コロナ禍で自殺者が約2割減った理由

「絶望死」を増やさないために社会は何をすべきか

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藤和彦

独立行政法人経済産業研究所上席研究員

藤和彦

独立行政法人経済産業研究所上席研究員

1984年通商産業省(現経済産業省)入省、2003年に内閣官房へ出向(内閣情報調査室内閣参事官、内閣情報分析官)、2016年より現職。著書に「原油暴落で変わる世界」「日本発母性資本主義のすすめ」など多数

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「自殺なんてあり得ない。いつでも電話して」と書かれた張り紙=4月、米ニューヨーク州(ゲッティ=共同)

 新型コロナウイルスのパンデミック(世界的流行)により、日本の失業率は急上昇している。2月まで2・4%だった失業率は5月に2・9%となり、6月には21年ぶりに3%台となるとの予測が出ている。

 5月上旬、米国で「新型コロナウイルス危機の結果、今後10年間で最大7万5千人がいわゆる『絶望死』する可能性がある」という衝撃的な予測が発表され、日本でも「今後自殺者が急増するのではないか」との警戒感が高まっている。

 ところが現実は今のところ違う。日本では、4月の自殺者数は前年比19・8%減、5月は19%減だった。理由はどこにあるのだろうか。(独立行政法人経済産業研究所上席研究員=藤和彦)

 日本で自殺問題が注目を集めるようになったのは1998年である。戦後最悪の金融危機に陥る中、自殺者数が初めて3万人を突破したからだ。とりわけ経済生活問題に起因するとされる自殺者数が前年比2502人増の6058人と急増した。

 自殺者数の高止まり(年間3万人以上)はその後も長く続いた。減少傾向となったのは、意外なことに東日本大震災が起きた2011年だった。その後自殺者数は19年に1万9959人(速報値)にまで減少している。失業率が増加した2011年に自殺者数が減少に転じたのはなぜだろうか。

 この謎を解く書籍が5月中旬に出版された。

 タイトルは「新自殺論 自己イメージから自殺を読み解く社会学(青弓社)」である。

 1897年にエミール・デュルケムが当時の欧州の状況を詳細に分析して「自殺論」という有名な著作を発表しているが、「新自殺論」の著者たちも先進国の中で自殺率(人口当たりの自殺者数の比率)が高い日本の現状に鋭いメスを入れている。

 自殺と社会の状況の関係については「戦争時に自殺率が低下する」という傾向が世界各国で見られるという興味深い事実がある。「倒すべき敵」が存在すれば、各人の意識は社会の連帯に向かい、日々の生活に張り合いが生まれるというのがその理由である。

 東日本大震災も戦争時と同様の作用を社会にもたらし、失業率の上昇にもかかわらず自殺者数の減少を招いたと考えられる。

 新型コロナウイルスによるパンデミック下で、各国の指導者たちは異口同音に「戦時」と例えた。したがって世界の自殺者数は今後、減少する可能性がある。

 もちろん失業率の上昇から遅れて自殺者数の増加が生じる可能性があり楽観はできない。この先、自殺者を増加させないために私たちはどのようなことに留意すべきなのだろうか。

 「新自殺論」のとりまとめ役を担った阪本俊生・南山大学教授は「自殺率を変化させている社会的要因は『フェイス・ロス』である」と主張している。

 フェイスとは大雑把に言えば「体面」や「面子」という自己イメージのことである。したがってフェイス・ロスとは「他人に合わせる顔がない」状態のことを指していると考えることができる。

 1998年当時の日本の「男らしさ」は、一家を養う稼ぎ手としての役割に直結していた。経済的苦境は中高年男性の面目を失墜させる結果を招いた。失業したり、経営する会社が破綻してしまい、家族と合わせる顔がなくなってしまった彼らは、恥の意識に苛まれ、その結果命を絶つという行為に走ってしまったのである。

 中高年男性の自殺率は2003年をピークにその後は低下している。阪本氏はその要因を「女性の社会進出が徐々に進み、男女の役割分担に変化が起きていることがその背景にある。男女共同参画が進んで『イクメン』という言葉が普及したこともこの流れを後押しした」ことに求めている。

 男性が背負わされてきた「一家の大黒柱」という重荷が少しずつ軽くなってきているのは事実だが、日本ではいまだに失業率と自殺率の相関関係が高い。

 生活保護受給者の自殺率は全体の2倍以上で、経済問題がもたらす生きづらさは自殺に関係している。一方、多くの日本人男性が失業状態にあった第2次世界大戦直後の自殺率は現在よりはるかに低かった。当時は失業をしていても「他人に合わせる顔がない」状態ではなかったからに違いない。

 生活保護を受けていても、戦時のように積極的に社会参加できる環境であれば「合わせる顔がなくなる」ことにはならない。自殺者を増加させるのは物質的困窮よりも社会的な役割の剥奪なのである。

 失業者が「失業したのは自らの責任ではない。対策を受けることは当たり前の権利だ」と考え、失業に対する公的支援があれば、自らの境遇を不幸とはあまり感じないだろう。

 阪本氏は「地域の首長が自殺対策に前向きな姿勢を見せるだけでその地域の自殺者が急減する」と指摘した上で「大事なのは人としての尊厳を守りながら社会で生活が営めることである」と強調している。

一般社団法人「いのち支える自殺対策推進センター」による、自殺対策や遺族支援に取り組む民間団体の状況を調べた緊急アンケートの結果

 「自殺は不幸で説明できるほど単純なものではない」。デュルケムがこう述べたように、失業と自殺の関係は社会の状況によって異なる。

 社会が失業をどのように受けとめるか。このことこそが今後の自殺者数の推移に大きな影響を与えるのである。