イクスマル・ドイチュラントのディーヴァ、アーニャ・フーヴェとは何者か? 1983年 4月11日 イクスマル・ドイチュラントのデビューアルバム「フェティッシュ」がリリースされた日

ゴスバンド “イクスマル・ドイチュラント” のリードヴォーカル

“イクスマル”…… “薬師丸” ひろ子を思わずにはいられない響きですが、イクスマル・ドイチュラントはじつに黒々としたゴスバンドです。今回のコラムでは一部好事家を除いてほとんど日本で語られてこなかったこのハンブルク産バンドについて―― スージー・スー並みのカリスマを秘めながら今では忘れられつつあるゴシックディーヴァ、アーニャ・フーヴェにポイントを絞って―― 振り返りたく思います。

アーニャはパリでモデルの仕事をやることが決まっていましたが、17歳でロンドンに行ったとき、ライシーアム劇場でザ・クラッシュやスリッツのライヴを観た衝撃から音楽活動に関心が移ります。また旅行中にキリング・ジョークやベースメント5といった、パンク、スカ、レゲエを融合させたバンドのライヴも観て、そのスタイルに魅了されます。触発された彼女は髪を短くし、ハンブルクに帰国したのち観れるだけのバンドを観たといいます。

そしてバンドのオリジナルラインナップは1980年に出そろいます。「ドイツというより英国風のサウンドと何度も言われたわ」とアーニャも述懐していますが、そのこともあってバンドはさらなる飛躍を求めてロンドンへと飛ぶことに。そこでは黒ずくめの服とマニキュア、それからインキュバス・サキュバスのような吸血鬼風の曲タイトルもあって彼らは “ゴス” のレッテルをすぐさま貼られました。そして4ADレーベルに送ったリハーサルテープが足がかりとなり、彼女の憧れるバウハウスやバースデイ・パーティーのレーベルメイトとなるのでした。

デボラ・ハリーの妖艶さとヴィヴィアン・ウエストウッドの意地悪さ?

「英語よりも荒々しい」という理由から、アーニャはほとんどのリリックをドイツ語で歌うことに決めます。それは彼女の怪しげな、マントラを唱えるような唄い方にもフィットしていたからです。「私はリズ・フレイザーみたいなものだったわ」と、独自の人工言語で歌うコクトー・ツインズのヴォーカルと自分を重ね合わせつつ、マーティン・アストン『4AD物語』によればアーニャは以下のように当時を振り返っています。 英国のオーディエンスは私たちのことをほとんど理解できなかった! でもその魂には触れてくれたみたいね。アイヴォもときどき私が歌っている内容を知りたがったわ。……でも私は自分の声を楽器だと思っているし、自分のことをソングライターではなくてパフォーマーだと思ってるの。パフォーマンスとサウンドが最も重要なものね 実際アーニャ・フーヴェはデボラ・ハリーの妖艶さとヴィヴィアン・ウエストウッドの意地悪さ(?)を足して2で割ったようなブロンド美女。アラビア風な動きやマルセル・マルソー風のパントマイム的な動きもあって演劇的。軽やかな跳躍には滑らかさがあって優雅。

時代はポストパンクからニューロマンティックへ

こうしてようやくデビューアルバム『フェティッシュ』がリリースされるのです。「スージー・アンド・ザ・バンシーズ、ジョイ・ディヴィジョン、マス、イン・カメラといったバンドの黒く冷ややかな鋼鉄のサウンドを、より速く、より荒々しくしたヴァージョン」とマーティン・アストンは評しています。

ところで、アルバム冒頭を飾る「クアル」という曲にちょっとしたエピソードが。マヌエラ・ツヴィングマンのドラムパートが弱いということで、バンドの共同プロデューサーを務めたアイヴォ・ワッツ・ラッセルは、12インチ盤のリミックスではリンドラムマシーンを導入し、実質上マヌエラを機械と取り換えたのです。そのためこの「クアル」に収録されたヴァージョンは、オリジナルの倍近くの長さで、明らかにクラブで流されることを意識したダンスチューンに仕上がっているのです。

実際、時代はモノトーンでささくれ立ったポストパンクから、シンセポップやニューロマンティクスのカラフルで煌びやかなサウンドに移行しつつありました。だからリンドラムを導入してダンスフロア向けになったイクスマルの「クアル」は、ジョイ・ディヴィジョンの黒々としたゴシックロックの炎が消えたのち、新生ニュー・オーダーが「ブルー・マンデー」というダンスチューンをヒットさせたのと同様な現象なのです。

4ADレーベルからの移籍、バンド解散後は画家に

さて、セカンドアルバム『突進(Tocsin)』の頃には、ドラマーはピーター・ベレンディルへと変わっていました。このピーターがプロフェッショナルなミュージシャンで、彼の参加でようやくバンドサウンドを意識し始めたアーニャは、「それまでヴァース・コーラスなんて未知の言語だった」と、いかにも元パンクスな発言を残してます。

『突進』は「インキュバス・サキュバスⅡ」をはじめ代表曲も多いゴスロックの傑作と思いますが、“第二のワイヤー” になってほしかったレーベル主のアイヴォにとっては「進歩がない」と映ったらしく評価は冷めていました。それを感じ取ったバンドもいち早く4ADを去り、レーベルを変えます。というわけで、彼女たちの4AD物語はここまで。

では、アーニャは今何をやっているのでしょうか? 彼女は共感覚の持ち主で、ある音を聴くと色彩が脳裏に浮かぶといいます。「色彩は私の究極の音楽」と発言もしていて、1990年に解散した後はソロデビューの話も断って画家を目指しました。アーニャはのちに草間彌生チックなサイケ点描画に目覚めて個展などやっているほどです。「ポップスターに興味なし」という発言もしていたほどの硬派なアーティストぶりを見るにつけ、冒頭で薬師丸… とか言ってすみませんでした… と思うのでした。

カタリベ: 後藤護

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