諫干開門確定判決の原告 中田猶喜さん死去 70歳

中田猶喜さん

 国営諫早湾干拓事業の潮受け堤防排水門の開門確定判決の原告、島原市の中田猶喜(なかた・なおき)さんが5日午前0時3分、くも膜下出血のため長崎市内の病院で死去した。70歳。自宅は島原市浦田2丁目甲753の22。通夜は6日午後7時、告別式は7日午後1時から島原市弁天町1の7118の6、マルイチ第一斎場で。喪主は妻幸子(さちこ)さん。
 弟の博文さん(59)によると、6月23日夕、漁に出ていた時、船上で倒れ、同市内の病院に搬送。転院した長崎市内の病院で手術を3回受けたが、ほとんど意識が戻らないまま、息を引き取った。
 島原市で生まれ、兄弟3人とも漁師。昨年、死去した長男、儀明さんと次男、猶喜さんは開門請求訴訟の原告に加わり、2010年12月、国に開門を命じる判決が確定。その後、開門調査の是非を巡る訴訟が相次ぐ中、開門調査による有明海の漁業不振の原因究明と再生を訴えてきた。
 博文さんは「兄たちは20年以上、干拓問題に関わってきた。年をとり、体力的に厳しくなる中、あまりにも問題が長引きすぎて、思い半ばで逝ってしまった」と話した。

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