はこれまでの教えを顧みる。「小笠原さんにずっと下半身だと言っていただいてきましたが、本当の意味で意識できていなかったんだと思います。フルスイングじゃなくて、ただのオーバースイングだった」。その指揮官は、昨季限りで中日を去った。親身になって目をかけてもらった“秘蔵っ子”のひとりとして、恩を返さないのは、あまりにも不義理だ。

もう28歳。「腰とは付き合っていくしかない。プレーの中でしっかり意識しながら、故障を防止していきたい」。かといって怖がっていたら、スイングは縮こまってしまう。「100%で振る中でも、バランスを考えながら」。新型コロナの影響で思わぬリセットを余儀なくされたが、6月に入って再開された2軍の練習試合で打席を重ね、感覚を呼び起こす。リミットとなる支配下登録期限は、9月30日まで延びた。「まずはフルシーズン、怪我なくやり抜くこと。それができればチャンスも見えてくると思います」。未来は、バットでしか切り開けない。(小西亮 / Ryo Konishi)

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