ヘイト、中傷…進むかネット対策  木村花さん死去で世論注目 ヘイトスピーチ解消法4年  

 ヘイトスピーチ解消法の施行から6月3日で4年が経過した。相変わらず、インターネット上の差別投稿は後を絶たない。新型コロナウイルス感染症による混乱の中、芸能人の死去を中国人のせいにしたり、朝鮮学校へのマスク配布報道に「出て行け」というコメントが付いたりと、法の実効性には疑問符が付く。ネット対策が急務であることは明らかだ。一方で、法改正は簡単には進まない。いまだ被害者が自力で救済を図るしかないのが現状だが、手続きも煩雑で「八方ふさがり」と言える状況だ。

 ところが、出演していたテレビ番組での言動からSNS上で中傷を受けた女子プロレスラー木村花さん(22)の死去によって、ネットでの中傷に注目が集まり、世論が少しずつ動き始めた。(共同通信ヘイト問題取材班)

亡くなった木村花さん=3月8日、東京都文京区(ゲッティ=共同)

 ▽コメント欄で差別を扇動

 3月30日にタレント志村けんさんの死去が報じられた。するとツイッターで「殺したのは中国人」など、感染が最初に確認された中国への憎悪と暴力をあおるヘイトスピーチが広がった。ツイッターでは利用者が問題ツイートを通報する仕組みがあり、いくつかは既に削除されている。

 3月11日に共同通信が「マスク配布、朝鮮学校を除外 さいたま市、再考を表明」という記事を配信した時も、記事を紹介したツイッターやヤフーニュースに差別コメントが殺到した。「出て行け。目障り」「文句があるなら日本に住むな」など、在日コリアンへの危害や排除を扇動する危険な言葉が並んだ。

 さいたま市からマスク配布の対象外とされた埼玉朝鮮初中級学校幼稚部の朴洋子園長は「何か問題が起こるたびにヘイトスピーチを受ける構図は、法律ができてからも変わらない。法の精神が社会に浸透していない」と声を落とす。ネットには「国籍で命を選別するな」といった反応も多く、批判を浴びた市は一転、マスクを配布した。

埼玉朝鮮初中級学校幼稚部がマスク配布対象外となったことを巡り、さいたま市の担当者に抗議する園関係者(右側)ら=3月11日、さいたま市役所

 ドイツには、ツイッターなどネット企業大手に差別投稿の削除を義務付けた「ネットワーク執行法」がある。明白な違法投稿について会員制交流サイト(SNS)に24時間以内の削除を義務付けるもので、最高5千万ユーロ(約60億円)の制裁金もある。

 しかし、日本のヘイトスピーチ解消法はヘイトを「許さない」とする理念法だ。強制力も罰則もない。削除判断は企業に任されているのが実情だ。解消法成立時、衆参の法務委員会は「ネット上の差別的言動を助長し、または誘発する行為の解消に向けた取り組みに関する施策を実施すること」を求める付帯決議をした。だが、具体的な施策はまだない。

 このため、ヘイトスピーチ解消法を改正し、ネット上での言動も含めて罰則を付け、実効性を高めることを求める声や、人種差別全般を禁止する人種差別撤廃基本法の制定を求める声も多い。ただ、表現の自由との兼ね合いから、罰則を付けたり禁止したりすることに慎重な意見も根強いため、議論にはさらに時間がかかりそうだ。

 ▽名誉回復には2回の民事裁判

 現状では、ネット上で匿名の投稿者から差別や中傷を受けた被害者は、自力で救済に取り組むしかない。

 投稿者の責任を問おうと刑事告訴や損害賠償請求するには、相手を特定する必要がある。SNSへの投稿の場合は、運営企業に記録開示と記録保存を要請し、接続業者(プロバイダー)にも発信者情報の開示を求める。

 業者が応じてくれれば、投稿した人の氏名と住所が分かる。しかし、応じてもらえることは少ない。運営企業や接続業者にとっては、顧客の個人情報を簡単に出せば、顧客から訴えられかねない。このため、大半は裁判所の判断を仰ぐ訴訟になる。勝訴して初めて投稿者を相手取り、刑事告訴や損害賠償請求訴訟を起こすことができる。

 つまり、名誉回復までに2回の民事裁判を起こさねばならない。証拠集めや弁護士費用など、被害者の精神的、金銭的、時間的負担は大きい。

 この構図はヘイトだけでなく、個人に対するネット上での誹謗中傷も同じだ。負担の大きさから泣き寝入りするしかない人が多い。

「ネット上の人権侵害情報対策法モデル案」を国会議員らに説明する師岡康子弁護士=19年12月、国会

 ▽手続き簡素化へ

 しかし今、この状況が変わりつつある。5月23日、女子プロレスラーの木村花さんが死去した。出演していたリアリティー番組での言動から、SNSなどで激しい中傷を受けていたことが判明。ネットでの中傷対策が必要だとの声が一気に高まった。

 総務省は4月に設置した「発信者情報開示の在り方に関する研究会」で議論を始めている。具体的には「プロバイダー責任制限法(プロ責法)」を改正し、請求手続きの簡素化や開示情報を拡大する方向に進みそうだ。

総務省

 救済を望む被害者にとって、朗報と言えるのだろうか。ヘイト問題に詳しい師岡康子弁護士は「プロ責法改正だけでは足りない」と指摘する。ヘイトでも中傷でも、被害者にとっては裁判に訴えること自体が負担になる。手続きの簡素化よりも、まずは早急な削除が必要なためだ。

 師岡弁護士は、削除を専門家による第三者機関が判断する「ネット上の人権侵害情報対策法モデル案」を研究者らとまとめた。差別的言動や名誉毀損(きそん)を禁じ、プロバイダーには第三者機関が要請してから48時間以内の削除判断を義務付ける内容。被害者が裁判を経ずに救済される仕組みだ。

 現在のプロ責法は、憲法が保障する「表現の自由」を担保するため、ネット事業者が投稿者情報を開示しなくても責任を免除するという考え方の法律だ。モデル案は反対に、事業者が投稿者情報を開示しても責任を免除し、開示を促すものだ。

 ヘイト解消法の改正論議が進まない中、現場を抱える地方自治体で対策が先行しているが、限界もある。川崎市では、全国で初めてヘイトに刑事罰を盛り込んだ差別禁止条例が成立。7月に全面施行される。それでも、ネット上のヘイトは罰則対象に含まれなかった。罰則は街頭で行われるとりわけひどいものだけに限定し、表現の自由との兼ね合いを図ったためだ。

 解消法の発議に加わった公明党の矢倉克夫参院議員は「コロナ禍で悪質な差別が広がっている。教育、啓発だけでなく、プロ責法の改正や新法制定を含むネット対策が必要だ」と話した。やはり国会で議論を始める必要がある。

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