<いまを生きる 長崎コロナ禍> 長崎市感染1例目のホテル 間を置かず社長が公表 批判、風評防ぐ危機管理

 県都・長崎市の新型コロナウイルス感染1例目はホテルだった。運営会社は事態を把握してから間を置かずホテル名の公表に踏み切った。周到な準備が迅速な対応を可能とし、批判や風評被害も防いだ。一つの危機管理の在り方を示している。

 4月15日午後8時ごろ、JR長崎駅前の「ホテルウイング・ポート長崎」に市保健所から連絡が入った。宿泊中の男性客1人がPCR検査の結果、陽性と判明、これから病院に搬送するという。同時に、感染者の行動範囲の消毒と接触者のリスト作成を求められた。
 来るべきものがついに来たか-。運営する九州教具(大村市)の船橋修一社長(61)は県外客が多い場所柄、いつ感染者が来てもおかしくないと考えていた。男性は車で福岡県から訪れ、15日間泊まりながら市内の工事現場で働いていた。
 同日午後10時、田上富久市長が会見。これに先立ち九州教具はホテル名を明かすかどうかを市から相談された。だが、ほかにも約50人が宿泊。感染を把握したばかりで、問い合わせが殺到しても応じる情報を持ち合わせていない。パニックを避けるためにも、いったん伏せてもらうことにした。

「コロナの痛手は大きいが、貴重な経験を生かし変化に対応していく」と語る船橋社長=大村市桜馬場1丁目、九州教具

 翌16日未明にかけて、連泊中の男性の行動を洗い出すとともに、搬送前と後にスタッフがエレベーターやロビーを消毒した。同日午前7時、船橋社長は電話を手にした。相手はラジオのアナウンサーだった。

◆公表は社会的義務

 「本来は録音ですが、急きょ生放送で話をうかがいます」。4月16日午前8時25分、長崎放送(NBC)ラジオのアナウンサーが、前夜に長崎市の「ホテルウイング・ポート長崎」で新型コロナウイルス感染が確認されたと伝えた。九州教具の船橋修一社長は電話を通じて説明。感染者と他の宿泊客の接触はなく、この日から休館し、約20人のスタッフ全員を自宅待機にすると冷静に述べた。
 毎週1回出演する番組で放送枠は5分間。さらにNBC側の要請で午前9時10分からも約10分間、アナウンサーの質問に答えた。「(ホテル名の)公表は社会的義務。市民の安全を最優先に考えると、公表と休館は避けられない」。さらにこうも付け加えた。「感染されたお客さまも被害者。誹謗(ひぼう)中傷や過剰な詮索をされないよう望みます」
 一方、ホテルや会社には「所在地はどこか」「近づいても大丈夫か」といった問い合わせが相次いだ。午後2時には報道各社をホテル前に集め、現場責任者がカメラの前で対応。夕方のテレビニュースで状況や対策が伝えられると、電話は鳴りやんだ。会員制交流サイト(SNS)をチェックしていた社員は胸をなで下ろした。「メディアを使って正確な情報を速やかに伝えることで、風評被害やデマの拡散を防げたようだ」と船橋社長は振り返る。

ホテルウイング・ポート長崎は4月25日、専門業者に依頼し館内を消毒した(九州教具提供)

◆準備周到 迅速に対応

 これほど素早く危機対応できたのは、事前の準備が大きい。3月上旬、感染発生時の連絡体制を決め、4月13日には県内感染状況によって4通りの対応方針を設定。その2日後に“ぶっつけ本番”となったが、「ほぼ想定通りに進んだ」(船橋社長)。同社は市内で計3ホテルを運営しており、発生後はこの方針に基づき、宿泊者をすぐ他の2ホテルに移した。2ホテルのスタッフは2班に分け、接触を禁じ、勤務と休みを1週間交代とした。
 さかのぼれば2003年、中国で重症急性呼吸器症候群(SARS)が猛威をふるった頃から、船橋社長は危機意識を持っていた。昨年秋以降、高額な自動チェックインシステムを3ホテルに導入。運用効率化と同時に、スタッフと宿泊客の接触を減らして感染リスクを軽減する狙いも社長にはあった。今年3月には朝食バイキングを部屋食に切り替えた。チェックイン対応がない分、弁当の準備や日常の消毒作業に人員を割けるようになった。
 社会貢献は社是だ。ホテルウイング・ポート長崎は、感染拡大に備える軽症者用の宿泊療養施設の公募にも応じた。住民の反対を受け県は選定を中断したが、「必要な施設。誰かが手を挙げなければ」というのが船橋社長の思いだった。
 7月中にも営業を再開する方針。船橋社長は「ホテルのようなサービス業は世間の波を受けやすい。だが私にとっては、その動きを知る貴重なレーダーの役割を果たす。コロナの痛手は大きいが、貴重な経験を生かし、変化に対応していく」と話した。

 


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