「已己巳己」読めますか?【50代から始めた鉄道趣味】321

※2014年7月撮影

トップ画像は、帰路に撮った幌糠駅(47世帯115人)駅舎。

峠下駅から7.6km、山の中をクネクネ走って平野に降りて来ました。恵比島駅(10世帯15人)。1910年(明治43年)開業。

※2014年7月撮影

1930年(昭和5年)昭和駅(昭和炭鉱)の石炭を留萌港に運ぶための留萠鉄道炭礦線(17.6km)が恵比島駅まで開業しました。石炭以外にも旅客輸送も営業。昭和30年代には貨物年間45万トン、旅客も年間約45万人の輸送量がありました。しかし1968年(昭和43年)第4次石炭政策答申で中小炭鉱が一気に閉山。留萠鉄道炭礦線は存在理由を失い1971年(昭和46年)全線が廃止されました。

恵比島駅は、NHKの連続テレビ小説「すずらん」(1999年/平成11年)のロケ地になり駅にはロケセットがそのまま観光用に残されています。本来の車掌車改造駅舎は、板で覆われています。

※2014年7月撮影

恵比島駅から2.9kmで真布駅(4世帯16人)。珍しく乗客が待っていました。木製のホームに待合室があります。

※2014年7月撮影

駅名標。1956年(昭和31年)仮乗降場として開業。1987年(昭和62年)国鉄分割民営化でJR北海道に継承され、駅に昇格。その3年後営業キロが設定されました。

※2014年7月撮影

耕作地帯を真っ直ぐ進みます。

※2014年7月撮影

真布駅から3.4kmで石狩沼田駅(391世帯843人)。1994年(平成6年)までは左に少しダケ見えている島式ホーム1面2線も使われ2面3線でした。交換設備も同年撤去されました。

※2014年7月撮影

使われていない島式ホーム上の駅名標。1910年(明治43年)沼田駅として開業。1924年(大正13年)上越線に沼田駅が開業したため石狩沼田駅に改称。1931年(昭和6年)中徳富駅(後の新十津川駅)から当駅まで札沼北線(1935年/昭和10年札沼線に改称)が開通。1944年(昭和19年)戦時下の不要不急路線として札沼線が休止、12年後、1956年年(昭和31年)営業再開。

1972年(昭和47年)札沼線、当駅~新十津川駅間が廃止。1998年(平成10年)石狩沼田駅は簡易委託化。

※2014年7月撮影

石狩沼田駅後方展望、使われていない島式ホームは花壇になっています。

※2014年7月撮影

石狩沼田駅から3.2kmで北秩父別駅(4世帯17人)。この駅も木製デッキのホームと待合室です。

※2014年7月撮影

待合室に手書きの駅名標が貼ってありました。1956年(昭和31年)仮乗降場として開業。JR北海道継承時に駅に昇格。一部の普通列車が通過するため、1日に上り列車4本、下り列車2本しか停車しません。

※2014年7月撮影

北秩父別駅から2.4kmで秩父別駅(224世帯501人)。

※2014年7月撮影

1971年(昭和46年)改築の立派な木造駅舎があります。1910年(明治43年)筑紫駅として開業。1954年(昭和29年)秩父別駅に改称。この時の写真を留萌駅で見ました。1987年(昭和62年)駅は無人化されました。最近の写真を見ると駅舎外壁がキレイに修復されていました。

※2014年7月撮影

秩父別駅から5.0kmで北一已(きたいちやん)駅です。(18世帯44人)開業以来の木造駅舎がありますが、写っていませんね。

※2014年7月撮影

古い駅名標がありました。この右側に駅舎があります。1955年(昭和30年)開業。当時は「きたいちゃん」と表記されていましたが、1997年(平成9年)現在の「きたいちやん」になりました。駅名は旧村名「一已」の北に駅があったことでつけられました。難読駅名です。古文で習った已然形の「已」(やむ・すでに)の字です。お互いに似ていることを「已己巳己」(いこみき)と言いますが、字が似ているので書き間違えそうです。「已(い)」と「克己心」の「己(おのれ・こ・き)」、干支の巳年の「巳(み)」が使われています。

※2014年7月撮影

次は終点の深川駅です。次回は留萌本線の存続問題を考えます。

※筆者は既にコラムなどで今回の青春18きっぷ鉄道旅の写真を度々使用しています。重複していますが、御容赦ください。

※価格などは2014年当時のものです。

※駅名の後の()内は、駅の周囲半径500mの円内に住む住民数です。(2010年国勢調査)

(写真・文/住田至朗)

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