グラブはキッチン用品から生まれた 素手から始まったグローブの長くて深い歴史

7年連続でGG賞を受賞しているロッキーズのノーラン・アレナド【写真:Getty Images】

野球の歴史を辿ると当初は素手で守っていたが怪我に悩まされ…

野球は19世紀半ばに、アメリカの東海岸で始まった。その当時の選手は、素手で守っていた。ボールは当時からコルクやゴムの芯に糸を巻き付け、それを牛革で覆って縫った固いボールだったが、選手はそれを素手で扱っていたのだ。このために野手は突き指に悩まされた。

1870年に、シンシナティ・レッドストッキングのキャッチャーだったダグ・アリソンは、突き指を防ぐために、バックスキン製のミトンを手にはめて守った。それ以前のキャッチャーは、投手の球をワンバウンドで捕ることが多かったが、アリソンはノーバウンドでボールを捕球することができるようになった。

当時のミトンは、指の部分がカットされていて、掌の部分だけを守るものだった。これが、現在のグラブ、ミットの始まりだ。今では捕手、一塁手が使用するものは「ミット」、その他の野手が使用するものを「グラブ」となっているが、どちらも「手袋」という意味であり、当時は厳密な使い分けはしていなかった。

1870年代はグラブを着用するかしないかは選手の自由だった。1881年まで、投手は下手投げで打者の希望するコースに投げていた。1882年に横手投げ、1884年に上手投げでボールを投げることが認められてから、野手は非常に速い投球や打球を扱うことになった。これとともに、多くの選手がミットやグラブを着用するようになる。

2019年の三井ゴールデン・グラブ賞に輝いた阪神・梅野隆太郎(中央)【写真:編集部】

日本チームは捕手がミットをつけるだけで、野手は素手でアメリカチームと対戦

日本に野球が伝わってきたのは、1872年頃だとされるが、1890年代には、旧制第一高等学校が強豪チームとなり、横浜の駐留アメリカ人チームと国際試合を行うようになる。当時、アメリカチームは全員がミット、グラブをはめていたが、日本は一部の捕手がミットをつけていただけで、他の野手は素手だった。これでは勝てないと、日本選手もグラブを着用するようになり、以後、日本でもグラブ、ミットが普及するようになった。

20世紀にはいると、グラブ、ミットは指先まで皮で覆ったものになるが、当時は5本の指をバラバラに動かすことができる単なる「革の手袋」だった。しかし、1910年代に入るとグラブの親指と人差し指の間に革製の細長い部品が取り付けられたものが出てくる。この部分で打球を止めることができるようになったのだ。これがのちに「ウェブ」へと発展していく。この時期には、キャッチャーは、肉厚で真ん中が丸くくぼんだミットを使用するようになる。このミットの登場でキャッチャーは投手の速球をしっかりと止めることができるようになった。またファーストミットも、グラブよりも大型で長い形状になっていった。

日本でプロ野球が始まった当初も、ほぼこうした形状のグラブやミットが使用されていた。このころのグラブは、5本の指で「つかむ」スタイルだったためにエラーが多かった。NPBのシーズン最多失策は、1940年に翼軍の遊撃手・柳鶴震(やなぎつるじ)が記録した75だ。昨年のNPBの最多失策は、阪神・大山悠輔の20だから、今とは次元が違うことがわかる。

野手の守備が飛躍的に向上したのは、1950年代半ばにグラブの「ウェブ」が考案されてからだ。「ウェブ」が付いたグラブは親指を除く4本の指は紐で結ばれ、一枚の板のようになった。それまでのグラブは、打球を「つかむ」ものだったが、以後のグラブは打球を「すくい上げる」ものへと進化した。

1974年にミズノ社が初めてポジション別のグラブを発売

また、ファーストミットやキャッチャーミットにもウェブが装着されるようになり、機能性は高まった。以前のミットは、投球を止めるものであり、右手を添えないとしっかりボールを確保することができなかった。しかし、ウェブがついた新しいミットになって、片手捕りが容易になった。シンシナティ・レッズの名捕手、ジョニー・ベンチはこのミットの特性を活かして片手捕りで捕球して素早く送球して走者を刺し、名捕手の名をほしいままにした。

1970年代まで、野手のグラブはポジション別の特徴はなかったが、1974年、ミズノ社が初めてポジション別のグラブを発売した。投手用は、投球の負担にならない比較的軽いグラブ、二塁手は打球を当てて止める小さくて浅いポケットのグラブ、三塁手は強い打球が飛ぶので深いポケットのグラブ、遊撃手用は二塁手用と三塁手用の中間型、外野手用はフライを捕球するために縦長の形状。こうした機能性を重視したグラブがNPBだけでなくMLBでも好評で、ミズノは一躍グラブメーカーとして発展した。他の日本のメーカーも商品開発を進め、日本は、本家アメリカを抜いて世界最大のグラブ生産国となった。

現在では日本のメーカーは、量産型のグラブの他に、有名選手などのオーダーメードのグラブも受注している。そうした有名選手のグラブのデザインが「○○選手タイプ」として販売されることも多い。最近は大手のスポーツメーカーだけでなく、グラブ専門の小さな工房ができて、日米の有名選手のグラブを作る例も出てきている。

ちなみに現在では、グラブを作る職人とミットを作る職人は別になっていて両方を手掛ける職人は少ない。技術的に異なる部分が多いからだ。グラブ、ミットは、日本の職人の技によって、高度に発達したといってよいだろう。(広尾晃 / Koh Hiroo)

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