感染者を出す可能性は常にある。主催大会で感染拡大のジョコビッチへの盲目的な批判は無意味

6月23日、男子テニスの世界ランキング1位、ノバク・ジョコビッチ(セルビア)の新型コロナウイルス感染を公表した。世界的なアスリートの感染というだけでも大きなニュースだが、この感染がジョコビッチ主催の慈善大会で「感染クラスター」が発生した結果だったこと、大会に参加した複数のトップ選手やスタッフにも感染者を出したことは、スポーツ界全体に大きな衝撃を与えた。
感染防止対策が不十分だったと伝えられ、感染した選手たちがナイトクラブで騒ぐ様子がSNSに流出したこと、大会前からジョコビッチがウイルスの脅威を軽視するような発言をしていたことから大会の運営のあり方、ジョコビッチ自身にまで批判が及んでいるが、事はそう単純ではない。「テニス大会でのクラスター発生」は、プロスポーツの再開への不安、コロナ禍のリスク管理の難しさ、課題を突きつけることになった。

(文=大塚一樹、写真=GettyImages)

ジョコビッチ主催のチャリティーマッチで発生した“感染クラスター”

はじまりはグリゴール・ディミトロフ(ブルガリア)の陽性反応だった。

テニス界のスター選手、ノバク・ジョコビッチ(セルビア)が主催したツアーの2週目、クロアチア随一の観光地、サダルで行われた試合でボルナ・チョリッチ(クロアチア)と対戦したディミトロフは、敗戦後に体調不良を訴えて大会をキャンセル。翌日、本拠にしているフランス・モナコに戻って受けた検査で新型コロナウイルス感染が判明した。

ディミトロフの体調不良を受けて大会は即座に中止、ディミトロフと対戦したチョリッチをはじめ、大会に参加した選手、関係者が検査を受けることとなった。

チョリッチの検査結果は残念ながら陽性。さらにディミトロフ、チョリッチのコーチ、トレーナーなどのチームスタッフ、参加選手であるビクトル・トロイツキ(セルビア)とその妻も検査で陽性反応となった。

23日、ツアーを提唱した張本人であり、全豪・全仏・全英・全米すべてを制するキャリアグランドスラム達成者にして歴代3位、17回の4大大会制覇など、テニス界を代表するスーパースターであるジョコビッチと妻・エレナの陽性が公表されると、大会期間中に“感染クラスター”を発生させたこのツアーは、スポーツイベント再開の「悪い例」として多くの批判を浴びることとなった。

この点については多くのメディアが言及しているため詳細は省くが、観客を入れて開催されたにもかかわらず、大会を通して感染予防策がほとんど行われなかったこと、選手たちは試合後の握手やハグをこれまでと同じように行い、感染リスクに対する意識が恐ろしく低かったと伝えられている。

加えてツアー1週目の開催地、ベオグラードで、ジョコビッチやディミトロフを含む参加選手たちがナイトクラブでパーティーに興じている様子がSNSで拡散されたことが火に油を注ぎ、テニス界からも「不用意」「早すぎた」という批判の声があがっている。

「スポーツで人々を勇気づける」美談だけでは乗り切れないウイルスとの戦い

感染者が判明した現時点で、ジョコビッチの一連の行動を批判するのは簡単だが、ジョコビッチ個人の意識や大会の運営のみを盲目的にバッシングすることは、スポーツ大会における感染リスクという本質から目を背けることになりかねない。

ジョコビッチの故郷であるセルビア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナの東欧3カ国、4会場を回る『アドリア・ツアー』のプランが発表された当初、ATP選手協議会会長でもあり、テニス界でも大きな発言力、影響力を持つジョコビッチの発案からなるこのツアーは、すべてのテニスファンを勇気づけるものとして好意的に受け止められていた。

あくまでも非公式な大会だが、ジョコビッチに加え、趣旨に賛同したATPツアーランキング3位 のドミニク・ティエム(オーストリア)、同7位 のアレクサンダー・ズベレフ(ドイツ)、19位のディミトロフ、33位のチョリッチ、2014年、錦織圭を決勝で破って全米優勝を果たしているマリン・チリッチ(クロアチア)、など多くのトップ選手が参加し、新型コロナウイルスの感染拡大で沈黙を余儀なくされていた多くのスポーツ、とりわけ3月上旬に男子のATP、女子のWTAツアーが中断されて以降、全仏は延期、全英(ウインブルドン)はキャンセルと、時が止まってしまっていたテニス界にとっては、待ちに待った「再始動の狼煙」でもあったのだ。

