右往左往した日々を一冊に コロナ危機に輝く日記

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 新型コロナウイルスの感染が拡大する中、右往左往した日々を記録しておこうと日記を書き始めた人は少なくないだろう。有名無名を問わない77人の多様な書き手がコロナ禍の2週間余につづった日記が一冊の本にまとまり、話題となっている。左右社が刊行したアンソロジー「仕事本 わたしたちの緊急事態日記」(2200円)だ。中国・武漢在住の作家がブログに発表した日記が世界的な注目を集め、日本でも作家らの日記を掲載した雑誌の特集が相次いだ。折しも東京・下北沢には日記本の専門店も登場した。危機の時代にこそ存在感を発揮してきた日記というメディアに、あらためて光が当たっている。(共同通信=森原龍介)

書店の店頭に並ぶ「仕事本 わたしたちの緊急事態日記」=6月24日、東京都新宿区の紀伊国屋書店新宿本店

 ▽出入り業者にも執筆依頼

 東京都渋谷区の出版社「左右社」で小柳学代表が日記の書籍化を提案したのは、政府が緊急事態を宣言した4月7日、その日の朝だった。後世に向け、危機を記録に残したいとの企画意図に、同社の編集者、青柳諒子さんと筒井菜央さんが反応した。まさに書店の休業など、出版業界にも甚大な影響が出始めていた頃だった。「この状況でみんなどうやって働いているんだろう。知りたいと思いました」と筒井さんは言う。青柳さんも「みんなの関心は、この時代のそれぞれの働き方にあるのでは」と語る。本のテーマは自然と「仕事」に決まった。有名無名を問わず、多様な職業の書き手をそろえるのが大事だと、在宅勤務中の社員を総動員して、執筆してほしい職業をリストアップした。スーパー店員、ごみ清掃員、葬儀社スタッフ、保育士、医師…。翌日には50人超に執筆を依頼した。運送会社の人にも書いてもらいたいと、社に出入りする運送業者の集配担当に依頼書を直接手渡すなど、持てるつてを総動員した。

 結果、作家の町田康さんやミュージシャンの尾崎世界観さん、漫画家の瀧波ユカリさんら著名人も含め、執筆陣は計77人に増えた。締め切りは2週間後という厳しいスケジュールだったが、日記という書きやすい形式だったのが奏功したのか、原稿はスムーズに届いたという。多くが執筆を仕事としない無名の書き手だが、つづられた言葉には、それぞれが自分の持ち場で懸命に働いた日々のディティールが細やかに刻まれ、プロの書き手の言葉に勝るとも劣らない輝きがあった。

 手作り弁当が在宅勤務者に好評で「地味なことは打たれ強い」と静かな誇りを抱く福岡市の総菜店店主。都内のスーパーのパン売り場で働く女性は、一人で担当しないといけない作業が増え「いい匂いだからいいけど時給は上がらない」とこぼす。純喫茶の店員は、慣れないテイクアウトに対応し、SNS用の写真を撮影しながら試行錯誤を続け「この日々のことは忘れられないだろう」とつづる。青柳さんは「ニュースでは伝わらない、緊急事態の皆さんの生活が伝わってきます」と太鼓判を押す。

 働くことができないもどかしさもテーマに。音楽活動ができなくなったクリープハイプのボーカル尾崎世界観さんは「明日も今日と同じ日がやってくるだろう。かかってこい」とつづった翌日に「本当にかかってきた」「昨日と同じ今日がとても辛い」とこぼす。一方、女子プロレスラーのハイパーミサヲさんは、練習も試合もままならない日々でもファンとつながる方法を模索した。エンターテイメントの力が必要となる瞬間が訪れることを信じ「すぐに必要でないものだからこそ、火を絶やしてはいけない」と、心は折れていない様子。プロレスに救われた自分の過去を振り返りながら「私たちはたくさんの扉を持っていていい」「私たちは助かっていい」と宣言する。

星野源さんの動画に、愛犬とじゃれあいくつろぐ様子を投稿した安倍首相のツイート

 ▽首相動画に「怒髪天」

 77人が日々のニュースに揺れる。例えば安倍晋三首相が4月にSNSに投稿した、星野源さんの音楽に乗せて首相がソファで飼い犬とくつろぐ動画には、「久しぶりに感じた怒髪天を突く怒りに体がついていかず、しんどい」(ライブハウス店員)「権力者が文化を政治的なキャンペーンや人気取りに利用することの醜悪さときたら」(作家の温又柔さん)と、多くの書き手が同時期にそれぞれ怒りを書き残している。

 日記が書かれたのは緊急事態宣言が出された4月7日からの2週間余り。それぞれの持ち場で仕事と向き合った彼らの記録を一読した小柳さんの頭によぎったのは、戦時下に文学者が残した日記だった。「戦時中の日記がそうだったように、それぞれの言葉にパワーがある。日記は危機の時代に輝きを放つ」と語る。

 かつて、日本文学研究者の故ドナルド・キーンさんは、日記の伝統をたどった著書で「日記を付けることは、言ってみれば時間を温存することである。歴史家にとってはなんの重要性もないような日々を、忘却の淵から救い上げることである」と指摘した。その言葉を証明する一冊が今回の「仕事本」だ。

 日記を巡る動きは国内外に広がる。コロナ対策で封鎖された中国・武漢市では、作家の方方さんがインターネット上でつづった日記が評判となった。文芸評論家川村湊さんは、緊急事態下の政府の動きを日々、記録した「新型コロナウイルス人災記」(現代書館)を刊行、作家円城塔さんらが参加したアンソロジー「コロナ禍日記」(タバブックス)も7月発売の予定だ。文芸誌「新潮」「文学界」も作家らの日記を掲載し、非常時を言葉にとどめる試みは続く。

日記関連の本が並び、コーヒーやビールも飲める「日記屋 月日」=6月18日、東京都世田谷区

 ▽自己啓発本への違和感から日記専門店

 日記を巡る一風変わった取り組みも。東京都世田谷区の下北沢には4月、古今東西の日記本や日記をテーマにした同人誌などがそろう「日記屋 月日」が開店した。ビールが飲める下北沢の個性派書店「B&B」の共同経営者でブックコーディネーターの内沼晋太郎さんが店主だ。

 中学生の頃からよく日記を書いていた内沼さんは、書店の店頭を席巻する自己啓発本への違和感から、日記の魅力を伝える拠点となるような店をつくりたいと考えたという。「未来に向けて、成長や行動ばかりをあおる、自己啓発本的なメッセージが増えていますが、そこで本当に幸せになれる人はそんなに多くない。何かになろうと焦って未来に向かうのではなく、現在と過去、自分がやっている仕事や日々の営みを見つめる方がよっぽど幸せに近いんじゃないかという気がします。それが日記を書いたり、読んだりすることの価値だと思う」

 開店とコロナ禍が重なったのは偶然だが、おかげで日記を書き、読む大切さを再認識できたと内沼さんは語る。

 「日々の気持ちの変化も書き残しておかないと忘れてしまう。他人の日記を読むだけでも、他者への関心や想像力が深まるし、自分自身の思いも見直せます」