沖縄と被爆地

 3年前、本紙に載った記事を読み返している。沖縄県うるま市の80歳の女性は戦争体験を修学旅行生に語っているが、それを始めたのは70代半ばで、それまでは沖縄戦について長いこと口を閉ざしていた-とある▲一緒に逃げた母と弟を米軍の砲撃で亡くした。沖縄戦の終わり頃に当たる6月には決まって体調を崩してしまうが、戦死者から「戦争のことを話して」と言われている気がして、語る決意をしたという▲「忘れたい」と「忘れまい」。二つの思いが長い間、せめぎ合ってきたのだろう。広島、長崎でも同じかもしれない。ご高齢になって原爆のつらい体験を語り始めた方々も少なくない▲戦後75年の節目に「忘れまい」と沖縄、広島、長崎がそろって誓う「慰霊の日」になった。沖縄県で営まれた全戦没者追悼式で、玉城デニー知事は、被爆地と「平和を願う心を共有する」と宣言した▲新型ウイルスの影響で「初めての招待」はかなわなかったが、長崎市の田上富久市長はビデオメッセージで呼応した。励まし合い、戦争の記憶を伝え続けよう-と▲体験のない世代が記憶をどう語り継ぐか。抱える難題に変わりはなく、沖縄と被爆地とで「これからの伝え方」を共に探っていきたい。忘れまい、忘れてはならない。皆がそう誓い、行動する時が来ている。(徹)

© 株式会社長崎新聞社