【THIS IS MY CLUB】「あの時辛い思いをさせたサポーターに…」栃木の闘将・菅和範、Jリーグ再開に向けた決意

新型コロナウイルスにより長らく中断となっていたJリーグがいよいよ再開する。
Jリーグ中断でも持ち前の前向きな性格で今、できることを考え自粛期間中を過ごしていた栃木SCキャプテン、菅和範。しかし、これまでにない状況による自粛期間は前向きな性格でも不安を感じる瞬間もあったが、さまざまなきっかけで自分自身、サッカーについて新たに知ることができたという。自粛期間中にどのような心境の変化があったのか。Jリーグ再開に向けた意気込みとあわせて話を聞いた。

※このインタビューは再開するJリーグをさらに盛り上げるための取り組み「DAZN Jリーグ推進委員会」の活動の一環、17のスポーツメディア連動企画となります。

(インタビュー=岩本義弘[REAL SPORTS編集長]、構成=REAL SPORTS編集部、写真提供=栃木SC)

今できることを100%取り組む前向きな性格

――ようやくJリーグの再開日が決まりましたが、新型コロナウイルスによる自粛期間で練習ができない時期はどのように過ごしてましたか?(編集注:取材6月18日)

菅:新型コロナウイルスというものは、僕たちの力でどうにかできることではないので、まずできることにフォーカスしていこうと。自分の中で、トレーニングとそれ以外っていうふうに考えて生活をしてました。緊急事態宣言などが発出する前に子どもが春休みで家族は実家に帰っていたので、基本的には宇都宮に僕はずっと1人でいました。1人で良かったって言い方はおかしいですけど、自分に目を向けることができて、すごく充実した期間になったのは確かです。

――家族がいると自身の健康とあわせて家族の健康やお互いのストレスなども気を付けないといないですもんね。

菅:そうですね。

――トレーニングの時間とそれ以外の時間を自分でコントロールできたということですね。

菅:こういう時期だからダラダラすることはやめて、朝6時に起きてから1時間は自分の時間。本を読んだり、いろんなことをする生活を作るようには心掛けてました。

――元々そういう性格なんですか?

菅:そうですね。今できることを100%取り組もうっていうのは、昔からの性格なのかなと思っています。できないことに対して何か悔やむよりも、できることに対して取り組むほうが楽しいだろうという性格なので(自粛期間中)サッカーとか勉強関係なく、DIYとかもかなりしました。家族が帰ってきた時に、息子のためにボルダリングボードを家に作ったりして驚かせたいなとか。なので、前向きに過ごすことはできました。

――プロになる前から、自分を律せられるキャラクターなんですか?

菅:自分で言うのもなんですけど、前向きな性格なのかなと。両親もそういう性格なので、家族の影響も受けているかもしれません。

――そういう性格だと何をやってもうまくいきますね。

菅:うまくいってるかは分からないですけど、(そのほうが)人生は楽しく過ごせるのかなと思っています。

――自分の一番の武器は何だと思いますか?

菅:やっぱり前向きな性格ですね。あとは、チームで自分にフォーカスするという勉強会があったんですけど、そこで改めて自分っていうものを見た時に、自分の強みはやっぱり人と話すこと、人と関わるのが好きで、分け隔てすることなく興味を持って接することができることだと思ったので、そういうところが自分の強みなのかなと思います。

正直、長くサッカー選手ができるとは思っていなかった

――自粛期間中に100人弱ぐらいが参加する規模の大きいオンラインセミナー(※)をZoomで行われていましたよね。
(※4月26日に開催された高知大学体育会サッカー部OB出演オンラインセミナー)

菅:ありがたいことに多くの方が受けてくださりました。高知大学出身なんですけど、卒業してからあまり関わることもなく、オフシーズンにちょっと顔出すぐらいでしたが、こういう時期なので生徒たちやいろんな人に何か感じてもらえるといいなと思い、このオンラインセミナーに参加させてもらいました。

――具体的にどんなことを話したりしたんですか?

菅:高校時代、僕が何を考えてたのかという部分を一番に話させてもらいました。自分で言うのもなんですけど、高校時代からずっと「下手くそ」って言われてきて、評価をされてなかった選手だと思うんです。でもそれに対して腐ることもなく、夢だけを見て、目の前のことを乗り越えて夢を掴んだというマインドがあります。

サッカー選手って子どもたちからすると、トレセンや選抜に選ばれた人がプロになるものだろうなと思っている中で、僕は一度もそういうのには選ばれたことがないけれども、それでもプロになると決めて進んでいけば、道は開けるんだよってことを伝えさせてもらいました。

――現在、栃木SCで一番在籍年数が長い選手ですが、一番長く在籍することは予想してました?

