【インタビュー】「まずは自分の国を動かして」 カナダ在住の被爆者 サーロー節子さん

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サーロー節子さん(Thea Mjelstad撮影、ICAN提供)

 核兵器禁止条約の推進を世界に訴えているサーロー節子さん(88)は13歳の時、広島市の爆心地から約1.8キロにあった動員先の旧軍施設で被爆した。辛うじて生き残ったが、多くの学友を失い、その死を無駄にしないため生き残った者同士で「頑張ろう」と誓い合った。核禁条約に懸ける思いを聞いた。

 -3年前に条約が国連で採択された時の思いは。
 みんな拍手したり、抱き合ったりしていたが、私は原爆で虐殺された何十万の人たちを思い、涙がぽろぽろと出てきた。私の命は、亡くなった人たちと直結している。「完全ではないけど一歩踏み出した。喜んでください」と報告した。

 -社会は変わったか。
 米国やカナダの大学の卒業式で講演に呼ばれるようになった。「核のない社会に向け前進している」「あなたたちはどう生きるか」などと話している。公の団体も近づいてきてくれるようになった。ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)を通した運動に対し社会の見方が変わった。

 -核保有国に加え、日本も条約に反対している。
 条約を共に喜んでくれる自国の政府がないのは悲しい。日本は核の非人道性をどの国よりも理解しているはず。被爆者の代弁者として期待したが、私たちを裏切り、同盟国を喜ばせている。もっと国民や被爆者の声に耳を貸すべきだ。

 -条約発効に必要な批准国数に達していない。
 いずれ発効する。核保有国は嫌な顔で見ている。自信を持って待てばいい。私は被爆75年を記念して197カ国の元首に(条約推進を訴える)手紙を送った。日本の人も、まずは自分の国を動かしてほしい。

 -核廃絶に向けて。
 広島、長崎から始まった核の問題意識がもっとあらわにならないといけない。新聞やテレビで毎日でも扱い、目に見え、耳に聞こえるものにする必要がある。