原発事故で混乱のさなか死後3週間放置された父 東電提訴の遺族が9年抱える「心の曇り」

福島県大熊町の双葉病院。敷地内にはベッドが散乱していた=2011年11月

 病院や避難所を捜し回った末、やっと会えた父の目はくぼみ、鼻には酸素マスクの跡が残っていた。2011年3月の東京電力福島第1原発事故で、福島県大熊町の双葉病院に入院していた佐藤久吾(さとう・きゅうご)さん=当時(87)=が、適切なケアを受けられず院内で死亡したとして、佐藤さんの遺族5人が7月3日、東電に慰謝料など計約4400万円の支払いを求めて福島地裁いわき支部に提訴した。遺体は家族に知らされないまま約3週間、院内に放置されていた。原発事故発生から9年以上たってようやく、長男の久男(ひさお)さん(60)は「父はどんなに怖く、苦しかっただろう。ずっと心が曇る感じがしている」と抱え続けた思いを語った。(共同通信=井沼睦)

 ▽救助来ず

 東日本大震災が起きた11年3月11日、同県富岡町に住んでいた佐藤さんの次男(57)が、第1原発から約4・5キロにある双葉病院に駆け付けると既に夜だった。外に出ていた病院職員に声を掛けると、「異常ありません」とのことだったので安心して避難所へ引き返した。翌朝には帰宅できると思っていたが、原発の状況は悪化していった。大熊町が避難誘導していると聞き「病院にいる父は大丈夫だ」と考え、次男は家族で車に乗り東京の姉の家へ逃れた。

当時、双葉病院と系列の老人保健施設ドーヴィル双葉には高齢者を中心に計436人の患者や入所者がいた。政府の避難指示を受け、自力で歩ける患者らは12日昼ごろ、町の手配したバスで避難。寝たきりの佐藤さんを含む計228人はわずかな医療スタッフと残り次の救助を待ったが、その日の午後に福島第1原発1号機が水素爆発を起こした。

煙を上げる東京電力福島第1原発3号機。左手前が2号機、右奥が4号機=2011年3月21日(東京電力提供)

 救助のために自衛隊や警察が再び病院を訪れたのは14日未明。同日午前5時すぎ、救助開始までもたずに佐藤さんは息を引き取った。病院の医師は死亡診断書を残し、遺体の搬出を警察に委ねたという。

 ▽家族総出

 双葉病院の患者が散り散りに搬送されたとのニュースが飛び込んできたため、次男は福島へ急ぎ戻った。後に判明することだが、患者らはバスで230キロ以上搬送されるなど過酷な避難を強いられて次々と命を落としていたのだ。

 次男は、仕事のため県内に残っていた兄の久男さんと手分けして父を捜し始めた。当時、福島はガソリンが不足しており、隣県の新潟や避難先の東京で給油しては、北は福島市、南はいわき市までリストアップした病院や避難所を車で巡る日々。姉たちも東京から病院などに電話をかけ続けたが、父の行方は分からないまま時は過ぎた。

 「遺体が双葉病院にある」と病院側から連絡が入ったのは4月3日だった。家族総出で捜索する中「もしかして」という思いはあったが、避難指示が出されて捜しに行けなかった場所だ。同6日、遺体は福島県川俣町の警察施設に収容され、久男さんたちはひつぎに横たわった父と対面した。

佐藤久吾さんの遺影を持つ長男久男さん

 その場で双葉病院の院長=19年死去=に死因を肺がんとする死亡診断書を渡された。原発事故の2日前に次男の妻が見舞った時、容体は安定していた。久男さんが「おかしい。書き直してください」と訴えると、院長は「すみません」と繰り返すばかり。警察官から「お父さんを早く楽にしてあげましょう」となだめられ、矛を収めた。なぜ約3週間も遺体が病院に残置されたのか、理由は今も不明だ。

 ▽ためらい

 佐藤さんは寡黙で怒りっぽく、久男さんたちにとって怖い父だったが、70歳を過ぎて認知症が始まると優しくなった。けんかばかりだった妻=17年死去=が病気で入院すると捜し回り、面会時はぽろぽろと涙を流した。10年5月には佐藤さんが入院し、家族の見舞いを週2、3回受けていた。震災の約1週間前には孫から高校卒業の報告を受け、感動して泣いていた。

 「子ども5人を育て、家を残した父は偉大だ」と久男さん。富岡町にあるその家は放射線量が高い帰還困難区域内で荒れ果てている。

  佐藤さんの死に関し、久男さんらの疑念は当初病院に向いたが、混乱の中で患者保護に苦心した実態が明らかになるにつれ「全ては原発事故だ」との考えに至った。

 避難を強いられるなどして11年3月中に亡くなった双葉病院の患者とドーヴィル双葉の入所者は計50人に上った。一部の遺族は東電を相手に東京地裁などに訴訟を起こし、勝訴が確定したり、東電からの金銭支払いを条件に和解したりしている。

 久男さんも次男も裁判をしたい気持ちはあったが、ためらいがあった。2人とも今は福島県いわき市で暮らす。特に同市の会社に転職した次男は「避難の身で表に立ちたくない」という。原発事故直後にテレビの取材に応じた時は、見知らぬ人から富岡町の自宅に「なぜ父親を連れて避難しなかったのか」と問う手紙が届いたこともある。久男さんも何度も周囲から「東電の賠償金があっていいね」と言われてきた。

強制起訴され東京地裁で無罪判決が出た東京電力の勝俣恒久元会長=2019年9月

 葛藤の中、提訴を決断させた一つのきっかけは、業務上過失致死傷罪で強制起訴された東電の旧経営陣3人を無罪とした昨年9月の東京地裁判決だった。「誰も責任を取らないのか」。納得できない久男さんは次男たちを説得した。

 今回起こした裁判では、佐藤さんの死因について、原発事故の影響でたん吸引などを行えなくなり窒息や呼吸困難に至ったと主張。「家族をみとり、死後すぐに弔う権利を奪われた」と訴える。久男さんは「何も悪いことをしていないのに、事故からの9年間もやもやしていた。判決がどうなっても、これで終わりにしたい」と遺影に視線を落とした。

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