自称元慰安婦と悪徳活動家集団の正体|山岡鉄秀 “詐欺師”と“詐欺師”の痴話喧嘩で、積もり積もった嘘と不正がついに噴出!元慰安婦支援団体「挺対協(現・正義連)」とはいったいどんな組織なのか。北朝鮮との関係、日本社会党との秘密会談、「挺対協」結成の経緯が改めて明らかに。銭ゲバたちによる“慰安婦像ビジネス”はもう終わりにすべきだ。

“詐欺”と“詐欺”の痴話喧嘩で恥部が露呈!

嘘つき VS 嘘つき “自称元慰安婦”の叫び!

“自称元慰安婦”の李容洙(イ・ヨンス)氏と挺対協(現・正義連)元代表の尹美香(ユン・ミヒャン)氏の痴話喧嘩は結果として挺対協の恥部を白日の下に晒しました。

イ・ヨンス氏を“自称元慰安婦”と呼ぶのは、本当に元慰安婦だったのかどうかわからないからです。イ・ヨンス氏が初めてユン・ミヒャン氏に電話でコンタクトした際、「私は被害者ではなく、被害者の友人なのですが」と語ったことをユン・ミヒャン氏が自身のFacebookで暴露し、広く報道されました。

元々、イ・ヨンス氏の証言が一貫性に欠けることは広く知られていました。今回の痴話喧嘩が発端となって、元慰安婦支援の募金がユン・ミヒャン氏とその一族によって不正に流用された疑惑が高まっています。検察の強制調査も入りました。

活動が利権化し、積もり積もった嘘と不正がついに噴出してしまったのでしょう。
さもありなんです。

しかし、問題の本質は単なる金銭疑惑ではありません。この挺対協という組織の成り立ちの経緯と本来の目的こそが重要です。挺対協は、これまで日韓両政府の慰安婦問題解決の努力をことごとく妨害してきました。

1995年のアジア女性基金、2015年の日韓合意。いずれも、挺対協は元慰安婦が和解金を受け取ることを妨害し、受け取ったお婆さんを売春婦と罵倒しました。こんな団体がまともな目的をもった組織であるはずがありません。

どう考えても、日韓の和解を妨害することが目的です。実際、挺対協の北朝鮮との繋がりは長く指摘されてきました。ユン・ミヒャン氏の夫とその妹が北朝鮮のスパイ容疑で逮捕され有罪になったことは広く知られています。

“内なる敵”日本社会党が仲介役に!

今回、挺対協結成の経緯が改めて明らかになりました。

1987年8月、広島・長崎で開催された「原水爆禁止世界大会」に、「韓国教会女性連合会」会長の故李愚貞(イ・ウジョン)氏が来日し、KCIA(大韓民国中央情報部)の監視を逃れるために長崎湾に浮かぶ船上で日本社会党の清水澄子氏と秘密会談を持ったことに端を発するとのことです。

その席上で李愚貞氏と清水澄子氏は李愚貞氏が会長を務める「韓国教会女性連合会」(後の「挺対協」の母体)と、「日本社会党婦人部」、そして北朝鮮の統一戦線部傘下の「祖国統一民主主義戦線」の三者の連帯の実現に向けて努力することを誓いました。

その後、1990年11月に韓国で「挺対協」が結成。1991年の5月には日本社会党傘下の「日本婦人会議」が企画する「アジアの平和と女性の役割シンポジュウム」の第1回が東京で開催され、北朝鮮代表の呂燕九(ヨ・ヨング)祖国統一民主主義戦線議長と当時の韓国「挺対協」共同代表の尹貞玉(ユン・ジョンオク)氏と李効再(イ・ヒョジェ)氏がそこに参加し、南北共闘に合意したとのこと。

つまり、日本という第三国、日本社会党の仲介で南北朝鮮が共闘を誓ったということです。

慰安婦問題の拡大に日本社会党が深く関わっていたことは聞いていましたが、やはり、挺対協もまた誕生当時から北朝鮮の工作機関(統一戦線部)と一体だったのです。

これで、挺対協の目的が慰安婦問題の解決ではなく、逆に慰安婦問題を解決不能になるまで悪化させ、日韓関係を破綻させる方向で活動していることが腑に落ちます。北朝鮮の利益のために活動してきたのです。その挺対協が文在寅政権下で活発化したのは偶然ではありません。

北朝鮮こそが民族的正統性を有していると信じる文在寅政権は、親北極左革命政権であり、いわば挺対協と同類です。だからこそ、ユン・ミヒャン氏が与党国会議員になれたのです。

これが慰安婦問題の正体です。そして、挺対協(正義連)とは、元慰安婦と自称元慰安婦を政治的に利用し、日韓関係を崩壊させながら私腹を肥やした悪徳活動家集団です。ユン・ミヒャン氏が慰安婦像ビジネスでいくら稼いだかもこの際、精査されるべきでしょう。

慰安婦問題解決のために、非常に多くの人が努力し、税金を含む多額のお金が使われました。また、慰安婦問題のせいで、多くの海外在住日本人がいわれのない嫌がらせを受けました。

日本はもう慰安婦問題に関わるべきではありません。そして、挺対協が世界中にばら撒いた欺瞞の象徴である慰安婦像はすべて撤去されるべきであることは言うまでもありません。

それが結局、分断工作と被害者詐欺ビジネスという最悪の姿を晒す結果となってしまいました。しかし、これもまた、挺対協が誕生した瞬間に定められていた宿命だったのでしょう。

著者略歴

山岡鉄秀(Tetsuhide Yamaoka)

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