メクル第467号 ジャポニカ学習帳 表紙を撮影40年 山口進さん

インドネシアで撮影中の山口さん(本人提供)

 40年にわたり、「ジャポニカ学習帳」の表紙写真を撮影(さつえい)している昆虫(こんちゅう)植物写真家の山口進(やまぐちすすむ)さん。小学3年から高校卒業まで長崎市で育ちました。世界を飛び回る山口さんにお話を聞きました。

 子どもの頃(ころ)は科学ものや「アマゾンの呼び声」などの冒険(ぼうけん)小説に熱中し、寝(ね)る直前までむさぼり読んでいました。ぼろぼろになった昆虫図鑑(ずかん)は、買い直して今でも愛読しています。休日は岩屋山に登り、頂上(ちょうじょう)に集まるキアゲハやカラスアゲハを観察していましたね。
 高校2年の時、長崎の古書店で見た高山(こうざん)蝶(ちょう)の写真集に衝撃(しょうげき)を受けました。外国の不思議な虫や花を自分の目で見たくなり、初めて海外へ行ったのが翌年(よくとし)の夏。台湾(たいわん)へ60日間の一人旅でした。目的だった蝶の採集(さいしゅう)は途中(とちゅう)でつまらなくなり、道具を捨(す)てて自然を見て回りました。この体験が「日本は狭(せま)い」という思いを強くさせ、大学に入ると貨物船で東南アジアのボルネオ島にも行きました。
 卒業後、電機メーカーのシステムエンジニアとして働きましたが、尊敬(そんけい)する栗林慧(くりばやしさとし)さん(平戸市在住(ざいじゅう))の昆虫写真展(てん)を見て昆虫植物写真家になることを決意。28歳(さい)の時にカメラの知識(ちしき)もないまま退職(たいしょく)し、本で必死に勉強しました。その頃は虫の撮影に便利な機材も売っていなかったので、自分で作っていました。
 撮影テーマは一貫(いっかん)して「共生」です。花だけ、虫だけを撮(と)ることはありません。花が咲(さ)くと虫が受粉する、その関係性(かんけいせい)を見ているからです。
 自分にしか撮れない写真を撮りたいと思い、今まで出掛(でか)けた国は70~80になりますが、インドネシアには140回ぐらい行っています。自然が相手ですから、目的の花が咲いていなかったなどの失敗もたくさんありました。
 一番難(むずか)しかったのは、7年に一度、3日ほどしか咲かない巨大(きょだい)な花「ショクダイオオコンニャク」の撮影。毎回同じ場所で咲くわけではなく、芽を見つけても、そこから花になるのか葉になるのかが分からない。険(けわ)しい谷あいに咲くので撮影は過酷(かこく)で、成功するのに15年かかりました。開花しても、受粉してくれる虫が来なければ、のたれ死ぬんです。虫を呼(よ)ぶためにすごい臭(にお)いを放って周りを巻(ま)き込(こ)んで、潔(いさぎよ)く散っていくすさまじさを見ました。

3.5メートルもある巨大なショクダイオオコンニャク。悪臭を放ち、現地では「死人の花」と呼ばれる(山口進さん撮影)

 虫や花をネタにしているけれど、実は人間を見ているんです。バリ島ではヒンズー教に全てをささげる生活に信念を感じますし、タイ北部にいた山岳(さんがく)民族は近代化され、今では昔の写真が貴重(きちょう)になりました。
 ジャポニカ学習帳の「世界特写」シリーズは、クローズアップ写真ですから、花の写真だと「こんな所にめしべがある」とか、いろんな発見ができるはず。あえて花の近くに虫が隠(かく)れている構図(こうず)で撮影していることもあるんですよ。何でもあいまいに見るのではなく、正確(せいかく)に見ることが大事。“目でほじくって”自分なりの発見をしてほしいです。
 座右(ざゆう)の銘(めい)は「自然に生きる」。最近の子はかっこつけすぎじゃないかな。もっと楽に、かっこつけないでいいと思います。

座右の銘である「自然に生きる」とメッセージをくれた山口さん=山梨県北杜市の自宅(本人提供)

 【プロフィール】やまぐち・すすむ 1948年2月23日、三重(みえ)県生まれ。長崎市立西町小-同市立緑(みどり)が丘(おか)中-県立長崎西高-大分大経済(けいざい)学部卒業。国内外で撮影しながら、NHK「ダーウィンが来た!」なども企画(きかく)。著書(ちょしょ)多数。弟は長崎市在住のギタリスト山口修(おさむ)さん。

 


© 株式会社長崎新聞社