ジョコビッチの33回目の誕生日に発表された同ツアーのチケットは、最初に販売された1000枚がわずか7分で完売。すぐさま追加販売が決まったことも当時は「朗報」として世界に報道された。

今となっては別の意味を持ってしまうが、ジョコビッチも自身のインスタグラムで

「最初の1000枚のチケットが7分で完売! 信じられない。そこで、チケットを取れなかったすべての人に朗報だ。ソーシャルディスタンスを守るため客席間を1m以上あけて、さらに1000枚のチケットを発売することにした!」
と喜びの投稿をしている。

大会が始まってからも、報道やファンの声は「テニスが戻ってきた」高揚感を伝えるものがほとんど。ディミトロフ感染判明の1週間前、6月14日にセルビア共和国の首都であるベオグラード行われたツアー初戦、決勝戦の後には、ジョコビッチが4000人の観客を前に「感動的な数日間だったし、これを可能にしてくれたすべての人に感謝したい。みんなを愛しているし、来てくれて本当にありがとう」と感極まった様子で涙ながらに話したとBBCが伝えている。

アドリア・ツアーについて、どれほどの感染予防対策が行われていたのかについては、ジョコビッチの主張と報道で乖離があり、感染原因、感染経路についても確定的なことはわかっていない。最初に感染が判明したディミトロフにも批判が集まったが、ディミトロフ自身どこで感染したのか? 本当にこのクラスターでの最初の感染者なのかについては正確な情報がないし、仮にディミトロフがクラスターの主因だったとしても、「コロナウイルスに感染した罪」などあっていいはずがない。

アドリア・ツアーの例を見るまでもなく、プロスポーツリーグ、イベントの再開は感染者の有無によって美談にも攻撃の対象にもなり得る。誰がいつ感染してもおかしくない上に、感染者または感染者を出したこと自体が責められるような状況下では、誰であっても安易に「スポーツで世界を勇気づけよう」とは言えない。

スポーツイベントが感染者を出す可能性は「常にある」

図らずもスポーツイベント再開の「悪い例」となってしまったアドリア・ツアーだが、感染クラスターが発生した事実だけに目を向けて「後出しじゃんけん」でジョコビッチのパーソナリティーや大会運営のずさんさ、ナイトクラブでのはしゃぎっぷりをたたいて終わりにしてしまうと大きな問題点を見落とすことになる。

運営、対策の反省は必要だが、同時にクラスター発生の経緯、感染拡大の原因の特定については、医学的に十分に検証されるべきだろう。

世界中の医療従事者、研究者などの努力により、まったく未知のウイルスだった新型コロナウイルスの正体が徐々に明らかになってきている。とはいえ、多くが「仮説」の状態であり、専門家の間でも意見が分かれているのが現状だ。ディミトロフと対戦したチョリッチも陽性反応となったが、そこに直接的な因果関係があるのかどうか。ナイトクラブで半裸になって踊ったことが問題なのか? それともネットを挟んで対峙する非接触型スポーツであるテニスでも、例えばベンチやボールを介した感染リスク(ボールパーソンの危険性も考慮しなければならない)があるのかなどは、今後のwithコロナのスポーツイベントの参考にしなければいけない情報だろう。

日本でも19日、プロ野球が無観客で開幕したのをはじめ、25日に女子ゴルフツアー、26日にはサッカー・Jリーグが同じく無観客で再開、7月10日からはNPB、Jリーグともに制限付きながら観客を入れての試合を開催するなど、スポーツイベント再開の機運が高まっている。

専門家の指摘をそのまま受け入れ、「リスクがわずかでもあるなら開催すべきではない」は極論で、実態に沿っていないが、「絶対に感染者を出さない」保証は誰にもできない。

感染対策も重要だが、それよりも大切なのは、感染者が出た際にどう対応するのか? 感染者追跡の仕組みの構築など、大規模なクラスター化を防ぐ手だてを準備しておくことだろう。

