星ノ町レジェンド

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関西を代表する西洋建築史家
向井正也(むかいまさや)
1918年―2014年

向井正也は大正7年(1918年)、森に生まれました。父親の寛三郎(かんざぶろう)は京都高等工芸学校(現在の京都工芸繊維大学)の図案科教授で、ドイツで室内装飾や建築を学んだ経験を持ち、日本でのデザイン研究を深めたことで知られている人物です。
そんな父の影響もあってか、正也は京都帝国大学(現在の京都大学)で建築を学び、太平洋戦争終了後に京都市立美術学校(現在の京都市立美術大学)で助教授を務め、その後神戸大学で教授となりました。西洋建築史を専門とし、特にモダニズム建築研究の第一人者として活躍しました。また、建築界で権威ある賞の選考委員を務めたり、トヨタのカーデザインを手がけたりするなどの活躍もしています。
正也の交野での業績のひとつが、昭和36年(1961年)に建てられた第一中学校にあるモニュメントです。この学校(建設時は交野町立中学校)は交野町で初めての鉄筋コンクリート造の中学校となるため、当時の山野清(やまのきよし)町長の「東洋一の学校を目指す」というコンセプトのもとに建築されました。
正也は、その象徴となるモニュメントのデザインを手がけました。中央のハトと手のひらは「平和と教育」、左のペンは「学芸」、右のダンベルは「スポーツ」を意味し、この学校で学ぶ生徒たちの健やかな成長への願いが感じられます。
このデザインを造形したのが、京都市立美術学校で正也と同僚であった藤本能道(ふじもとよしみち)という人物です。藤本は昭和61年(1986年)に「色絵磁器」で人間国宝に認定されるほどの人物です。
後にそれぞれの道で大家となる2人の共同作業により作られたモニュメントは、東洋一の学校を目指して建築された中学校に華を添えました。現在も校舎西側の道路から、壁面を飾るモニュメントを見ることができますので、近くに立ち寄った際はぜひ眺めてみてください。