「チェルシーがドイツから獲得した」9選手、覚えてる?

先日、RBライプツィヒからFWティモ・ヴェルナーを獲得したチェルシー。ブンデスリーガで大活躍したストライカーを引き入れることに成功した。

今回は『Planet Football』から「2000年以降にチェルシーがドイツから獲得した選手」を紹介しよう。

クリスティアン・プリシッチ

獲得元:ボルシア・ドルトムント

加入時の移籍金:5800万ポンド(およそ77.22億円)

失敗?成功?:成功

2019年1月にボルシア・ドルトムントから獲得されたアメリカ代表MFプリシッチ。レアル・マドリーへと去るエデン・アザールの後釜として期待され、獲得発表の半年後に加入した。

やや困難なスタートを経験し、怪我の問題もあったものの、昨年10月にはバーンリー相手にハットトリックを達成。徐々にそのポテンシャルの高さを見せつけ始めている。

ババ・ラーマン

獲得元:アウクスブルク

加入時の移籍金:1400万ポンド(およそ18.64億円)

失敗?成功?:失敗

ジョゼ・モウリーニョ監督が率いていたチェルシー。不足していた左サイドバックの補強として、アウクスブルクからガーナ代表DFのババ・ラーマンが引き入れられた。その価格は1400~1500万ポンドだったと伝わる。

ただチェルシーは2015-16シーズンに10位と低迷し、ラーマンもレギュラーになれず。プレミアリーグでは15試合に出場したのみで、その後はシャルケ、ランス、マジョルカとローン生活を送る。

アンドレ・シュールレ

獲得元:レヴァークーゼン

加入時の移籍金:1800万ポンド(およそ23.97億円)

失敗?成功?:失敗

2013年の夏にレヴァークーゼンから獲得された。移籍金は1800万ポンドと報告されており、5年契約を結んでいる。初年度にはフラム相手にハットトリックを決めるなどインパクトを残したが、2014-15シーズンにはアザールとウィリアンに遅れを取ることに。

それから2015年1月にヴォルフスブルクへと移籍し、チームを離れている。なおチェルシーでのパフォーマンス低下は「サルモネラ菌に感染してしまったためだった」と2018年に本人が明かしている。3週間ほど食中毒でやられていたとか。

マルコ・マリン

獲得元:ブレーメン

加入時の移籍金:800万ポンド(およそ10.65億円)

失敗?成功?:失敗

2012年にヴェルダー・ブレーメンから若くしてチェルシーにやってきたマリンは、スタンフォード・ブリッジでインパクトを残すことに苦労した。ロベルト・ディ・マッテオとラファエル・ベニテスの下で限られたチャンスしか与えられず、全公式戦で16回しか出場しなかった。

その後はセビージャ、フィオレンティーナ、アンデルレヒト、トラブゾンスポルとローン生活を送り、そのままオリンピアコスへ移籍。今はサウジアラビアのアル・アハリでプレーしている。

クラウディオ・ピサーロ

獲得元:バイエルン

加入時の移籍金:フリー

失敗?成功?:失敗

ドイツ・ブンデスリーガで100ゴール以上を決めてきたペルーのエースは、バイエルンとの契約が満了になった際、新たな挑戦の場としてチェルシーを選んだ。

デビュー戦となったバーミンガムとの試合でゴールを決めたものの、ニコラ・アネルカがやってきたことによって出番が乏しくなってしまった。運にも恵まれず1シーズンでわずか2ゴールに。

ハリド・ブーラルーズ

獲得元:ハンブルガーSV

加入時の移籍金:850万ポンド(およそ11.32億円)

失敗?成功?:失敗

2006年にハンブルガーSVからやってきたオランダ代表DFは、なんと背番号9を与えられることに。

「背番号を選ぶ必要があったが、用具担当が最初に9番を出した。そのあとが45、47…だったので、そのような番号でプレーする気はなかった。だから9番でいいと言ったんだ」

ジョン・テリーとリカルド・カルヴァーリョの間には入れなかったが、主にサイドバックとしてプレー。1年間で20試合に出場し、セビージャに貸し出され、そしてシュトゥットガルトへと去っていった。

ミハエル・バラック

獲得元:バイエルン

加入時の移籍金:フリー

失敗?成功?:成功

間違いなくチェルシーがドイツから獲得した中では最高の選手だ。しかも移籍金はゼロ。バイエルンとの契約更新を拒否した後、2006年に加入した。

フランク・ランパードやマイケル・エッシェンとともにセンセーショナルな中盤を形成し、4シーズンに渡って166試合に出場。プレミアリーグ、リーグカップ、FAカップの3大会すべての優勝を経験している。

セバスチャン・クナイセル

獲得元:アイントラハト・フランクフルト

加入時の移籍金:フリー

失敗?成功?:失敗

おそらくチェルシーファンでもなかなか覚えていないであろうクナイセル。2000年にアイントラハト・フランクフルトの下部組織から加入した17歳の選手で、非常に期待されたヤングスターであった。

ただそのポテンシャルが発揮されるときはついに訪れず、ダンディーFCとウェステルローに貸し出された後に退団。スタンフォード・ブリッジでは1試合もプレーすることはなかった。その後はドイツとイングランドの下部リーグを渡り歩き、怪我のため31歳で引退している。

2007年にはなんと突如サッカー選手としての仕事を休み、地域の恵まれない子どもたちのためにサッカーの普及活動に従事した。

ロベルト・フート

獲得元:ウニオン・ベルリン

加入時の移籍金:フリー

失敗?成功?:失敗

17歳でウニオン・ベルリンからチェルシーにやってきた巨漢DFフート。若くして期待を受けたものの、ジョン・テリー、ウィリアム・ギャラス、リカルド・カルヴァーリョといるなかでチャンスは多くなく、22歳でミドルズブラに移籍することになった。

チェルシーでは才能を開花させられなかったが、後に加入したストーク・シティでプチブレイク。さらにレスター・シティでは中心的なDFとしてプレミアリーグ優勝に貢献した。昨年1月に足の怪我で引退している。

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現在はスポーツディレクターになるための勉強を行なっており、サッカーの現場で働くという夢に向かって歩みを進めている。

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