暦の上ではもう夏だというのに、小さなこたつはまだ布団に覆われている。6月に入り、季節はまもなく梅雨入りを迎えようとしていた。
宇都宮市郊外の賃貸マンションの一室に越してきてから約2年、原田弘(はらだひろし)さん(69)はフローリングの木目の上で一日の大半を過ごしている。
「母はたばこばかり吸っていた。灰皿がいつもいっぱいになっていて…。母の日や誕生日にはたばこを買ってあげた」
母秀子(ひでこ)さんが2年前に亡くなってから、弘さんはずっと1人だ。
部屋には暮らしに必要な物だけが並ぶ。その中で、箱に納めた遺骨が弘さんを見守っている。今も埋葬しないのは「母と一緒にいたいから」だ。
生前の秀子さんは認知症の進行とともに生活ぶりが激変した。料理をしなくなり、風呂にも入らなくなった。日増しに汚れていく顔と体。伸び放題の爪。部屋はごみや汚物が所々に散乱した。
血圧が異常に高く、いつ命を落としても不思議ではない状態だったという。
それでも弘さんは、母親の変化を不思議に思わなかったと振り返る。
「年齢のせいだと思った」。病状が進んでも、老いるということは、すなわち誰もが母親のようになること。そう考えていた。
「そもそも認知症という病気があることも、当時は知らなかった」
ケアマネジャーの西山美智子(にしやまみちこ)さん(57)が原田さん親子を受け持ったのは、弘さんが55歳、秀子さんが81歳のときだった。
弘さんに知的な部分で障害などがあったかは、分からない。少なくともそうした診断を弘さんは受けたことがない。ただ、何らかの問題が弘さんにあったからこそ行政当局が介入した。西山さんはそうみる。
変わりゆく母親について、西山さんは弘さんに聞いたことがある。
「お母さんがだんだん悪くなっているの分かっていた?」
「いや、普通でしたから」
寝る、食べる、排せつもする。だから「弘さんにとって秀子さんは『普通』なんだという。様子の変化を感じ取ることができなかったんです」
「一番の問題は家族がいたこと」。西山さんは指摘する。かつて民生委員が秀子さんを気に掛けたことがあった。しかし、連絡を取っても弘さんに「大丈夫」と言われると、それ以上は踏み込めなかった。
弘さんはしっかりした会社に勤め、身なりもきれいだ。自家用車だって運転する。
「民生委員からすれば、そこに家族がいるという安心感があったのだろう。『息子さんがいるから大丈夫だ』と。逆に1人暮らしだったら、もっと早く秀子さんの異常に気付いていたのではないか」
もちろん、原田さん親子のケースが特異だということは理解している。だが、今後も同様のケースがないとは言い切れない。
西山さんがつぶやく。
「病院に来ていれば(社会的要因も)見つかりますよね。病院に行けない人、行かない人をどうするのか。どこで網を張るのだろう」
(文中仮名)