WTCR:ハンガリーのゼングー、2018年のDTM戦で負傷したマーシャルにTCRドライブの機会を提供

 2020年のWTCR世界ツーリングカー選手権への復帰参戦を決めたハンガリーのZengő Motorsport(ゼングー・モータースポーツ)は、シーズンで起用するベンス・ボルディズとともに、2年前のDTMドイツ・ツーリングカー選手権のハンガロリンク戦でボランティア・マーシャルを務め、不慮の事故で怪我を負ったアッティラ・ラースローにセアト・クプラTCRのドライブ機会を提供。義足を装着して17周のラップを楽しんだ。

 2018年6月3日、DTM第3戦ハンガロリンクのレース2でピットレーンにいたラースローは、ヘビーウエットのなかタイヤ交換に飛び込んできたDTM車両がオーバーシュートしたことで重傷を負う災難に見舞われた。その後、医師団の賢明な治療にもかかわらずラースローの左脚は救うことができず、膝下からの下肢を切断する必要があると診断された。

 この出来事は彼のその後の人生を大きく変えたものの、本人のモータースポーツへの情熱は失われることはなく、それ以上に子供のころ夢に描いた目標「いつかはレーシングカーをドライブしてみたい」との思いが日に日に強くなっていった。

 その想いに応えた地元のZengő Motorsportは、6月初旬にそのハンガロリンクにラースローを招待し、チームの新人ボルディズを指南役に彼の夢を実現させる手助けを買って出た。

 ブダペスト出身で31歳のラースローは、初のセッションを前に「あらゆる面で恐怖心を覚えていたけれど、テスト全体を通して左足で充分な力でブレーキペダルを踏むことができ、右足だけをスロットルに置いて操作に集中できた」と、夢の体験を振り返った。

「今もまだ、白昼夢のような空想の世界を漂っているような気分だ。クプラTCRのシートに座り、ステアリングを握ってピットレーンシグナルが変わるのを待った。最初の数コーナーは本当にゆっくり走らせたから、路面電車の方が速かったはずだ(笑)」

「テスト前はブレーキを踏むことが怖かったので、まずはその自分の気持ちを克服することが課題だった。(カートの経験から)プロみたいに左足でブレーキを踏みたかったが、充分な踏力が出るかが疑問だったんだ」

2020年のWTCRデビューが決まったチームの新人、ベンス・ボルディズ(左)が指南役を務めた
チームはクプラのブレーキペダルを改造し、ワイド化することで義足を固定するスペースを確保した

「でもチームはブレーキペダルを広げる措置を取ってくれて、義足をそこに固定してくれた。だから義足で踏み込めない場合や不測の事態に陥った際は、右足で踏み換えることが可能になった。コーナーでのGに耐えるためにも、義足は固定する必要があったんだ」

 これまではレーシングカーの座席に座ったことはあれど、実際にドライブした経験はなく、シミュレーターやカートで競技の状況を体験してきたというラースロー。今回のテストはゾルタン・ゼングー代表率いるZengő Motorsportが2019年のWTCR地元戦にワイルドカード参戦してカムバックした際、マーシャルとして現場に復帰していたラースローとの出会いにより実現したのだという。

「テスト前のブリーフィングでは『今回はラップタイムを追うものではなく、レースカーをドライブする感覚を得るのが最大の目標だ』と説明された。30分のセッション2回で17周を走ったけれど、その脇には彼らのレギュラードライバーであるベンスが座ってくれた」

「彼の指示に従って、すべてのコーナーで安全な長い制動距離を確保しマージンを取ったけれど、その状況でさえターン11では冷えたリヤタイヤの挙動を感じることもできた。恐ろしい瞬間だったけど、なんとかカウンターステアを当ててコースに留まることができたよ」

「今回のべストラップは2分08秒570。限界に挑戦しようとしなくても速いマシンだと理解できたよ。事故の前はグラフィックデザイナーとして働いていて、リハビリから復帰後も職場に戻ったけれど、何かが物足りない気がしてパラ・テックポン(弓状卓球台を使用した球技)を始めてみたんだ」

「その感覚に虜になった今は競技優先の生活に切り替えたのと同時に、アニメーターとして(テックポンやテックボールなど)パラ・テックスポーツの普及に取り組む仕事をしているんだ。機会があればレースにも挑戦したいと思っている」

お互いにシートを乗り換え、30分のセッションを2度実施。アッティラ・ラースローは計17周を走破した
チームへの感謝を語ると同時に「機会があればレースにも挑戦したい」と語ったラースロー(左)

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