往時の全容現すか 県庁跡地、石垣の発掘本格化へ 「岬の教会」にも注目

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出島側の南門(画面左奥)に向けてカーブを描き、高さ2メートルほどの石垣の上端部が露出している発掘現場=長崎市、県庁跡地(県教委提供)

 江戸時代に長崎奉行所が置かれていた県庁跡地(長崎市江戸町)で、先月始まった埋蔵文化財調査は、跡地南側の区域に埋まっている石垣の遺構を掘り出す作業が、今月末に本格化する。同跡地は当時、岬突端の高台に位置し、海に面していた周囲は高い石垣で囲われていた。今回発掘するのは、敷地の南東側から南側にかけての長さ約60メートルに及ぶ範囲の石垣。最大高さ7メートル程度で、つながって残っている可能性が高く、8月ごろには往時を想起させる大規模な全容が姿を現しそうだ。

■江戸期に築造
 同跡地には16世紀後半の長崎開港後、カトリックの国内拠点「岬の教会」が所在。江戸幕府の禁教令を受けて1614年に教会が取り壊された後、33年に長崎奉行所がこの地に移転。73年、現在の同市立山1丁目の立山役所、同跡地の西役所に分かれた。
 石垣は江戸時代前期には既に築造されていたとみられる。両役所は幕末まで存続し、同跡地には明治期から2018年まで4代にわたる県庁が置かれた。
 同跡地の西側と東側の一部には、江戸期と同じ場所で後年に積み足していったとみられる石垣が現存している。しかし、これ以外の場所の石垣は、過去の庁舎整備などの過程で壊されたり埋められたりしていた。

■上端部を確認
 県教委学芸文化課によると、今回発掘するのは、東側に現存する石垣の南端から、出島側の南門にかけての石垣。昨年10月~今年1月の調査で、この区域にあった石垣の想定ライン上4カ所を試掘したところ、3カ所で石垣の上端部を確認した。下の部分も残っている可能性が高く、保存活用を前提に掘り出すことにした。
 この区域は旧県庁時代、正門前の広場に面して2階建ての立体駐車場があった場所。1945年の長崎原爆で3代目庁舎が焼失する頃までは露出していたが、敷地拡張のため、4代目庁舎の完成(53年)前に埋め立てられたとされる。
 現場では今月から重機などを使い、石垣の外側の土を上から順に取り除いていく作業を開始。22日現在、既に石垣の上部(高さ2メートルほど)が連なって露出している。8月下旬には全体が掘り出せる見通し。
 同課は「今回の結果と昔の絵図面などを突き合わせることで、奉行所を取り囲んでいた石垣全体のラインが分かる。発掘が進めば、そそり立つ石垣が姿を現すはず。注意深く作業を進めたい」としている。

■現場見学会も
 一方、奉行所より前にあった「岬の教会」の関連遺跡が見つかるかどうかも、注目される。詳しい施設配置などは分かっていないが、今回の発掘区域は当時の岬の突端に近く、教会施設があった可能性がある。このため、石垣の内側の一部の発掘も行う考え。岬の教会が存在したのは400年以上前で、これまでに関連遺跡は見つかっていない。
 県内外の学識者らでつくる「長崎県庁跡地遺構を考える会」共同代表の一人で、県考古学会の稲富裕和会長は「岬の教会は当時、国内に西洋文化が広がる起点となった重要な場所であり、関連する遺構や遺物が見つかれば貴重な発見になる」と話す。
 このほか、南門付近の坂道の地下に埋まっているとみられる別の石垣や、南門の隣接地で前回見つかった町屋(商家)跡の発掘を10月まで実施。調査期間中に現場の一般見学会開催も予定している。また、長崎奉行所の遺跡が残っていた同跡地西側の区域も、10月以降に詳しい発掘を行う。

県庁跡地の現在の状況(県資料を基に作成)