「朝鮮戦争反対」ビラまいたら逮捕された 87歳男性が証言、69年前に言論の自由はなかった

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占領下の日本で朝鮮戦争反対を呼び掛けるビラをまいたとして逮捕された男性。今でも街頭で反戦や改憲反対を訴える(5月19日、大津市・JR石山駅前)

 北朝鮮軍が韓国に侵攻し、朝鮮半島全域が戦場と化した朝鮮戦争(1950~53年)の開戦から、6月25日で70年となった。日本がまだ占領下だった51年、朝鮮戦争反対を訴えるビラを米兵にまいたことを理由に逮捕された大津市の男性が、京都新聞社の取材に応じた。

 朝鮮戦争に反対するビラをまいたとして1951年に逮捕されたのは、滋賀県彦根市出身の男性(87)。当時18歳で、容疑名は「占領目的阻害行為処罰令」違反。軍事裁判にかけられ、法廷で弁論の機会さえ与えられないまま服役した。翌年4月、サンフランシスコ講和条約が発効し、日本が主権を回復した日に釈放された。男性は「今の人は想像できないだろうが、言論の自由を保障した憲法は占領下では停止状態だった」と語る。

■反戦ビラ、米兵に渡した瞬間に羽交い絞めに

 男性は旧制の彦根中3年だった48年、父親の失業で授業料を払えなくなった。知人から「社会主義国になれば金がなくても学校に行ける」と教わったのがきっかけになり、中退して15歳で共産党に入った。

 朝鮮戦争の開戦翌年の51年9月1日、大津市にあった米軍キャンプの米兵に英文の機関紙を配るよう党から指令を受けた。「『朝鮮に行くな。母や恋人の待っている米国に帰ることを上官に要求せよ』と書かれている」と聞かされていた。米兵に渡した瞬間、その米兵から羽交い締めにされ、大津市警に逮捕された。

 占領目的阻害行為処罰令は「ポツダム政令」とも呼ばれ、第2次世界大戦で敗れた日本政府に占領軍の指令を実行させる目的で発令された。占領法規に詳しい弁護士らの調査では、反戦ビラをまいたり、平和集会を開こうとしたりしたとの理由で、49~52年に1万人以上が同処罰令違反容疑などで摘発されたとされるが、不明な点が多い。

 男性は逮捕後、密室で米軍諜報機関「CIC」からスパイになるよう求められ、断ると拷問が始まった。白人兵が黒人兵に暴行を命じ、日系人通訳が「私にも日本人の血が流れており見ていられない」と懐柔しながら仲間の名前の自白を迫る。約10時間後、耐えきれず名前を明かした。隣室から一緒に逮捕された在日朝鮮人の悲鳴が聞こえてきた。

■日本人弁護士も裁判で守ってくれなかった

 判決は約1週間後、大阪市にあった軍事裁判所で言い渡された。軍服姿の米国人裁判官3人と書記官が並び、星条旗が掲げられていた。男性は「有罪か無罪か」と聞かれただけで弁論の機会もなく、日本人弁護士が付いていたが、「弁護すると占領政策違反に問われる」ことを理由に一言も発しなかった。証人の米兵がビラを受け取ったと証言すると裁判は終了した。

 公判はわずか30分間、判決は重労働3年。国立国会図書館憲政資料室所蔵の軍事占領裁判所月例報告には、「占領軍の安全を脅かす犯罪行為」と男性の罪状が英文で記録されている。「こんなの裁判じゃない」と思ったが、奈良少年刑務所に収容された。

 52年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し日本は独立した。男性はこの日午後10時ごろ、所長室に呼び出された。別の軍事裁判で有罪となった日本人1人、在日朝鮮人2人の受刑者とともに整列する。条約を批准する米国会の様子を中継するラジオが室内で流れていた。所長は「今、条約が批准されて占領法規は消滅した。あなたたちをここに置いておく根拠がなくなった。どうぞ帰ってください」と告げた。

 男性はその後、党活動に専従し、94年までの12年間は滋賀県委員長を務めた。米軍への後方支援を可能にする集団的自衛権行使が容認された2015年以降、毎月19日に県内の街頭で反戦と改憲反対を訴え続けている。「他国の戦争であっても、いったん日本が巻き込まれてしまえば、子どもでも容赦なく言論封殺される」。少年時代の経験があるだけに、危機感は強い。