那覇市のそば店で後継者不足 ステーキ店が継ぐ

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日本そば店の老舗店「名代蕎麦処美濃作」の小山健代表(中央)、妻の早苗さん(左)、移転先で店長を務める金城大輔さん=2日、那覇市久茂地

 沖縄でステーキハウス88を運営する沖縄テクノクリエイト(那覇市、金城康次社長)は4日までに、那覇市久茂地の老舗日本そば店「名代蕎麦処美濃作(みのさく)」(那覇市、小山(おやま)健代表)の事業を承継した。個人事業主として店舗を営んできた小山代表(77)が後継者不在のため、沖縄銀行を通じて沖縄テクノ社に事業を売却した。(政経部・仲田佳史)

 美濃作の看板は変わらず、従業員も引き継がれる。6月末で現店舗は閉店しており、ステーキハウス88辻本店の2階に移転。8月8日から営業を再開する予定だ。小山代表は沖縄テクノ社の顧問として残り、1977年の創業から43年間親しまれてきた味と技を継承する。

 小山代表は福島県出身。東京で日本料理人をしていたところ、知人から浦添市牧港にあったレストラン「アポロ」で働かないかと打診を受け、米軍統治時代の69年に来県した。料理の腕が買われ、参院議員を務めていた故・稲嶺一郎氏の自宅や日本政府関係者に料理を振る舞ったという。

 美濃作は、国場ビル12階にあった人気レストラン「日本」に移って腕を振るっていた頃、サン食品(糸満市)の土肥健一会長から「沖縄には日本そばを食べさせる所がない。やってみないか」と声を掛けられたのが始まり。当初は断っていたが、土肥会長の熱意にほだされ、那覇市松山に「10坪」の日本そば屋を出店した。

 沖縄そばのイメージが強い県内で日本そばを出した当時は仕事や観光で訪れた県外出身者から厳しい視線を浴びたという。悔しい思いを抱きながら研さんに励み、83年に沖縄ハーバービューホテルで開かれた日本ホテル協会総会のため月桃を練り込んだそばを考案。月桃の爽やかな香りと深い緑色のそばはその後、著名なそば研究家にも評価され、店の代表メニューとなった。

 事業承継により月桃そばの商標権も移り、引き続き提供される。小山代表が後継者として沖縄テクノ社から派遣された金城大輔さん(36)に技を伝授する。金城さんは「大将がつくってきた歴史ある美濃作の看板を忠実に再現したい。技だけでなく心意気も引き継いでいく」と気合十分だ。新店長の隣で、妻の早苗さん(68)とほおをゆるめる小山代表は「涙が出るような言葉を言ってくれる。第2の出発にワクワクしている」と声を弾ませた。