女子大生ユーチューバー、アイヌ語を紹介  消滅の危機に父娘で挑む 50年後に残したい

「ユーチューブ」に学生の日常会話をアイヌ語で紹介するチャンネルを開設した関根摩耶さん=神奈川県藤沢市

 スマートフォンの画面を固定し、台本を入念にチェックする。撮影前の準備が整うと、慶応大3年の関根摩耶(まや)さん(20)が視聴者に向けて、語り掛ける。

 「おいしいはアイヌ語でケラアン。漫画『ゴールデンカムイ』に出てくるヒンナヒンナは命に感謝を述べる言葉なんですよ」―。

 昨年4月、学生の日常会話をアイヌ語に訳して紹介するチャンネルを、動画投稿サイト「ユーチューブ」に開設した。民族の言葉が消滅する危機に、アイヌの血を引く若い世代が立ち上がった。(共同通信=小川まどか)

 アイヌ語は日本語とは文法的に全く異なり、他のどの言語とも親戚関係にないと考えられている。現在、母語とする話者はほぼいない。衰退の背景にあるのは明治政府が推し進めた同化政策だった。

「ユーチューブ」で配信する動画を、友人(左)と撮影する関根摩耶さん=神奈川県藤沢市

 『ゴールデンカムイ』のアイヌ語監修を担当した千葉大の中川裕(なかがわ・ひろし)教授(言語学)は「日本語が話せないと経済的に立ちゆかなくなる状況で、家庭内で使われなくなったことが大きい。日本人がいくら学校で勉強しても英語が苦手なのは、英語が使えなくても生計に困らないからだ。経済と特定の言語の衰退は密接に関係している」と指摘する。差別を恐れ、子どもには教えない親も多かった。

 だが、消滅の危機にありながら、アイヌ語には高齢者の肉声を録音した音声テープなど、研究者や市井の人々の手によって豊富な記録が残っている。関根さんの故郷でアイヌにルーツを持つ人が多い北海道平取(びらとり)町はこの記録をデータ化している。

 データ化には、関根さんの父でアイヌ語講師の健司(けんじ)さん(48)も携わっている。関根さんはこうした音声データを活用した動画も配信している。「少しさかのぼれば話せる人たちがいた。ルーツに関係なくアイヌ語を勉強できる環境がもっと整えば、未来は変わってくるかもしれない」

 「しと(アイヌ語で団子)ちゃんねる」と命名したチャンネルは大学の友人に背中を押されて始めた。「自分たちのことを表現するときに、自分たちの言葉で言えたらかっこいいじゃないですか。私もまだまだ勉強中だけど」と関根さん。

 動画は一回3分ほど。健司さんの監修も得ながら、会話レッスンだけでなく、伝統料理や音楽も紹介している。総再生回数は10万回を超えた。「気軽にアイヌ文化に触れる媒体は提供できたかな」と手応えを感じる。

 父の健司さんは二風谷のアイヌ語教室で子どもたちに歌や遊びを交えながら教えている。兵庫県出身で、27歳のころに移り住んだ。元々英語が得意で、アイヌ語も講座に通ったり、古い音源を繰り返し聞いたりして習得した。「英語と比べたら全然カタコトですよ。しゃべる機会がなくて訓練ができないし、現代のことを表現する語彙(ごい)もない」

 2013年に初めて視察したニュージーランドの先住民族マオリの言語教育には圧倒された。「大人たちが真剣に習得しようと熱があった」と振り返る。現在、健司さんが行う子どもたちの授業は週2回。正直、もどかしさも感じている。

 「どれだけアイヌ文化が注目されても、言葉はどこか二の次なところがある。もっとたくさんの人に興味を持ってもらって、英語や中国語を勉強するようにアイヌ語という選択肢があってもいいんじゃないかな。ニュージーランドのラグビー選手が全員でハカを踊るように、日本もそういう風になるのが夢。僕も変わっているんでめげないですよ。今がどん底だから何かやれば全部新しい一歩になる」

関根健司さん

 一方、娘の関根さんは、講演会での質問の言葉が今もずっと心に残っている。

 50年後のアイヌはどうなっていますか―。

 「どきっとしました。そこまで見据えないとだめなんだなって。街角でアイヌ語が流れていても、アイヌ文様があちこちにあっても、気にならないぐらい自然になっている。そのためにアイヌとして何か残せたら」。模索しながら歩みを進めている。

 ▽一口メモ「アイヌ語」

 北海道を中心にサハリン(樺太)や千島列島、東北北部で話されていたアイヌ民族の言葉。固有の文字を持たず、片仮名やローマ字で表記される。日本語にはトナカイやラッコ、シシャモなどアイヌ語から入ったとされる単語が多くある。国連教育科学文化機関(ユネスコ)は2009年、「消滅の危機にある言語・方言」に認定し、最も危機的な「極めて深刻」に位置づけた。

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