道交法誕生から60年 車社会化映し混乱やブーム巻き起こす

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自動車の交通量が増え、渋滞が頻発する都市部の道路=1960年8月、大阪市北区の梅田周辺

 25日に公布から60年を迎えた道路交通法(道交法)。私たちのライフスタイルやインフラの変化に合わせ、改正を重ねてきた。節目の報道をたどってみると、いまではすっかり定着した法令も、改正当初は反発や混乱があり、紆余曲折を経て、身近な存在になってきたことが分かる。(ネクスト編集部)

 マイクロフィルムやデータベースで、60年前の公布日の新聞紙面を調べてみた。何度見返しても、公布を伝える記事はない。1960年6月25日朝刊の1面トップ記事は、安倍首相の祖父、岸信介首相の後継を巡る内容。安保条約が成立し、内閣総辞職を表明した2日後だった。道交法は世間からはほとんど注目されず、生を受けた。

 だが、国内の交通環境は看過できない状況になっていた。同じ年の紙面に、神戸市内の道路状況をレポートした記事があった。「都市交通は青息吐息 問題の多い路上駐車」と見出しにある。道路を埋める路上駐車。歩道には荷物が積み上げられ、トラックや商用車が荷物の搬入、搬出で長時間居座る。修理工場の前では、歩道で修理作業が行われ、警察官が来ても「すみません。気を付けます」と、のれんに腕押し。

 法令が未整備でマナーも悪く、道路整備も追いつかない。神戸だけではない。全国各地の都市機能がマヒしていた。施行日の社説は、怒りにあふれている。

 「日本の交通難もついにきわまるところに来た。“走る凶器”が突っ走っているが、舗装が行き届かず全国の道路の9割までが道路の名にまで値しない」と断じている。

 誕生の日こそ注目はされなかったが、社会的要請は高かった。当時の交通事故による死者は全国で年1万2055人。2019年の3215人の4倍近くもあった。

 道路交通法は旧法から条文が4倍にふくれ、罰則を強化した。施行初日の様子を伝える記事は、ドライバーの心理を写している。「おっかなびっくり新道交法 車数珠つなぎ」。歩行者の横断や通行区分、追い越し禁止などが新たに規定され、そろりそろりと運転するため、渋滞が起きる様子を伝えている。

 翌日の記事には、神戸の違反1号を巡る混乱も。重傷ひき逃げ事故の110番通報があったのは、12月20日午前0時4分。施行からわずか4分後だ。容疑者の男が出頭してきたが、「絶対に20日ではない。事故があったのは午後11時過ぎ」と主張。新法か旧法かで罰則が大幅に異なるため、警察が調べ直すことになったらしい。

     

 自身の経験と照らし合わせて記憶に残る年がある。1986年。大きな改正が立て続けにあった。一つは7月5日からの原付バイクのヘルメット着用義務化。唯一対象外だった原付もいよいよ規制となる。髪型を気にする少年や女性らの反発は大きかった。筆者も18歳で原付免許を取り、1年ほどノーヘル運転を経験した。米映画「イージーライダー」(69年公開)など洋画の世界に勝手に浸り、小さなスクーターにまたがった。ヘルメットはおじさんやおばさんのように見え、当時の言葉で言うと「ナウ」くないと映ったのだ。

 だが、義務化とあっては、従うしかない。若者が柔軟に対応している記事があった。大学の構内では学生がカラフルなヘルメットに教科書や文房具を入れ、かばん代わりに利用。「ヘルメット変じてニューファッション」と報じられた。

 もう一つがシートベルトの着用。11月1日から一般道でも前席の着用が義務づけられた。「窮屈」と、ドライバーの受けは決してよくなかった。カーショップには、着用していないのに、したように見える変わり種グッズや、ゆるーく留められるクリップのような器具も売っていた記憶がある。兵庫県警の調査では、女性の着用率が2~5ポイント低く「女心を締めつけるシートベルト」と報道された。

 その後、記事をたどると、2000年頃では女性の方が着用率が高く、受け入れられているとみられる。