菅:正直、僕はプロに入った時から長くサッカー選手ができるとは思ってませんでしたし、一年一年必死に生きてきた中で、FC岐阜から(栃木に)移籍する時、今西(和男)さんに「松田(浩)監督(2012年栃木監督)の下でサッカーをすれば、5年長くサッカーできるよ」って言っていただいたことが、移籍をするきっかけでした。「行ってこい」と言っていただいたので、やっぱり僕はそこで自分が決めた道に対しては、しっかり向き合わなきゃいけないなと思いました。その言葉通り5年、今年で9年目になりますけど、僕自身は信じてサッカーをやってきて、たまたま長くやらせてもらっているだけじゃないかなと思ってます。

――長くプレーができていることに対しての感謝が、いろんな活動につながっていますか?

菅:それは間違いないです。根本には母親の教えがあって、「サッカー選手のうちに、できることをしっかりやっておきなさい」、「恩返しをしていきなさい」ってすごく言ってくれます。あと、岐阜に入った時も、今西さんの考えに僕はすごく共感して、地域に恩返していく、地域の方々と進んでいくとか、いろんな所に足を運んでいけるサッカー選手でありたいと思っています。今はなかなか岐阜時代みたいにはできていませんけど、定期的にそういう活動はできるようにやってます。

今の時期に何ができるのかを一緒に考えるのが楽しい

――栃木の選手もクラブスタッフも今、SNSで積極的に発信していますよね。この自粛期間で栃木のデジタルでの存在感がすごく増したと思います。

菅:本当ですか?

――選手たち同士で「こんなことやろう」みたいなことは、自発的に起こってるんですか?

菅:そうですね。かなり風通しのいいクラブだなって僕自身は感じてて、選手の持っている考えを伝えると、すごくクラブ自体が乗ってくれるので。最近だと大崎(淳矢)選手が発案で、医療従事者にスタジアムグルメ食事券を贈って応援しようという企画も栃木の選手会の全選手が共感して進んだプロジェクトでした。今の時期に何ができるのかというのをすごく考えている選手が多いので、一緒にやっててすごく楽しいなと思います。

――日本プロサッカー選手会の副会長はいつからやってるんですか?

菅:2012年からですね。

――長い期間行っているんですね。選手会では、他のクラブのメンバーと交流するのも、菅選手にとっては刺激的ですか?

菅:刺激的ですし、ありがたいなと。僕はそんな素晴らしいキャリアを持っているわけじゃないですが、あの中でも僕にしかないものがあると思っています。J3に落ちて2年経験して、そのカテゴリーの選手の苦しさも分かる部分がありますし、いろいろと見聞きしたり、ピッチで感じることもあるので、そういう意味でも僕は選手会のためにできることが多いのかなと思って、頑張らせてもらっています。

――クラブの選手たちは、選手会に対する理解はあるんですか?

菅:昔よりは少しずつ理解があるようになってきていると思ってます。選手会の事務局の方を含め丁寧にやっていただいているので、若い選手たちにはどんどん興味を持ってもらいたいですね。

このまま自粛期間が続くと忘れられてしまうかもしれない不安もあった

――「ラジカン」というラジオDJを行われていますが、ラジオDJを行うきっかけは何だったんですか?

菅:RADIOBERRY(FM栃木)さんが、栃木とタッグを組む企画で(2010年)当時栃木に在籍をしていた米山(篤志)さんの「ヨネラジ」が始まりなんですよ。米山さんが引退されて、次に大和田真史さんが「マサラジ」、そしてその次DJとしてディレクターの方に誘っていただいて僕が引き継がせていただくことになりました。

――実際やってみて苦労したこと、良かったことはありますか?

菅:話がそんなにうまくないし、感情的でもあるので、結構ガーッって擬音を使うことも多いんですけど(笑)。やっぱり1回目の放送を聞くと、めちゃくちゃ下手くそだなって改めて思いますし、喋るのってすごく難しいなって思いながら、もう6年もやらせていただいています。

――6年もやってるんですね。長年やっているとライフワークみたいな感じですか?

菅:今は1週間の中にラジオが入ってくるのが、結構当たり前になっちゃっていますね。

――ファン・サポーターから「ラジカン」宛てにいろんなメッセージが来ると思うんですけど、リアルで会った時にも「ラジカン」の話もされるんですか?

菅:ファン・サポーターの方から声をかけられる時にも、2~3年前から「ラジカン聞いてます」って言われることのほうが多くなったので、ちょっと根付いたのかなって思います。

――それはだいぶ根付いてますね。

菅:本当にうれしいです。

――ラジオを行う上で心掛けてることはありますか?

