あれから10年、高くなった尖閣の波|有本香【香論乙駁】 目に“見えぬ”侵略もあれば、目に“見える”侵略もある――。6月22日、尖閣諸島の沖合で中国海警局の船4隻が日本の領海に侵入。今年に入って11回目であり、尖閣周辺で中国当局の船が確認されるのは70日連続である。「尖閣が危ない!」のは明々白々だが、“見ないふり”をする政治家や言論人がいかに多いことか。いまこそ、安倍総理による力強い「言葉」が必要だ。

わが祖国に絶望した日

10年前の2010(平成22)年がいかなる年であったか。筆者にとって何より印象深いひとつの事件が思い起こされる。

「尖閣諸島沖中国漁船衝突事件」だ。

あれから約10年がたった今月、中国海警局の船が、同じ尖閣諸島周辺のわが国領海に侵入して日本漁船を追い回した。しかも中国側は「日本漁船が中国の領海内で違法な操業をした」と言い始めたのだ。尖閣の件は明らかに新たなフェーズに入ったといえる。

このときの民主党政権への国民の怒りが、翌年起きた東日本大震災時の拙い対応への怒りと相俟って2年後、第2次安倍政権を誕生させたと言っても過言でない。

2010年9月、「漁船衝突事件」の直後に、筆者は評論家の石平さんと雑誌で対談している。このとき、「生まれて初めて日本国民を辞めようかと考えるほど、自分の祖国に絶望した」と正直な気持ちを吐露すると、中国出身の石さんはこう慰めてくれた。

「たしかに今回の菅(直人)政権の対応は酷いが、日本人全員があのレベルというわけではない。日本には我々が今しているように政府を批判する自由もあるし、国民がより良い政治家を選び直す民主制もあるんだから」

事件から2年後、野党第一党だった自民党の総裁選が行われ、安倍晋三氏が奇跡の逆転勝利で総裁に返り咲いた。選挙戦の候補者討論で、安倍氏はつぎのように述べている。

「この大震災(東日本大震災)を通じて、私たちは、私たちにとって大切なものは何か、守るべきものは何かを学ぶことができました。それは大切な家族であり、愛おしい故郷であり、かけがえのない日本であります。今、日本の海が、領土が、脅かされようとしています。断固として守るという決意を示していかなければなりません」(2012年、自民党総裁選立候補者討論会、日本記者クラブ)

この明快で力強いメッセージは、総裁選への投票権を持つ自民党員のみならず、多くの国民の心に響いた。他の候補者、とくに事前の予想では最有力候補とされた石破茂氏の曖昧模糊としたスピーチとは段違いに、安倍氏の「言葉力」が輝いていたのだ。ちなみに総裁選前に氏は、尖閣諸島について、「公務員の常駐が必要だ」と語ってもいた。

総理の力強い「言葉」を聞きたい

総裁選から2カ月後、チベットのダライ・ラマ法王14世が訪日し、国会の参議院議員会館内で講演した。このとき安倍氏は法王歓迎の言葉をつぎのように始めている。

「私は今日この場に、チベット問題を考える国会議員有志の1人として、ではなく、自由民主党総裁として参りました」

この言葉に、当時すでに10年以上チベット問題を取材していた筆者は目頭が熱くなった。

壊滅寸前だった日米関係を立て直し、平和安全法制を成立させて同盟を進化させると同時に、世界の多くの国との間で首脳外交を展開した。これにより日本の評価を上げ、G7サミットでは自ら「センター」の役割を担って、事実上の「中国包囲網」を敷いていったのである。

しかしこの間、尖閣への公務員常駐の件は棚上げされ続けた。そして、「漁船衝突事件」から10年が経ついま、ついに日本の漁船が中国の武装公船に逐われる事態となったのだ。安倍総理は尖閣海域の防衛に関し、「圧倒的対処をしているが詳細は言えない」としている。

「圧倒的対処」の中身は筆者も仄聞しており、総理の言葉を信じてはいるものの、目前の「結果」は、10年前と比べ著しく悪化している。

10年でずいぶん高くなった尖閣界隈の波とともに、チベット人、ウイグル人の苦難がわが国の未来図となって押し寄せてきている。いまこそ、総理の力強い「言葉」を聞きたい。そう思う国民は私だけではあるまい。

(初出:月刊『Hanada』2020年7月号)

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有本香

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