再開と感染リスク……揺れ動く選手間の悲しき対立と分断

コロナ禍でのスポーツリーグ、イベントの再開が生む対立と分断も新たな懸念点だ。

テニス界でもATP、WTAともに8月からのツアー再開をすでにアナウンスしており、8月31日からは全米オープンが無観客で開催される予定になっているが、地元開催の全米オープン開催を諸手を挙げて歓迎したセリーナ・ウイリアムズ(アメリカ)のような選手もいれば、感染への不安を口にする選手も少なくない。

主催する全米テニス協会(USTA)は、シングルスの予選廃止などによる大会規模縮小、宿泊地の変更、徹底した感染防止対策を掲げてはいるが、日本の西岡良仁選手は、アドリア・ツアーでの感染発生を受けて

「この状況で本当にアメリカシーズン始まるの? アメリカに行く側としてはかなり不安。世界各国から選手が集まって同じホテルに泊まって外出禁止ってなったらクラスター起きるの必須なんじゃない?」

とツイート。日本国内のスポーツのリスクと、感染状況が異なる世界各国から選手が集まり、各地を転戦するテニスツアーではリスクコントロールの範囲がまったく違うことは紛れもない事実だ。

こうした不安は、スポーツ界全体に共通している。7月30日から会場を集約して再開予定のアメリカプロバスケットボールリーグ(NBA)でも、八村塁も所属するワシントン・ウィザーズの3ポイントシューター、ダービス・ベルタンス(ラトビア)は、新型コロナウイルスやケガのリスクを回避するため今季の残り試合には出場しない意向を表明している。

オーランド・マジックのガード、エバン・フォーニエ(フランス)はベルタンスの不出場に対して、「健康なのに、他のチームメイトが一生懸命プレーするなか、自分だけ参加しないことが許されると思っているのであれば、それは彼がどんな選手であるかを物語っている」と批判ツイート。ベルタンスは、「オーランドでプレーするリスクをまったく気にしていないのなら、次は僕をタグ付けした上で、僕についての意見を述べてくれ」と返すなど、本来ならば不要な選手間の対立、分断を生んでしまっている。経済活動、スポーツや音楽イベントの制限や自粛に際して、経済と生活、感染リスクとの議論がそこかしこで起きているが、考え方やとらえ方、住んでいる地域の感染状況の違いなどによって選手間の対立や分断がすでに生じているのだ。

皮肉なことに、そのNBAでもアドリア・ツアーを観戦し、ジョコビッチとツーショットで写真に収まり、隣で観戦するなど濃厚接触していたデンバー・ナゲッツのセルビア人プレイヤー、ニコラ・ヨキッチが、全球団一斉検査で陽性反応を示し、渡米できずにいる。テニス界に端を発した波紋は文字どおり他スポーツにも波及し、さらに広がりを見せているというわけだ。

現時点で、ジョコビッチにしても、ディミトロフ、チョリッチ、トロイツキ、ヨキッチ、そして26日になって感染が判明したジョコビッチのコーチでアドリア・ツアーのトーナメントディレクターを務めたレジェンド、ゴラン・イワニセビッチ氏、そのほかスタッフたちもほぼ無症状、少なくとも重症化したという報せは届いていない。

他国と比べて重傷者、死者数の少ない日本にいると油断してしまう面もあるが、新型コロナウイルスは命にかかわる感染症であり、軽症であっても後遺症含めて呼吸器や肺、全身に何らかのダメージを負う可能性がある。

無症状といっても、日常生活に支障を来さないのと、アスリートのプレーに影響がないのとではまた話が違ってくる可能性だってある。

いずれにしても、選手たちは「プレーするリスク」と「プレーしないリスク」、その両方を天秤にかけ、難しい選択を迫られることになる。

日本でもここ数日、主に東京で50人超の感染が常態化しているが、感染者数が現時点ではなく検査時点、2週間前後のタイムラグで反映されていることも事態を複雑にしている。NPBにしてもJリーグにしても、日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)にしても、再開したからには感染者が出た場合の想定、手順などは策定済みだと思うが、「悪いお手本」だったにしても、アドリア・ツアーで起きたことをさまざまな意味での教訓として生かしてほしい。

<了>

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