捜査手続きの同意、重度障害者に必要な配慮とは 〝火遊び〟巡る裁判が和解

By 真下 周

男性が取り調べを受けた警察署

 DNA型検査などの捜査に「同意」する行為には、どの程度の知的レベルが必要か―。重度の知的障害がある40代の男性が火の不適切な扱いで軽犯罪法違反に問われた事案を巡り、同意を取る捜査手続きが適正だったか争われた裁判が3月に和解した。男性は一度も施設で過ごしたことがなく地域生活が長い。さまざまな生活スキルを培っており、障害の重さのわりに生活年齢は高い。知的レベルと社会生活を営む能力はいわば別もので、知的レベルが高くても生活能力が欠けている人はいるし、逆に知的レベルが低くても高い生活スキルを持つ人もいる。

 2016年に施行した障害者差別解消法のもとでは、捜査手続きにも障害の内容や程度に応じた合理的配慮が求められている。今回の事例から見えてくるのは、男性が生活能力の高さを捜査員に逆手に取られ、あるいは「知的レベルは高い」と誤認されて、十分な配慮をしてもらえなかった可能性だ。 どのような障害があっても、地域でその人らしく暮らすためには、社会の側にさまざまな配慮が必要となる。地域生活のトライ&エラーの中で起きた一つのきわどい行為をきっかけに、「危ないやつは閉じ込めておけ」と排除に向かう本末転倒な事態にならないためにも、捜査手続きの合理的配慮について考えてみたい。(共同通信=真下周)

ガイドヘルパーらと外出する男性のシルエット

 ▽登録DNA型を抹消することで合意

 15年10月、兵庫県内に住む重度の障害がある男性は、ガイドヘルパーと一緒に外出した。ヘルパーが目を離した隙に、男性は近くの地蔵尊の香炉で、ポリ袋を燃やしたとされる。通報で駆け付けた警察官に職務質問を受け、所持品検査を受ける。連絡を受けた男性の父親はすぐに現場に駆け付け、警察官に「息子には知的障害がある」と伝えた。その後、男性は警察署で約3時間に及ぶ取り調べを受け、綿棒で口の中の組織片を採取された。その日のうちに釈放され、父親と一緒に帰った。

 男性の両親は息子を犯罪者のように扱った警察の対応に当初から不信感を抱いた。後日、口腔内の組織片(検体)の返却とデータベースからデータの削除を求めたが、県警は応じようとしない。男性は軽犯罪法違反容疑で書類送検され、起訴猶予になっていた。

 ▽「採取に同意したと言えない」と判決

神戸地裁

 両親は17年7月、同意がないまま男性の口腔内の組織片を採取したなどとして、県に165万円の損害賠償を求めて提訴。知的レベルが低く高度な意思疎通が極めて難しい男性に、十分な説明を尽くさないまま半ば強制的に捜査を進めたことへの是非を問うためだ。

 19年3月の一審判決はDNA型検査に違法性を認め、県に11万円の支払いを命じた。山口浩司裁判長は判決理由で「男性は遺伝情報を提供することの意味を理解する能力がなかった」と認定した。警察官は男性から組織片の任意提出書を取っていたが、「(そのことで)採取に同意したとは言えない」と判断した。

 判決は「男性から同意を得ることはできないのだから、捜査のためにどうしても採取が必要であれば、裁判所の令状を取得する必要があった」とも指摘。一方で任意同行や取り調べの部分は適法、とした。県警側は判決を不服として控訴。男性側もその動きに合わせて控訴し、訴訟の行方は上級審に移った。 20年3月、大阪高裁の控訴審(和久田斉裁判長)で男性と県は和解した。県側は、警察庁のデータベースに登録された男性のDNA型を抹消し、その証明となる文書を男性方に交付すると約束。和解文書は「全ての障害者が、障害でない者と等しく、基本的人権を有する個人として尊厳が重んぜられ、尊厳にふさわしい生活を保障される権利を有することを踏まえ、今後の警察事務の際には、年齢や性別、障害の状態に応じた必要かつ合理的な配慮をする」と記した。

 和解日に記者会見した男性側代理人の辻川圭乃弁護士は「警察官は同意を取る際、障害に配慮しなければ(捜査を行う上で)任意性が認められなくなることを肝に銘じてほしい」と注文を付けた。

和解し記者会見する男性側弁護人の辻川圭乃弁護士

 ▽捜査手続き、三つの場面

 捜査手続きで問題となったのは、①警察署までの任意同行②署での取り調べ③DNA型検査、の三つの場面での「同意」を取る行為だ。

 まず任意同行の場面。男性は香炉の中で、そこにあったマッチでろうそくと線香に点火し、香炉の上でポリ袋を燃やした。地蔵尊の管理者に叱られたため、持っていたペットボトルのお茶ですぐに消火し、その場から立ち去った。