菅:新型コロナウイルスの影響で今は1人で喋るようになりましたが、それまではラジオに出てくれた選手の話を聞きたい、その選手の良さを引き出したいと思ってやっていました。そして聞いてくれる方が少しでも元気になってもらえるように心掛けています。なので、あまりネガティブなことは言わないようにしてます。

――選手同士の普段のコミュニケーションでは聞けない、普段とは違う一面をラジオを通して知れそうですし、クラブにとってもプラスなことですね。

菅:そうですね。選手によって、こんなに喋れるんだ、とか。逆にいつもすごくうるさいのに全然喋れない選手とかもいて、それぞれキャラクターなのかなって面白くなりますね。

――コロナ禍の間、ファン・サポーターとのやり取りの中で何か感じたことはありますか?

菅:ファン・サポーターの方たちとSNSやオンラインなどを通じてコミュニケーションをする機会があるんですけど、「サッカーがない日常がすごく寂しい」とか「早くサッカーが見たいね」、「選手の顔が見たい」ってよく言われるんですよ。だから、Jリーグって改めてすごいなと思います。

Jリーグやサッカーってある種、なくても生きていけるものだと思うので、正直、このまま自粛期間が続くと忘れられちゃうんじゃないかなとか思っている部分もありましたが、こんなにも待ってくれている人がいることがすごくうれしかったです。だからJリーグが再開した時に、待ってくれた方に向けて、全身全霊かけて見せていかなきゃいけないなと思います。単にうまいプレーとかじゃなくて、新型コロナウイルスがまだ完全に消滅していない状況ですけど、遠征などさまざまなリスクに気を付けながら僕たちが命を懸けて戦っているところを見てもらいたいです。

みんなの顔が見れてホッとした

――全体練習が始まる前は、どういう形で練習してたんですか?

菅:緊急事態宣言の時は、クラブから家もしくは公園などを使ってトレーニングを行うように連絡があったので、家の近くにある公園で朝早くからシャトルランをしたり、クラブから提示されるトレーニングを自宅でやったりしていました。

――久々に顔を合わせて全体練習をした時はどんな気持ちでしたか?

菅:何かホッとした感じがありましたね。みんなの顔を見れて、「あー良かった」っていう感覚が一番大きかったです。

――全体練習が始まる時に田坂(和昭)監督からは何か選手に向けての言葉などはありましたか?

菅:全体練習が始まる前もZoomを使いながらミーティングなどで、監督は僕たち選手の実勢とかいろんなことを理解してくれるし、その都度伝えてくれるので、あえて練習再開時に監督から何か選手に対して言われたことはないですが、「コントロールできるところに目を向けて、不安などをどんどん吐き出して、チーム内で共有しながらみんなで進んでいこう」という監督の言葉に、僕たちは救われました。「あ、言っていいんだ」みたいな。

なので、新型コロナウイルスに家族が感染する可能性や、自分自身もすごく大きな不安があった中で、その気持ちを共有して受け入れてもらえるということに、すごく救われた気がします。

――田坂監督は選手と結構距離が近い部分もあるんですね。

菅:去年は、なかなか苦しい中で残留したというのがあったので、監督も本当にコミュニケーションの部分を考えてくれてますし、今年に限ってはこういう状況になったので、僕たちのことを一番に考えてくれているのは感じます。

――今シーズンは特殊なシーズンで、降格がないですが、チームとしてピッチでよりチャレンジしようみたいな感じはあるんですか?

菅:クラブの目標として2位以内を目指すことを掲げているので、チャレンジをしなきゃいけない部分と、ある程度固く戦わなきゃいけない部分があると思います。

チームとして今のままでは絶対2位は無理だし、かなり選手たちが成長しなきゃいけないと感じているので、降格がないので成長するためのチャレンジができると思っています。ただ、本当にクラブ目標に対するチャレンジだけでいいのかっていう感じはありますね。

――ここで劇的な成長を遂げるためには、菅選手個人として何が必要だと考えていますか?

菅:今年は今までよりも、より自分の体を強くしたいなと。ベテランで素晴らしい選手が入ってきてくれたので、たくさんのことを教えていただいてますし、さまざまなメディアを通じていろんないい選手の話を聞いていると、やっぱりベテランとして1番に頭に浮かぶ考えが「調整(コンディショニング)」ですが、強くなり続けないとベテランは置いていかれると改めて感じています。なので、体づくりにも挑戦しながら、いろんなことに対して成長していきたいです。

――コンディションを維持するために、少し抜きながらやるのではなく、フルパワーでやるというのはいいことですね。

菅:若手に負けたくないので、若手に負けないぐらい走りたいなって思ってます。

スポーツで栃木県を本気で盛り上げたい

――再開を前に、新加入選手たちについて菅選手の視点で紹介してもらえますか?

