ヴィクトリア女王 【イギリスの全盛期を築き上げたヨーロッパの母】

ヴィクトリア女王の戴冠式。ヴィクトリアはわずか18歳で女王となった

イギリスは、女王が君臨する時に栄える”とは、歴史上の中でも有名な文句の一つである。

イギリスの歴史上、偉大な女王陛下は何人かいるが、今回はその中の1人である、ヴィクトリア(1819~1901)について、ご紹介しようと思う。

ヴィクトリア女王は、イギリスのハノーヴァー朝・第6代女王で、初代インド皇帝でもある。

現在、イギリスの女王であるエリザベス2世の高祖母(4代前)であり、現在のイギリス王室の礎を築いた人物であると言えるだろう。

その在位は長きにわたり、1837年から、81歳で亡くなる1901年まで、およそ63年間も女王の座に座り続けていたという異例の女王である。
(ちなみに、エリザベス2世の在位歴は68年。歴史上の中でも異例の在位歴である)

莫大な権力を持ち、歴史的にも大きな大事件を巻き起こした、ヴィクトリア女王について、さっそく追ってみよう。

華やかなヴィクトリア朝時代

ヴィクトリアが在位していた1837年からのイギリスは、いわゆるヴィクトリア朝といって「イギリスの全盛期」と呼ばれている。

ヴィクトリア朝時代には、さまざまな文化的発展がおこり、各界には多くの天才が登場した。

小説の世界では、『シャーロックホームズ』シリーズの作者であるコナン・ドイル、『嵐が丘』『ジェーン・エア』で有名なブロンテ姉妹、『不思議の国のアリス』を書いたルイス・キャロルなど、今日でもその名を知らない人はいないような、名作家たちが活躍している。

また、美術や建築の世界でも、数々の発展があった。

ゴシック様式の復興が行われ、建築の世界では多くの大聖堂や、寺院などが建築された。

美術の世界では、【ラファエル前派】と呼ばれる芸術運動がおこり、中世の伝説や文学に着想を得たまるでおとぎ話のような世界観が、数々の画家によって表現された。

フランス・パリのノートルダム大聖堂は、ゴシック様式の代表的建造物である wiki(c)Steven G. Johnson
ラファエル前派の中心人物であったミレーによる『オフィーリア』。シェイクスピアの代表的作品『ハムレット』の中に出てくる悲劇のヒロインを描いている

このように、ヴィクトリア朝時代には文化が多いに発展し、イギリスの歴史の中でも実に華々しい時代であった、と言えるだろう。

ヴィクトリア女王が即位した1837年頃、イギリスでは産業革命が終わり、激動の時代を迎えていた他のヨーロッパ諸国の中で、頭ひとつ抜きん出ていた状況にあった。

その後、ヴィクトリアはイギリスの領地をどんどん広げ、最終的には、即位前の10倍もの領地拡大にする。
彼女はオーストラリア、カナダ、インド、アフリカ諸国の一部など、世界中に植民地を作り、女王の支配下とした。

ヴィクトリア女王は、それらの国々をただ支配するだけではなく、非白人の国王やその子息たちを後見に、彼らのために多くの支援を行い、世界中にある自分の領地をまとめあげていたようだ。

また、夫であるアルバート)との間には、9人の子供たちに恵まれるなど、公私ともに【偉大なる母】のイメージを築き上げた。

そんなヴィクトリア女王は、後年を生きる我々にも、多くの習慣や影響を与えている。

ウェディングドレスの”白”は、ヴィクトリア女王がきっかけ

ヴィクトリア女王とアルバート公との結婚式の様子

ウェディングドレスの色を聞かれれば、世界中のほとんどの花嫁が、”白”と答えるだろう。

実はその習慣は、ヴィクトリア女王が作ったというのをご存知だろうか。

元々、ヨーロッパ諸国では、婚礼儀礼の際の衣装は白ではなく、赤や青、緑などの色あざやなデザインが多かった。

これは、花嫁の実家の社会的地位や、経済力を誇示するための演出であった、と言われている。

だが、その常識を覆したのが、ヴィクトリア女王が21歳の時の花嫁姿である。

当時、彼女は白いシルクのウェディングドレスに、白いベールをかぶり、頭には花を飾って登場した。
まさに現代、一般的になっているウェディングドレス姿である。

当時、このことはセンセーショナルに扱われ、これがきっかけで、次第に”ウェディングドレスは白”という観念が、世界中に広がっていくのである。

クリスマスツリーを飾る習慣は、ヴィクトリア夫妻がきっかけ

実は、当時イギリスには、クリスマスにツリーを飾るという習慣がなかったのだそう。

クリスマスツリーを飾るという習慣は、元々はドイツの習慣であった。
ヴィクトリア女王の夫・アルバートは、ドイツの出身であり、その習慣を取り入れたのが、ヴィクトリア女王だと言われている。

そこからイギリス国民の間でツリーを飾る習慣が普及し、今日では遠い島国の日本でも冬になると、クリスマスツリーが街を彩っている。

現在当たり前のように身近にある習慣が、遠く、ヴィクトリア朝の時代によってもたらされたものであることを知ると、なんだか不思議なものである。

ポメラニアンが好き

愛くるしく、人懐っこい性格であるポメラニアン

実は、ヴィクトリア女王は大の愛犬家で、その中でもポメラニアンという犬種を、深く愛していたという。

ポメラニアンは、元々はドイツのポメラニア地方原産の犬種とされているが、ヴィクトリア女王はこの可愛らしい犬種の虜となり、イギリスで繁殖されたという。

当時のイギリスでは、女王が飼っているということで、ポメラニアンが大ブームになったそうだ。

ヴィクトリア女王は、愛犬が亡くなった後も、庭園に専用の墓地を設置し、いつまでも祈りを捧げ続けたという。

ポメラニアンは現在でも、世界中の愛犬家たちに愛される犬種である。

最後に

ヴィクトリア女王 1887年撮影

この記事では、ヴィクトリア女王が君臨した、ヴィクトリア朝時代について、また、彼女が後年に残した数々の影響について追ってみた。

晩年、彼女はひどい肥満と脳出血を患い、健康がすぐれないことが多かったという。

だが、現在に比べて、医学の発展や、摂取出来る栄養素が少ない中で(もちろんヴィクトリアが、当時一流のケアを受けていたとしても)、63年もの長い年月を、女王として君臨したというのは、歴史上まれに見る偉業である、といえるだろう。

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