 通報で駆け付けた警察署地域課の警察官が付近で男性を見つけ、数人で取り囲んで職務質問した。男性は「お地蔵さんのところで火をつけたの?」と聞かれ、「うん」と回答。所持品検査のため持っていたキャリーバッグを開けさせると、ライターが出てきたため、「これで火をつけたの?」と尋ねられると、また「うん」と答えた。 現場に到着した父親は、放火事件のような物々しい対応ぶりに違和感を持ち、「障害がある息子はそんな大それたことをできない。連れて帰る」と言った。だが説得され、最終的に署に行くことは応じた。男性もパトカーに乗るよう促され、2人は後部座席に乗り込んだ。

男性が香炉でポリ袋に火をつけたとされる地蔵尊のろうそく立て

 ▽「火つけた?」「うんうん」

 警察署で3時間ほど取り調べを受けた男性。供述調書にある住居や学歴、家族構成などの記入欄は、父親の説明をもとに埋めた。本題に入ると、担当の巡査長は、幼い子どもに話すような口調で男性にゆっくり質問していった。 巡査長が法廷で証言したところによると、文章で尋ねても単語で返してくる男性に対し、長い質問文にならないよう短く区切り、分かりやすさを心がけた。男性の知的レベルは「小学校低学年ぐらい」と感じたようだ。男性はほとんどの質問に「うん」という肯定や否定の態度を示すだけで回答。警察官は、このやりとりで男性は火をつけたことを認め、以前にも火をつけたことがあることも認めた、との認識を持ったという。 そばで見ていた父親は「息子が(取り調べの)警察官の問いかけに何か答えていたとは思わない。『火をつけた?』との質問に『火をつけた』とおうむ返しの言葉は言っていたが、あとは『うんうん』と言うだけだった」と振り返る。

 取り調べの最中、男性の財布からライターの購入が記録された100円ショップのレシートが出てきた。購入時間は火つけ行為の後になっており、当初に現場で「ライターで火をつけた」とする供述と矛盾していた。父親によると、供述の整合性を確認するためか、男性はライターの件を何度も聞かれていたが、うなずくばかりだった。巡査長によると、男性は現場では、ライターによる火つけ行為をたどたどしい言葉で認めていたが、レシートが出てきたため、取調室で「ライターではないよね?」と確認すると、「マッチ」と言ったという。 いずれにせよ、最終的な供述調書では「ライターを使って燃やした」ではなく、「マッチで火をつけた」と供述が変遷した。

 ▽供述調書「刑事さんの作文だ」

 父親は取り調べの途中で、別室に行くよう求められ一度、席を外しており、やりとりの全てを目撃していたわけではない。部屋に戻り、できあがった調書を見せられて、仰天した。一読して「これは刑事さんの作文じゃないか」と強烈な違和感を抱いた。男性がすらすらしゃべったような仕立てになっており、特に「火を燃やして遊びたいという気持ちが抑えられず火遊びをしてしまいました」といった表現は、男性の物言いとは思えなかった。2語文、3語文を上回る長文を口にするのを、親としてこれまで聞いたことがなかったからだ。

 一方、巡査長は誘導にならないよう男性自らの言葉で供述を得るよう気をつけていたと強調する。調書には、犯罪事実である火つけ行為の細かい時間が、男性が供述したスタイルで記されている。巡査長は、男性が、目撃者に声をかけられた「2分前」に火をつけたと供述したので、そこから火つけ行為の時間を割り出したと説明した。 警察官の手書きによる3ページの供述調書をかいつまんでみると以下のような記述が出てくる。「ポリ袋に火をつけたのは、火が大きくなって燃えている所を見たいと思ったからです」「カバンの中に入れていたペットボトルのお茶はのどが渇いた時に飲むために持っていたものなので、火を消すために持っていたものではありません」「お堂の中であれば、線香に火をつけることが普通の事なので、火を使っていても目立たないと思ったからです」

 男性は調書への署名を求められた。父親は「息子は字を書いたり読んだりはできないものの、絵のような感じで写すことはできる」と警察官に伝え、白紙に男性の名前を書いて男性に示した。見本を見ながらたどたどしく調書の末尾に氏名を書き写し、署名として拇印を押した男性だが、氏名を書くスペースの、ちょうど上の行にあった文章の「られず」というところまで写してしまい、「られず●●(男性の名前)」という〝妙な〟署名になった。

供述調書

 ▽「ルールだから」と採取求める

 取り調べが終わると、父親は「息子さんの口の中の皮膚を取らせてほしい」と言われた。驚いて目的を尋ねると「こういう事態になった場合のルールです」と説明を受けた。県警側の認識では、男性と父親のふたりに口腔内の組織片の採取に同意を求めたといい、「余罪捜査の必要があるため」と伝えたようだ。父親から反論や質問はなかったとしている。 父親は「納得はしていなかったが、仕方ないのかなとも思い、『そうですか』とあいまいな回答した。(息子は)有無を言わさず連れて行かれた」という認識で、警察官が男性から同意を取っていた記憶もなかった。

