プロ初勝利のオリ鈴木優は「私を嫌っている」 都立高時代の監督が明かした秘話

オリックス・鈴木優【写真:宮脇広久】

2014年ドラフト9位で都立雪谷からオリックスへ

チームの連敗を「7」で止めたオリックスの鈴木優投手の快投。西武を相手に5回無安打7奪三振という見事な内容だった。東京・都立雪谷高出身の6年目。人は「都立の星」と言った。輝く星が“原石”だった頃を知る高校時代の監督、相原健志さん(現・日体大荏原硬式野球部監督)は万感の思いだった。

「本当にオリックスさんに感謝しています。ドラフト9位で指名していただき、地道に6年も育てていただいた。いつ(契約を)切られてもおかしくなかったのに、ウインターリーグなどにも派遣してもらった。もう本当に本人も感謝しなくてはいけません」

相原監督は試合当日、学校の業務を終えて自宅に戻ると、テレビで食い入るように見つめた。西武・今井も無安打に抑える投げ合い。相手右腕に良さを引き出してもらっているように見えた。フォークの握りでボールをグラブに入れ、セットポジションから小さなテークバックで投げ込む姿を見て“変わってないな”と心の中でつぶやいた。

「中学時代は捕手もやっていた。当時はとにかく速い球を投げたい気持ちが出て、テークバックが大きくて……。投手はコントロールが生命線と教えましたから、セットポジションにして、テークバックは小さくしました。グラブの中で球種を変えたら、バレバレだからそういう風にさせました。まぁ、本人は(私が伝えたということを)忘れていると思いますけどね」

試合後のインタビューで教え子は、真面目に受け答えしていた。成長した姿が目に留まり、懐かしい思いが込み上げてきた。

「たぶん、彼は私を嫌っていると思いますよ」

相原監督はそう打ち明けた。高校の監督とチームのエース。右腕を成長させ、プロへ送り出すことができたが、その道のりの中で、何度も2人は衝突した。忘れもしない。2か月後に最後の夏が控える3年生の5月。練習試合で独りよがりの投球をした鈴木を部員の前で厳しく叱咤した。すると鈴木は悔し涙を流しながら、相原監督に食ってかかってきたという。

「言動に“お山の大将”というところがありました。不満を抱くと一人でふてくされていた時もありました。そういうことじゃチームスポーツ、チームプレーは成り立たない。周りに示しがつかなかったので怒鳴りつけました」

高い能力は認めている。高校2年夏からプロのスカウトが注目していた逸材だった。きちんとした指導をし、自分から努力をさせられるようになれば、きっと高いレベルに行ける。相原監督もそう信じた。だからこそ、鈴木が道を外れそうになったら、全力で“レール”に戻した。

親の心、子知らず…1年前の7月、プロ初先発前にはお世話になった人たちに電話

「卒業する間際まで、彼にダメ出しばかりしていました。人間ができていないと世の中を渡っていけませんし、彼が苦労する。同級生も鈴木の欠点を知りつつも言えるよう環境ではなかったので、自分がその役割をしていました」

嫌われ役に徹した。オリックスとの契約時にも球団スタッフに「めちゃくちゃ怒ってやってください」と忠告もした。「鈴木本人は根にもっているかもしれません」というほど厳しい目線からの“トリセツ”を渡した。本人に監督の本心が届いているかはわからない。でも、それでいい。頑張っている姿を見られれば、自分も、都立の高校生の野球部員も励みになる。

“親の心、子知らず”という言葉があるが、怒声を浴びせても、愛を持って指導した教え子が可愛くないはずがない。入団後から今日までの活躍は細かくチェックしていた。「今日バッテリーを組んでいたいた若月くんとはファームの試合でも組んでいたな」「プエルトリコの経験は大きかったはず……」6年間、ずっと気にし続けていた。

昨年の7月10日の楽天戦。5年目でプロ初先発が決まると高校時代にお世話になった方、一人一人に電話を入れていた。「鈴木が先発することになりました」「相手は楽天の岸投手が先発なんですが……」などと、教え子の晴れ舞台を一人でも多くの人と共有したいと考えた。“親心”だった。

都立高校から直接プロ入りした投手で勝利したのは初めて。鈴木が第一人者となった。相原監督は「都立の子供たちだってプロになれるんだというひとつの指針を示すことができたと思います」

捕手だった“原石”を「都立の星」に磨きあげた。プロで勝てる投手への礎を作った。輝いた白星は多くの人の希望となって、世界を明るく照らした。(楢崎豊 / Yutaka Narasaki)

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