百貨店は生き残れるか(上) 限界 自営やめテナント化

約80のブランドをそろえた化粧品専門店。そごう・西武の従業員ではなく、専門店の職員が接客を行う=横浜市戸塚区

 百貨店業界の閉店が相次いでいる。果たして百貨店は生き残れるのだろうか。

 かつての百貨店の姿はなかった。6月上旬にリニューアルを終えた「西武東戸塚S.C.」(横浜市戸塚区)の店内には専門店ばかりが並んでいた。

 1階の食品売り場では、有名ケーキ店のカフェや高級食パン店、日本酒や焼酎のセレクトショップが集積。4階の化粧品売り場では、化粧品大型専門店が国内外約80ブランドの商品を販売していた。

 そごう・西武は今春、同店の大型改装を実施。婦人服売り場など自社運営の売り場を完全になくし、全店をテナント営業に切り替えた。百貨店が全館テナント型の商業施設となるのは全国で初めてのことだった。

 店名も「西武東戸塚店」から、ショッピングセンターを意味する「S.C.」に変更した。百貨店の「店長」から、大型商業施設の「館長」へと替わった則竹伸浩氏(59)は言う。

 「小売りからテナントビジネスへの切り替えです。地方や郊外の百貨店はそうしなければ、もう生き残っていけない」

 ■□■

 小売業の王者として長年君臨した百貨店だが、この30年で状況は様変わりした。バブル崩壊後、消費の多様化が進み、大型商業施設や専門店との競争が激化。日本百貨店協会によると、全国の百貨店の年間売上高は1991年の9兆7130億円をピークに右肩下がりで減少し、2019年は5兆7547億円にまで落ち込んだ。

 1999年は300店舗以上あった店舗数も、2000年のそごう倒産を契機に減少に転じ、リーマン・ショック後は閉店が加速。地方都市や郊外に立地する店舗を中心に数を減らし現在は200店舗を切る。県内でも伊勢丹相模原店(相模原市)が昨年閉店し、高島屋港南台店(横浜市港南区)、さいか屋横須賀店(横須賀市)の閉店が相次いで発表されている。

 1999年に開業した西武東戸塚店も例外ではなかった。オープン後数年間は好調だったが、市内に大型ショッピングセンターの開業が相次ぎ周辺商圏の環境が激変すると経営は厳しくなった。また、周辺にマンションが立ち並び、メインターゲットがシニア層から30代後半から40代の家族世帯へと変わった消費の変化を捉えきれなかったことも失速の要因となった。

 2009年から約3年間かけて改装し、大型専門店を誘致したがテナントの退店が相次ぎ、17年2月に則竹氏が店長に着任した当初、空きテナントは10カ所以上に上ったという。

 則竹氏は「百貨店を象徴する高級化粧品や黒字化が続くデパ地下の商品を『捨てるのか』という議論もあり、テナント化に思い切れなかった」と振り返る。

 19年度の同店利用客の年間購買回数は平均15.6回。この数字は都市型基幹店の「そごう横浜店」(横浜市西区)の7.0回を大きく上回る。同時に利用客の約6割がそごう横浜店を併用していることが分かった。則竹氏は言う。

 「ハレの買い物と日常の買い物を使い分けている。西武東戸塚店に求めているのは、高付加価値やブランド品を重視した『従来の百貨店』ではない。日常的に買い物が楽しめて、質も価格も納得できる商品がそろう店舗。そして、それを実現するには、百貨店だけの力では限界だった」

 ■□■

 今回、そごう・西武は東戸塚に出店する計152の専門店と賃貸借契約を締結。一方、120人いた従業員は18人まで削減した。「人件費という一番高い経費構造の部分に手を付けて、コストを下げた。テナントからは賃借料という安定した収入が入ってくる」

 そごう・西武を傘下に置くセブン&アイ・ホールディングスは、こういった不動産管理につながる「プロパティマネジメント」の導入を郊外店に限らず、都市型の基幹店でも導入することを方針に掲げている。

 百貨店業界に詳しい流通経済研究所の加藤弘之主任研究員は「集客力を持ったテナントの誘致により、1坪当たりの売り上げの改善や集客数の向上が期待できる」とメリットを挙げる一方、「集客できるほどの知名度を持ったテナントが入ることにより、そのイメージに百貨店が影響されてしまう可能性もある」と指摘する。

 来年定年を迎える則竹氏は百貨店とともに歩んだ約35年を振り返り、こう話した。「百貨店として生き残っていくにはどうしたらいいか。もがき苦しんで出した結論が全館テナント型だった」

© 株式会社神奈川新聞社