菅:(エスクデロ)競飛王選手は、思っていたイメージとは違いましたね。すごく献身的で、チームのためを思った発言をしてくれる選手。プレースタイルはゴリゴリいける感じで間違いなくチームのために力になってくれると思います。

――闘争心も菅選手と通じるものがありますよね。

菅:そうですね。ちょっと激し過ぎてやばいなって思うことも多いんですけど(笑)。練習試合とかでもガッツリ行くので、そういうところはできるだけ僕たちがサポートしていきたいなと思います。あと、ベテラン選手でいえば、髙杉(亮太)選手や矢野(貴章)選手、塩田(仁史)選手も本当に素晴らしいプレーと人間性を持っていて頼りになる兄貴みたいな感じで、いろんな相談させてもらってます。若手選手は、ユースから昇格してきた2人(明本考浩選手、森俊貴選手)がユースで活躍する姿を見ていたので、昇格してきてくれたことがすごくうれしかったです。やっぱりアカデミー出身の選手たちには、これからの栃木の未来をつくっていってほしいと期待をしてます。

――栃木はベテラン選手を含めていい補強をしてるので全体にもいい影響がありそうですね。

菅:本当にこんなにも人間性もすばらしく、頑張れる選手が多いチームは、なかなかないなと思います。

だけど、そういうチームでありがちなのが、輪を考えすぎてあまり意見を言わないようなチームになりがちだと思うので、そこはやっぱりベテラン選手を含めて、しっかりと厳しいことも言える環境をつくっていかないといけないなと思っています。

――すばらしい心掛けですね。それでは最後に、Jリーグ再開が決まり、再開後に向けた意気込みと今シーズンにかける思いを改めて聞かせてください。

菅:プロ9年目で、キャプテンをやらせていただくことを本当に感謝します。また僕は栃木に対する思いがすごく強いので、今回はチャンスだと思うので何かを成し遂げたいと思ってます。やっぱりクラブをJ3に降格させてしまった時の選手なので、あの辛い思いをさせたサポーターの皆さんに喜びを感じてもらいたいです。

そして栃木県はサッカーだけじゃなく、バスケットボール、アイスホッケー、自転車など、優勝経験も多くあるすばらしいスポーツチームがある県だと示したいなと思ってます。新型コロナウイルスがあるのでなかなか厳しいですが、その優勝をしているチームの中に今年は栃木も乗っかりスポーツで栃木県を本気で盛り上げていきたいです。

――しばらくは無観客試合だと思うので、選手としても難しさがあると思いますが、ファン・サポーターもスタジアムに行きたくても行けない状況になります。このような状況の中で、どのように応援してもらえたらうれしいですか?

菅:クラブも最大限のことをやってくれると思いますし、与えられた環境で僕たち選手は、勝利に対して100%でやることに目を向ければいいんですけど、ファン・サポーターの方々はやっぱり現地に来て試合を見たいでしょうし、そこの難しさはあると思います。でも今はDAZNで全試合が見れるのはいいですよね。栃木がJ3の時はJ3の中継がなかったので見れなかったんですよ。

――確かにDAZNになる前は、J3中継がなかった時がありましたね。

菅:そうなんですよ。遠征メンバーに入れない時は、携帯で速報を見て状況を知ることしかできなかったので、今はDAZNで中継をしていただいてるので、それも楽しんでいただけたらなと思います。今は仲間で集まって応援することは少し厳しいかもしれませんが、家族とかと一緒に家でサッカーを見てモチベーションを保ちながら、スタジアムで応援できる環境になった時に一緒にサッカーがある日常を楽しんでもらえたらうれしいです。

――スタジアムで応援できる日が来るまでは、応援メッセージや試合の感想などは、SNSなどを通して伝えてもいいのでしょうか?

菅:そうですね。栃木SCは今、SNSの発信も積極的に頑張っているので、ぜひそちらもチェックしてみてください。

<了>

PROFILE
菅和範(かん・かずのり)
1985年11月11日生まれ、愛知県出身。ポジションはディフェンダー。栃木SC所属。高知大学時代はボランチとして2007年度の全日本大学サッカー選手権大会ベスト8進出に貢献。2007年12月に行われたFC岐阜のセレクションに合格し、2008年にFC岐阜に加入。2012年から栃木SCに完全移籍。同年日本プロサッカー選手会副会長に就任。2014年1月7日からRADIO BERRYにて「ラジカン」のラジオDJとして出演している。

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