 男性が鑑識作業室に移動する際、父親は付いていこうとした。だが「お父さんは待っていて」と制止されたといい、同席は許されず、待ち合いスペースで待機した。

 DNA型採取の手続きには、容疑者に「自分の組織片を任意提出し、所有権を放棄します」と書類に一筆書かせて確認する段取りがある。巡査長は任意提出書を男性に提示。男性の氏名と「イリマセン」と書かれたメモを示して、男性にこの通り書類に記入するよう促した。男性は書類に「イリマセン」の文字と、自分の氏名を書き写した。 ところが任意提出書に記された文字をよく見ると「イリマセソ」となっている。これでは言葉の意味が分かっていたか疑問だ。辻川弁護士は巡査長に「書く前に『要りません』の意味を聞いたか」と尋ねた。巡査長は「覚えていない」と言葉を濁した。

 ▽署名とはどういう行為か

 鑑識作業室では、刑事課の女性巡査部長が対応した。男性に知的障害があることは把握していた。男性の胸から上の写真を撮影し、指紋を採取した。巡査部長は組織片の採取で父親の同意を得たと同僚から聞いていた。男性の前で口腔内に棒状の採取キットを入れてこするしぐさをして見せ、同じようにするよう求めた。男性は「こう? こう?」と確認してきたので、「そうそう」とあいづちを打って、自分でこするよう促した。 男性はひとりで採取キットを使って頰の内側を数回こすり、組織片を付着させた。その際に手助けはしなかったが、作業を嫌がったり、痛がったりするそぶりも見せなかったという。これを検体として収める専用袋にも署名欄があり、さきほど書いた任意提出書を示した上で、今度は専用袋の署名欄に氏名を書き写すように求めた。この時、男性は氏名を構成する漢字4字のうち、1字を書き損じた。巡査部長は書き誤った文字を、今度は大きめに書いて示し、再び書き写すよう求めた。今度はうまくいった。

 ところで署名はどういう行為だろうか。広辞苑は「文書などに自分の氏名を書き記すこと」とシンプルな説明だ。ただ法律に基づいた行為と想定されており、自署捺印が原則とされる。 辻川弁護士は法廷で巡査部長に「署名はどういう行為か」と尋ねた。すると「提出者が本人だし、その横に指印の欄もある」とずれた答えが返ってきた。「男性はなぜ何か(手本)を見ないと自分の名前を書けないと思うか」「知的障害の人が名前を書けない意味は考えたことがあるか」と続けて確認しても、「聞いている意味が分からない。本人が自分で書いていたけど…」と困惑しきりで、最後までかみ合わない。

 一方で「男性は写真を撮る際もちゃんと向きを変わってくれ、淡々と作業できた」と振り返り、「文字を書けないことが、知的レベル(が低いこと)と一緒かは分からない。高齢の人でも手が震えてうまく書けない人もいる」として、男性がスムーズに氏名を書き写せなかった点も問題とは捉えていない様子だった。

和解条項

 ▽「有効な同意とみなせない」指摘

 一審判決は、裁判所の令状によらない捜査を、「必要性や緊急性を考慮した上で具体的状況下で相当と認められる限度において許容される」と定義づけた。その際は同意が必要で、仮に形式的な同意が得られた場合でも、捜査で侵害される利益の存在と内容を理解する能力を容疑者が持っていなければ、有効な同意とはみなされず違法、とした。

 署への任意同行は、重度の知的障害者でも移動の自由を理解する能力はあったと認定。3時間以上も署に滞在しながら、立ち去る願望を態度に示しておらず同意は有効、とした。取り調べでも、警察官は幼い子どもに話すような口調を使い質問の意味を理解できるよう一定の配慮をした、と認めた。火つけ行為の犯人が男性である疑いが相当に高かったことから、長時間の取り調べも「社会通念上認められる限度を逸脱していない」とした。 供述調書の内容は「自閉症者の被誘導的な(誘導に乗りやすい)特性で得られた回答が記載された疑いが強く、信用性に疑いがある」としながら「任意捜査の一環として許容される限度を超えていない」と結論づけた。

 ▽損なわれるプライバシーの利益

 一方で口腔内の組織片を採取した行為については、違った見解を示した。個人に関する情報を明らかにする「私的領域(プライバシー)に侵入する捜査手法」と定義づけ、それによって損なわれる男性の利益を、身体的な部分とプライバシーに分けて検討した。

 身体的利益については「医学的に危険な行為ではなく、肉体的な苦痛を伴わず、身体への侵襲の程度も大きくない」とした一方、プライバシーについては「文字や数字を理解できない男性は、遺伝情報という抽象概念を理解する能力を欠き、情報の提供によって損なわれるプライバシーの利益が分からない」と認定した。また、仮に付き添いの父親が「同意」したとしても、男性は成人であり、父親は法定代理人でないので、有効な同意とは認められない、と導いた。

 男性に検体の任意提出を求める際に「イリマセン」と文字を書かせ、氏名欄に自分の名前を書き写させる行為も、それで得られる同意は外形的なものにとどまる、などとし、警察官は男性のプライバシーという重要な法的利益に配慮する職務上の注意義務に違反し、過失があったと認定した。(続く)

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